第6話 激昂
「それでは参りましょう、アナベル様」
アセナさんがアナベルさんの手を引き、私達の後ろを通って、ドアの外へと消えて行く。
一同は無言のままそれを見送り……凍るような冷たい空気が、しばしその場を支配した。
「すまなかったね。驚かせてしまって。彼女の様子を見て、理解してくれたと思うが……あれが私の、退位する理由だよ」
いつもと変わらないようでいて、少しだけ寂しげな色をも感じさせる笑顔で、国王様は私達を見回す。
ギルは、この部屋に来た時と変わらない真っ青な顔で、僅かに震える体を片手で抱き、放心したように立ち尽くしていた。
しばらくして、
「なん……なんだ、あれは……?」
かすれ声でつぶやくと、顔を上げ、国王様をにらみ付ける。
「何なのです、あのおぞましい姿は!? 人をからかうのも、大概になさってください! あんなものを見せつけて……私達に、いったいどうしろとおっしゃるのです!?」
「……べつに、どうしろなどと言うつもりはないよ。ただ、認めて欲しいだけだ」
「認める? 何を!?」
「彼女が……アナベルが病んでしまっている、ということをだよ。彼女の心は、少女だった頃に戻ってしまったんだ。まだ私と結ばれる前の――共に遊んでいた頃の、無邪気な少女に。彼女はもう、私とダグ――彼の兄と、アセナと……そして、たぶんウォルフ。この四人のことしか覚えてはいまい。少女期に見知っていた人間のことしか、認識出来ない状態なんだ。……わかって欲しい。彼女を、このまま放置しておく訳には行かないんだよ。あの人を、あそこまで追い詰めてしまったのは……この私なのだから」
悲しげに微笑む国王様を、私は複雑な気持ちで見つめていた。
国王様の言いたいことはわかる。
精神に異常をきたすまで、アナベルさんを放置してしまった。――その責任を取るために、早めに隠居して、彼女を中心に据えた生活に移行したいとか……つまりは、そういうことなんだろう。
でも……。
それでも、ギルとフレディの気持ちを考えたら、簡単に受け入れられるものじゃなくて……。
……フレディ?
そうだ。
フレディは今、どんな気持ちで……。
そうっとフレディの方へ目をやると。
彼は、ここに入って来た時と全く変わらない状態で、じっとテーブルの一点を見つめていた。
きっと、彼は私達がここに来る前に、アナベルさんが心の病にかかっていることを、知らされていたんだろう。
だから、あんな風にショックを受けて、青ざめて……。
「……ふざ……けるな……」
その時。
隣から、気持ちを押し殺しているようにも感じられる、暗く、低い声が聞こえた。
反射的に、声のした方へ視線を移すと。
血管が浮くほど拳を握り締め、ブルブルと全身を震わせているギルがいて――次の瞬間、
「ふざけるなッ!! 何が病だ! 何が少女期の記憶しかないだ! そんなことが――そんな都合のいいことが、許されるとでも思っているのかッ!?」
今まで堪えて来た怒りを、全て吐き出すかのように叫んだ。
「……ギル……」
「忘れたと言うのか!? 私の母のことを――母を殺したということを!? あんなひどい殺し方をしておいて、全て忘れたというのか!?――己の罪も!! 嫉妬という醜い感情に支配されていた頃の、愚かしい自分も!! その全てを、忘れ去ったと言うのか!? 自分の息子のことさえも……忘れてしまったと言うのかッ!?」
ビクッと、フレディの肩が揺れた。
目立たないほど小さかった震えが、今の言葉をきっかけとして、誰の目にもわかるくらい大きくなる。
ギルは一瞬、痛ましげな表情で彼を見やると、再び大きな声で、
「冗談じゃない!! 全て忘れただと!? 己だけが、全ての苦しみから、憎しみから逃れ――楽しかった頃の記憶だけに包まれて、のうのうとこれからを生きて行くというのか!? そんなことが……そんな勝手なことが、許されてなるものか!! 私は認めない――っ! そんな無責任なことが、許されていいはずがないッ!!」
心の内を吐き出すと、彼はドアに向かって突進した。
体当たりでもするかのような勢いでドアを開け放ち、部屋から飛び出す。
「ギルっ! ギル、待って!!」
私は慌てて席を立ち、彼の後を追った。
部屋から出たとたん、マイヤーズ卿の鋭い眼光が私に向けられ、一瞬、怯みそうになったけど。
あえて無視して、ギルの姿を探す。
塔に来た時とは逆方向の、薄暗く細い通路に、走って行く彼を見つけ、
「ギルッ!! ギル、待って! お願いッ!!」
背中に向かって叫んだけど、彼は振り向きもせずに行ってしまう。
「ウォルフさん、あとをお願い!」
部屋の中を振り返り、ウォルフさんがうなずくのを認めると。
ギルが走って行った方向を目指し、私は夢中で駆け出した。