第8話 愛情表現という名の暴力
「リナリア様!」
ふいに。
誰かに名を呼ばれたような気がしたけど。
我を忘れ、壊れたおもちゃみたいに叫び続けている私には、声の主を確かめる余裕はなかった。
そんな私の体に、柔らかい布のようなものが被せられ、素早く抱き起こされる。
優しく背中をさすられていることに気付いた時には、誰かの腕の中にいて――。
「……ウォルフ……さん?」
しばらくしてから、恐る恐る顔を上げた私の目に、綺麗なオッドアイが映った。
「申し訳ございません、リナリア様。我が主までもが、このようなことをなさるとは……」
私の体は毛布に包まれ、ウォルフさんの腕に、更に包み込むように抱かれている。
「ウォルフ! またしても私達の邪魔を……。余計な真似はするな! これは私とリアの問だ――っ」
「いいえ、我が君! こればかりは、黙って引く訳には参りません! あなた様が今、リナリア様になさろうとしていたことは、愛情表現などではございません! ただの暴力です!」
ギルの言葉をさえぎり、ウォルフさんの声が飛ぶ。
「な…っ!……なんだと? 暴力だって?」
「はい。その通りです。あなた様がなさっていたことは、暴力以外の何ものでもございません」
「ふ……ふざけるなッ! 私がリアに暴力など振るうものか! 私はただ、残り僅かな時を――共にいられる時を、二人だけで存分に味わおうとしていただけだ!」
「リナリア様のお心を無視なさり、強引に――でございますか? それが本当に、正しいことだとお思いなのですか?」
「そ――っ、……それ、は……」
口ごもって横を向くギルに、ウォルフさんは容赦なくたたみ掛ける。
「もしも、それでも正しいとお思いなのでしたら――私は、あなた様に対する認識を改めなければなりません。泣き叫ぶ恋人を無理矢理に押さえ付け、ご自身の想いを遂げようとなさる行為が、本当に正しいことだと思っていらっしゃるとするならば。私は、あなた様の専属執事という責を解いていただくよう、国王陛下に嘆願しに参ります。そのような非情なお方を主と思い、お側で仕えさせていただきたくはございません」
「な――っ!……ほ……本気で言っているのか、ウォルフ?」
「はい」
一切ためらうことなく返されたとたん、ギルの足元が大きくぐらついた。
「我が君。ギルフォード様。どうか、お心を強くお持ちください。普段のあなた様ならば、リナリア様が心より嫌がっていらっしゃることと、そうでないことの違いなど、容易に見分けられるはずでございましょう? 泣き叫ばれるほどにお心を乱していらっしゃるリナリア様に、決して、無理強いなどはなさいますまい!?」
「…………」
「我が君、しっかりなさってください! ようやく訪れた、穏やかな日常ではございませんか! それなのに何故、ご自身の手で壊そうとなさるのです!? リナリア様というかけがえのない存在を、傷付けようとなさるのですか!?」
ギルは片手で額を押さえると、ふらつく足取りでテーブルの椅子に近付き、倒れ込むように腰を下ろした。
ウォルフさんは、しばらくそんな彼をじっと見つめていたけれど。
やがて、私へと向き直ると、
「リナリア様。お心は落ち着かれましたか?」
穏やかな瞳で覗き込み、優しく声を掛けてくれる。
「あ――。……うん。もう大丈夫。ごめんね、ウォルフさん。迷惑掛けちゃって……」
「迷惑だなどと――。リナリア様が、お気になさる必要はございません。私こそ、主のたび重なる非礼を、お詫びせねばなりません。誠に、申し訳ございませんでした」
「そんな……。ウォルフさんが謝ることじゃないよ。私が、大袈裟に騒いじゃったから……。あの……ホントにごめんなさい」
「リナリア様……」
ウォルフさんは、しばしの沈黙の後、
「この後は、いかがなさいますか? こちらにいらっしゃりたくないようでしたら、しばし、私の部屋で休まれてはいかがでしょう? 少しはお気も和らぐのでは?」
私の気持ちを推し量ってくれたのか、この部屋を出ることを勧めてくれた。
「あ……。うん……」
私は、椅子に座ったままうな垂れているギルの方へ目をやり、少しの間考えてから、微かに首を振った。
「ううん。大丈夫。……この部屋にいる」
「……かしこまりました。それでは、テーブルの上を片付け終えましたら、私は失礼いたします」
「うん。ごめんねウォルフさん。それから……ありがとう」
ウォルフさんは黙って首を振ってから、私を抱き上げ、ベッドの端へ座らせてくれた。
それから、いつものように、手際良く皿やグラスを片付け、用意してあったワゴンに載せている途中。
テーブルの隅に私が置いておいた、ザックスへの手紙に気付き、手に取ると。
「リナリア様。こちらは、リナリア様がお書きになられたものですか?」
「あ……はい。ザックスへの手紙です。なるべく早く、セバスチャンに届けてもらいたいの」
「手紙……。書状でございますね。かしこまりました。至急、届けさせましょう」
ウォルフさんはうやうやしく一礼し、ワゴンを押して出て行った。
部屋には、再び沈黙が横たわり――。
私達は、テーブルとベッドに別れ、それぞれが目を合わせられぬままに、しばらくの間うつむいていた。