第9話 青天の霹靂
西の塔からギルの部屋へと戻って来ると、アセナさんがドアの前にたたずんでいて、
「ギルフォード様、リナリア姫様。お話したいことがございます。お部屋に入れていただけませんか?」
いつもの彼女とはどこか違う、すごく真剣な声色で訊ねて来た。
「私は構いませんけど……。ギル、いいよね?」
いくらギルが、アセナさんを嫌ってても。
ここまで真正面からお願いされたら、さすがに断れないと思う。
ギルは一瞬、不快そうに顔をしかめたけど、ため息をついてから、渋々といった風にうなずいた。
「では……私は、何かお飲み物をお持ちいたしましょうか?」
ウォルフさんの申し出に、アセナさんは素っ気なく首を振る。
「あたしには必要ないわ。あなた達の分だけで結構」
「……わかりました。では、そのように」
ギルと私に一礼すると、ウォルフさんは調理場へ向かった。
彼を見送った後、ギル、私、アセナさんの順で部屋に入る。
ドアを閉め、アセナさんは開口一番、
「ギルフォード様。私はあなた様に、謝らなければならないことがございます」
神妙な口調で告げて来て、私達は驚いて振り返った。
「『謝らなければならないこと』だと?――私に?」
ギルの問いに、彼女はこくりとうなずく。
彼女の態度は、いつもみたいに、丁寧ではありつつ、どこか距離を置いているような態度とも、満月の夜の時のように、小馬鹿にしている態度とも違っていた。
戸惑いを覚えつつ、私とギルは、そっと顔を見合わせた。
「本来ならば、もっと早い段階で、お詫びせねばならぬことでございました。ですが……さるお方に、誰にも言わぬようにと命じられておりましたので、今まで、謝罪することも出来ず、いたずらに年を重ねてしまいました。誠に申し訳ございません」
深々と頭を下げるアセナさんを前に、
「前置きはいい。どういうことだ? おまえが私に謝らなければならない理由を、さっさと話せ」
ギルは眉間にしわを寄せ、面倒そうに言い放つ。
アセナさんは頭を下げたまま――いきなり何を思ったか、その場に正座し、土下座のような姿勢を取り始めた。
「な――っ!……ど、どういうつもりだアセナ!?」
普段とはまるで違う態度に、意表を突かれたのか。
ギルはうろたえた様子で、一歩足を引く。
「東方の国では、心よりの謝罪の意を表する時、このような姿勢で頭を下げると聞き及んでおります。私の精一杯の、お詫びの証です」
「東方の国だと?……そう言えば、リア。確か君も、イサークのことで許しを請う時、このような姿勢で頭を下げていたね? もしかしてこれは……君の世界での、謝罪の仕方でもあるのかい?」
急に話を振られ、ドキッとして背筋を伸ばす。
私は彼を見上げ、何度もうなずいて、その通りだということを示した。
「あ、でも。これは、ホントに最後の手段ってゆーか……。私のいた国でも、滅多なことでは、ここまではしないよ?……えっと、最上級のごめんなさいとか、そんな感じの謝り方……かな?」
「最上級の……ごめんなさい?」
つぶやいた後、ギルは意地悪な笑みを浮かべ、アセナさんを見下ろした。
「アセナが私に『最上級の謝罪』だと?……フッ。特異なことがあるものだ。リアに不埒な真似をした時でさえ、謝罪の意思すら示さなかったおまえが?……いったい、どれほどの大罪を犯したと言うんだろうな? 俄然、興味が湧いて来たぞ」
「ギル! いくらなんでも、その言い方はないよ。ここまでのことするのって、ホントに勇気がいるんだよ? 体裁の悪さも、自分の中の誇りにも目をつむって、えいやって気持ちで臨むんだから。誇り高い人ほど、難しいことだったりするんだよ?……まあ、体裁とか誇りとか、一切気にしないって人には、簡単に出来ちゃうらしいし、謝罪しようって気のない人でも、出来ちゃう人はいるらしいけど……。でもアセナさんは、そんなタイプの人達とは違うでしょ? ホントに、心から悪いと思ってるんだよ」
見るに見かねて注意すると、すかさずアセナさんが声を上げた。
「リナリア姫様! お気持ちは、大変ありがたく存じますが……よいのです。私は、ギルフォード様に対し、それだけのことを――いいえ、このような謝罪では、とても足りないほどの罪を、犯してしまっているのですから」
「……アセナ、さん……?」
『このような謝罪でも足りないほどの罪』?
……それっていったい、どーゆーこと?
アセナさんは、どれほどの罪を犯したってゆーの……?
なんだか、聞くのが怖くなって来てしまって。
ギルの腕にもたれるようにしがみついた。
「リア……」
彼も同じ気持ちみたい。
不安げな表情で私を見つめ、そっと頭に手を置いた。
彼は、再びアセナさんに目をやると、いら立ちを隠せない様子で。
「もったいぶらずに、早く話したらどうだ!? おまえが犯した罪とは――私に謝罪しなければならぬ理由とは、いったいなんだ!?」
彼女は更に頭を垂れ、数秒ためらってから、思い切ったように口を開いた。
「私は……。私が罪を犯したのは、今から十一年前。セレスティーナ様とギルフォード様に毒が盛られた、あの忌まわしい日の……少し前のことでございます」
「な……!」
短く声を上げた後、ギルは青ざめて絶句する。
私は彼の腕にしがみついたまま、アセナさんの言葉を心の内で繰り返し、同じく言葉を失った。
アセナさんが罪を犯したのは、十一年前……?
ギルとセレスティーナ様に、毒が盛られた日?
それって……。
それってまさか。
あの事件に、アセナさんも関わってたとか……そう言う意味じゃないよね?
心が、スゥっと凍りついて行く気がした。
まだ、そうと決まったワケじゃないのに……彼女の話の続きを聞くのが、怖くて堪らなかった。
私でさえこうなんだから、ギルはきっと、それ以上に怖かったと思う。
いつの間にか、その手は微かに震えていた。
「どう……いう、ことだ……? アセナ、おまえは……おまえはなにを……何を言おうと、して……?」
長い沈黙の後。
気力を振り絞るようにして、ギルはアセナさんに問い掛ける。
彼の手の震えは、徐々に大きくなって行き、動揺の激しさが、直に私に伝わって来た。
それなのに、私はどうしてあげることも出来ない。
ただ、その手を離さぬように、ギュッと握っていることしか出来なかった。
「私は……。十一年前、私は……」
そう言ったきり、アセナさんは再び口を閉ざした。
またしても、長い沈黙が訪れ……その重苦しい空気に、耐えられなくなったのか。
「いい加減にしろッ! いつまで待たせるつもりだ!? 私達を焦らすだけ焦らし、心の内でほくそ笑んでいるのか!?……もう待つつもりはない! さっさと、洗いざらい白状したらどう――っ」
「アナベル様に毒をお渡ししたのは私です!! あのお方に、取り返しのつかない罪を犯させてしまったのは――この私なのですッ!!」
アセナさんの告白は、ギルの言葉を切り裂くように発せられた。
私とギルは瞬時に凍り付き、呆然と立ち尽くす。
そして、再びの沈黙の後――ノックの音が響き、
「お飲み物をお持ちいたしました。入室してもよろしいでしょうか?」
いつもと変わらない、ウォルフさんの穏やかな声が聞こえた。




