第2話 激震
……何……?
今の言葉は、何?
ギルに……ギルがどうしたって言うの――!?
飛び出して行って確かめたい気持ちを、どうにか堪え、ドアの側で耳をそばだてた。
だけど、数人の声が重なり合って聞こえて来て、何を言っているのか、全然聞き取れなかった。
ハッキリ聞こえるのは、ウォルフさんの張り詰めた声だけ。
「とりあえず、ギルフォード様をソファへ! 直ちに応急処置を行います。その間は、誰一人としてこの部屋へは近付かせぬよう、警備を徹底させてください!」
……応急、処置……?
ど……どーゆーこと?……応急処置って、いったい……。
ドアノブに手を掛けてから、一瞬迷った。
外には、まだウォルフさん以外にも、誰かいるかも知れない。見つかったら、大きな騒ぎになってしまうかも……。
だけど、そんな迷いを即座に振り切り、私はドアを開けた。
「ウォルフさん! 応急処置って――っ」
その光景を目の当たりにした瞬間、心臓が止まるかと思った。
全てのものが凍り付いたように感じて……呼吸もうまく出来なくなって、苦しくて……。
「リナリア様! 出ていらしてはなりません! 人払いはしておりますが、事が事です。ギルフォード様の身を案じ、他の者が――特に、フレデリック様がお見えになられることは、充分に考えられます。どうか、隣の部屋にお戻りください――!」
ウォルフさんの言葉に、私は無言で首を振った。
「リナリア様! お願いでございます。どうかお戻りを!」
それにも大きく首を振り、震える足をどうにか励まして、私は隣の部屋から、一歩足を踏み出した。
見つかったって――どんなことになったって構わない!
こんな状態のギルを見て……それでも大人しく隣の部屋で待ってるなんて、出来るワケない!
「ギル……ギルっ!!」
名前を呼びながら、ソファに横たえられたギルの側に駆け寄った。
彼のお腹と左胸の辺りは、真っ赤な血で染められていて……。
服の布地は、どう見ても、刺し傷としか思えないような破れ方をしていた。
「ギル……。誰がこんなひどいことを――!?」
「わかりません。見張りの者が気付いた時には、このような状態で、倒れていらしたそうです」
「そんな……」
苦しそうに荒い息を繰り返すギルを、私はただ、呆然と見守ることしか出来なかった。
「リナリア様。少々あちらを向いていていただけますか? 上着をお脱がせし、血を拭き取らねばなりません。今はまだ、姫様にお見せ出来るようなお姿ではございませんので」
「あ――。は、はいっ」
何も出来ないんだから、せめて、邪魔にだけはなっちゃいけない。
そう思って、慌てて後ろを向いた。
……ギル、どーして……。
どーして安全なはずの自分の城で、こんなひどい目に遭わなきゃいけないの?
刺し傷だなんて、いったい誰が――!?
あれほどの血の量じゃ、相当な深手を負ったとしか考えられない。
シリルの傷も深かったと思うけど……それでもまだ、傷は一箇所だった。
ギルは、シリルの傷を治すために、自分の血を使ったばかりなのに。
……また、あんなに出血したりしたら……。
そこまで考えたら、ゾッとしてしまって、思わずギュウっと、自分の体を抱き締めた。
……どーしよう。
怖い――。
ギルにもしものことがあったら……。
私、どーしたらいいの……?
ああ……ダメ。ダメだよ。
もしものことがあったら――なんて、そんな不吉なこと、考えちゃダメ。
……大丈夫。
きっと、ギルは大丈夫。
だってギルには、治癒能力があるんだから――!!
「リナリア様。一通り、応急処置は終わりました。こちらを向いていただいても、問題ございません」
ウォルフさんの声で我に返る。
私は恐る恐る振り向いて、ギルの傷口へと視線を走らせた。
彼の体には、しっかりと包帯が巻かれていた。
だから、傷口は確認出来なかったけど、血がにじんでいる様子はなくて、ひとまずホッとする。
「血は……止まってるんだよね? だったらもう、大丈夫だよね? ギルの治癒能力で、ちゃんと治るよね?」
同意を求めてウォルフさんを見ると、彼は私から目をそらせるようにうつむいた。
「今はまだ、何とも申せません。傷が深い上に、先ほど、少年の治癒のため、かなりの量の血を抜いておられます。今度ばかりは、完治されるかどうか……」
「……嘘……。それじゃギルは……ギルは……」
ゆっくりと、横たわるギルに視線を移す。
体に巻かれた真っ白な布が痛々しい。
さっきまで荒かった息遣いが、だんだん弱まっているようにも思えて……。
「イヤ……。そんなのイヤっ!……ギル……ギル……。お願い、目を開けて……? ねえ、ギルってばぁっ!!」
私はひざまずき、彼の頬に触れながら呼び掛ける。
だけどその瞼は、苦しそうに閉じられたまま。
「リナリア様、どうか落ち着いてください。あまり大声を出されませんように。誰かが聞きつけたら大変でございます」
「聞きつけられたっていい! そんなのもう、どうだって――! ギルがこんな状態なのに、落ち着いていられるワケないじゃないっ!……ウォルフさんは心配じゃないの? 心配なら、どーしてそんなに冷静でいられるの!? 大切な主なんでしょっ!?」
浴びせられた言葉を黙って受け止め、ウォルフさんは、静かに私を見つめ返していた。
表情の読めない、ウォルフさんの顔。だけどその瞳は、深い悲しみをたたえていて……。
「……あ……」
即座に後悔して、ウォルフさんに頭を下げる。
「ごめんなさい。生まれた時からずっと一緒だったウォルフさんが、心配じゃないワケないのに。私、何も知らないクセに、ひどいこと言って……」
「……いいえ。リナリア様が、取り乱すほどにギルフォード様のことを想っていてくださり、感謝しております。私は……無論、心配でないはずがございませんが、気付かぬうちに、このようなことに慣れてしまい、感覚が麻痺してしまっているのやもしれません」
「……え? 『こういうことに慣れ』る?……『感覚が麻痺』って……?」
その時、何気なくギルの体に目を落とした私は、あることに気付いた。
……え?
ギルの体……包帯が巻かれていないところにも、幾つか傷痕のようなものが……。
これは……なんなの?
どーしてこんなに、体中に傷が……?
私の疑問を察知したのか、ウォルフさんは、その理由を教えてくれた。
でも、それがあまりにも信じがたいことだったから、私は、しばらく声を出せずにいて……。
呆然とする私に、もう一度、ウォルフさんは、ハッキリした口調で告げた。
「ギルフォード様がお命を狙われましたのは、本日が初めてではございません。今までにも三度……いいえ。毒を盛られた九つの頃のことも含めれば、四度。何者かに差し向けられた、刺客からの襲撃を受け、生死の境をさまよわれたことがございます」