第9話 杞憂に終わって
「ねえ、どーしたのギル? なんでそんな、怒ったような顔してるの?」
いつまでも黙り込んだまま、何も話そうとしない彼にしびれを切らし、思い切って訊ねた。
「何故、こんな顔をしているのかって?――当然、怒っているからだよ。腹を立てているからだ」
「怒ってるから?……って、やっぱり大変なことになっちゃいそうなの!? この国に内乱が――?」
ウォルフさんは、そんなことにはならないだろうって言ってたけど。
ギルの予想の方が、当たっちゃってたってこと?
だとしたら、私達は……。
一気に不安が押し寄せて来て、私はすがるように、ギルの肩に手を置いた。
彼は、ハッと私を仰ぎ見た後、何故か、バツが悪そうに目をそらし、
「……いや。そうでは……ないんだ。むしろ、逆……と言うか……」
彼らしくなく口ごもって、心なしか、頬まで赤く染まっているような……?
「逆? 逆ってどーゆー意味?」
「いや、だから……。内乱には、ならなくて済みそう……で……」
「えっ、ホントに? 内乱にはならないの?」
「あ、ああ……」
彼は、ずっと目をそらしたまま。
深くうつむいて、ちっとも、こっちを見ようとしてくれない。
なんだか、後ろめたいことでもあるように思えて、私はムッとしてしまった。
だって、内乱にならずに済むってゆーなら、このテンションの低さは、どう考えたっておかしいし。
何かあるんじゃないかって、疑いたくもなって来るじゃない?
「もうっ、ギルってば! 内乱にはならなくて済んだんでしょ? だったらどーして、気まずそうに顔をそらすのよ? 危機が回避出来たなら、私達、婚約解消しなくていいんだよね?」
「……あ、ああ……そうだね。婚約解消など、する必要は全くない――という話だったよ」
「なら、もっと嬉しそうにして? 不幸な結果にならずに済んだんなら、『よかった~』って感じの顔しててよ! お葬式みたいな顔されてたら、実は、もっと大変なことになってるんじゃ……なんて、心配になって来ちゃうじゃない!」
ギルの煮え切らない態度を見ていたら、なんだか、腹が立って来てしまって。
ついつい、責めるような口調になってしまう。
それでも彼は、まだ沈んだ顔をして、
「しかし、私は……君の前で、散々うろたえて……。君との仲を裂かれるとか、自分は闇に葬られるとか……一人で大袈裟に騒いで、君を不安にさせてしまった。そんな自分が、恥ずかしくて堪らないんだ。いったい、どんな顔をしたらいいのか……」
目をそらせたまま、消え入りそうな声で、ポツポツと語った。
私は一瞬、きょとんとして……。
「プ…っ!」
いけないとは思いつつ、吹き出してしまった。
「リア?……ひどいな。なにも、笑わなくたっていいだろう!?」
彼は傷付いたように顔を赤らめ、軽くにらんで抗議して来る。
私はくすくす笑いながら、どうにか気持ちを抑え込もうと、頑張ってみたんだけど……なかなかうまく行かなかった。
だってギルってば……可愛すぎるでしょ。
一人で大袈裟に騒ぎ立ててみたものの、結局、大事には至らないってわかって、ホッとしたまではよかったんだろうけど。
私に説明する時に、呆れられたり、責められたりしないかって、心配だったんだろうなぁ……とかって考えたら。
もう、彼が可愛くて愛おしくて……我慢出来なかったんだもの。
「ご……ごめんね。笑うつもりはなかったんだけど。……でも、ギルがあんまり――」
「私が?……あんまり?」
――っと。
ここで『可愛かったから』なんて言ったら、また、前みたいに拗ねられちゃうかな? 『可愛い』って言われるの、好きじゃないみたいだし……。
そう思った私は、椅子の背に回り込み、座ったままの彼を、後ろからギューっと抱き締めた。
「リっ、リア――?」
驚いて声を上げる彼の頬に、素早くキスする。
「ど、どうしたんだい? いきなり、君がこんなことをするなんて……」
彼は私の腕を優しくつかみ、戸惑っている様子で、僅かに首を傾けた。
「だって……これからもずーーーっと一緒にいられるんだなって思ったら、嬉しくなっちゃって。……ねえ、ギルは嬉しくないの? 私は、すっごく嬉しいよ? 嬉しくて嬉しくて、跳び上がりたいくらい。内乱も起こらずに済むってことだったし……幸せなことばかりじゃない。だから……ね? もっと二人で、幸せに浸っちゃおうよ」
「……リア」
私の手をそっと体から外すと、彼は片方の手を取り、指先に唇を押し当てた。
「ありがとう。……そうだね。君の言う通りだ。私達は、これからも共に生きて行ける。……そうだ。ずっと一緒にいられるんだ!……ああ、こんなに素晴らしいことはない。私達は、幸せな恋人同士でいられるんだね」
うっとりした声でつぶやいてから、彼は椅子から立ち上がり、私を胸に抱き寄せた。
何度も頭を撫でて、幾度もキスを落として。それから、ギュッと抱き締めて。
「私は、君を失わずに済んだ。君をずっと、これからも……永遠に、愛し続けて行ける。……ああ、よかった。私は、なんて幸せな男だろう――!」
改めて思い知ったとでも言うみたいに。
しみじみと耳元でつぶやかれると、さすがに照れてしまう。
『二人で幸せに浸っちゃおう』なんて言っちゃったのは、私の方だけど……。
こうも素直に受け入れられちゃうと、それはそれで、なんか、こう……調子狂っちゃう、ってゆーか……。
「リア……」
彼は本格的に盛り上がって来てしまったみたいで。
私の頬を両手で挟むと、顔を斜めに傾け、ゆっくりと近付けて来た。
とっさに彼の口元を両手で覆い、私は慌ててストップを掛ける。
「ちょ…っ、ダメっ!……ウォルフさん、さっきから無視しちゃってるからっ!……ねっ? もうこれくらいに――」
「ダメだ。散々私を煽っておいて、それはないだろう? 責任は取ってもらうよ?」
彼は私の両手首をつかみ、強引にキスして来た。
「んっ!……んぅ……っ」
……ああ……。
ごめんなさい、ウォルフさん。
せっかく、ごちそう用意して……さっきから、ずっと待機してくれてるのに。
まるっきり、無視した形になっちゃって……。
ギルが、一度こうなっちゃったら、止めるのがなかなかに難しい人だってこと、すっかり忘れてました。
ホントに、ほんっとぉーーーに、ごめんなさいっ。
ああ……ごちそうが……。
せっかくのごちそうが、冷めちゃう……。
冷え冷えに……。
冷めて、美味しくなくなっちゃうよぉおお~~~っ!
自分で蒔いた種とは言え。
やっちまった感がハンパないなぁ……などと思いながら、私はテーブルの上にあったごちそうの山を、瞼の裏で次々に思い浮かべた。
そして、ウォルフさんの目を気にしながらも。
ほとぼりが冷めるまで、恋人の熱情を、ひたすらに受け入れ続けたのだった。