第5話 事態はいよいよ核心に
……な、長い……。
二人が無言のままにらみ合ってから、どれだけの時間がすぎただろう?
私が口を挟むと、また、ややこしいことになっちゃうかも知れないと、ずっと我慢してたけど……。
「ね……ねえ、二人とも? いつまでそーやって、にらみ合ってるつもり?……えっと……ギル? 確か、急いでるんじゃなかったっけ?」
さすがに耐えられなくなって、恐る恐る声を掛けると。
ギルは一拍置いてから、ハァ~っと深くため息をついて、イサークから目をそらした。
「そうだな。こんなくだらない男を、相手にしている場合ではなかった」
「な――っ! てめえ、誰がくだらねえ男だっ――」
「兄さんッ、いー加減にしてッ!! ちょっとは自分の立場も考えてよッ!!」
また突っ掛かって行きそうな兄の手を、両手でつかんで引っ張り、ニーナちゃんは必死に訴える。
「ニーナ……」
うるうると瞳を潤ませている妹を見て、さすがに反省したのだろう。
イサークは、ぽんとニーナちゃんの頭に手を置き、
「悪ぃ……。また、カッとなっちまった」
ぼそぼそとつぶやくように謝って、彼女の頭をくしゃくしゃっと撫でた。
「もうっ、兄さんったら! 髪が乱れちゃうから、そーゆーのやめてって言ってるのに」
兄を見上げ、素早く目元を拭うと、ニーナちゃんはぷうっと頬をふくらませる。
その仕草が、またなんとも言えず可愛くて。
つい、ふらふら~っと、彼女に向かって手を伸ばしそうになったんだけど。
いきなり後ろから、ギルに、覆い被さるように抱きつかれてしまって。
すんでのところで、私の発作は発動せずに済んだのだった。
「リア。今は『可愛いは正義』とやらはなしだよ。君だって、いきなり彼女に抱きついて、驚かせたあげく、嫌われたくはないだろう?」
耳元でささやくように注意され、私はうっと詰まって肩を落とした。
……確かに。
知り合って数時間しか経ってない女の子に、突然、脈絡もなく(ううん。私からしたら、ちゃんと筋道の通った行動ではあるんだけど)抱き付いたりしたら……。
怯えられて、嫌われちゃう可能性大だよね。
くぅぅ…っ!
残念だけど、ここは我慢して、ギルの言葉に従うしかないか……。
「リア……。なにもそこまで、気落ちすることはないだろう? こうして私が抱き締めてあげているじゃないか。……抱き締める相手が私では、不服かい?」
明らかにガッカリした様子の私に、拗ねてしまったのか、彼は首元に顔を埋める。
瞬間、漏れた吐息が鎖骨の辺りにかかって、くすぐったさに顔をしかめた。
「だっ、だからっ! それとこれとは違う話なんだって、前にも言ったでしょ? いちいちそんなことで拗ねてないで……ほらっ、急ぐんじゃなかったっけ? 話を先に進めなきゃ、なんでしょ?」
胸の上で重ねられている彼の腕を、体からそっと外し、顔を後ろに向けて訊ねる。
彼は、ちょっと傷付いたように口をすぼめて、渋々といった風に、私から離れた。
「……わかったよ。話を進めればいいんだろう?」
不満げにつぶやき、ふいっと横を向く。
……もう。
自分が『早く城に戻らなくては』とか、『早く話を進めよう』とかって、言ってたんじゃない。
だから、横道にそれちゃいけないと思って、促してあげただけなのに……すぐ拗ねるんだから。
思わず、ムッとしちゃったけど。
あんな風に、子供のように拗ねたり甘えたりして来るのは、私を信頼して、大事に想ってくれてるからなんだろうな……。
そう考えたら、妙に可愛く思えて来て。
なんだか幸せで、私はフッと笑みをこぼした。
「おい。私は、貴様を大人しく見逃すつもりはないが……私達を襲った時、貴様は、いつも布で顔を隠していた。顔をハッキリ見ていないのでは、貴様を犯人と断定するわけにも行かないだろう。貴様が私達を殺そうとした、明確な証拠を示せない以上、長く牢獄にいれておくことも――ましてや、死罪とすることなど出来まい」
ギルは再びイサークの前に立つと、いきなりそんなことを言い始めて、その場の全員(あ、ウォルフさんを除いて)をきょとんとさせた。
「不本意だが、そういうことにしておいてやる。罪を、これからどうやって償って行ってもらうかは、リアが考えてくれるだろう。――つまりは、そういうことだ」
「……は? なんだよ、『そういうこと』って?」
怪訝顔のイサークを、ギルは眉間にしわを寄せて一瞥し、
「察しが悪いな。貴様を許すと言っているんだ。シリルが許し、私が許した。後は、弟の許しを得ることさえ出来れば、貴様の罪を裁くのも、罰を与えるのも、全てはリアに一任される。……つまり、この国から出ることを見逃してやる、と……そう言っているんだ」
面白くなさそうに告げてから、腕を組み、照れ臭そうにそっぽを向く。
「ギル――!」
彼が自分の口から『見逃す』と言ってくれたことに感激して。
私は彼に駆け寄って、背中に飛び込むようにして抱き付いた。
「ありがとうっ! ギル、大好きっ!!」
「……この男を許すと言ってからの『大好き』では、素直に喜べないな。もし、私がこの男を許していなかったら……君は、私を嫌いになっていたかも知れない。そういう風にも思えてしまうじゃないか」
「もぉっ! またそんなこと言って!」
私は彼に抱き付いたまま、彼の顔を仰ぐ。
横を向いていた彼は、慌てて正面に顔を戻したけど……頬が微かに赤くなってるのが、ちらっとだけど見えた。
……まったく。
素直じゃないんだから……。
くすりと笑って、もう一度、しみじみとつぶやく。
「ギル……大好き」
「……リア」
彼は答える代わりに、腰に回した私の腕を、両手でギュッとつかんでから、片手だけ上に持って行き、指先にキスした。
「おーおー。まぁたイチャついてやがる。……ったく、懲りねえなあんたら。しょっちゅう、そーやってひっついてて、よく飽きねえよな」
すかさず、イサークが茶々を入れて来たけど、彼はすごく冷静に、
「ああ。少しも飽きることはないさ。私の恋人は、世界一素晴らしい女性だからね。……羨ましいだろう?」
そんな恥ずかしいことを言って、やり込めてしまった。
私はギルの背中側から、ひょこっと顔を出し、イサークの様子を窺う。
彼は悔しそうに顔を赤らめていて、私と目が合ったとたんビクッとなり、慌てたように視線を他に向けた。
「あーあー! やってらんねえ!……これだから、のんきな坊っちゃん嬢ちゃんってヤツぁー!」
「……兄さん、今のは完全に、王子様の――ギルフォード様の勝ちね」
くすくす笑うニーナちゃんを、イサークはキッとにらみ付ける。
「おまえ…っ! こういう時は、兄の側に付くのが、妹の役目ってもんだろうがッ!!」
「え~? そんなの知らな~~い」
「ニーナっ!!」
微笑ましい兄妹のやりとりを、私とギルは、少しの間笑いながら眺めていた。
だけど、ギルはウォルフさんと目が合うと、たちまち真剣な顔に戻って、
「イサーク――だったな? おまえの身柄をリアに預ける前に、訊いておきたいことがある。……答えてくれるな?」
急にそんなことを言い出して、私を現実に引き戻した。
「……ああ。今更、何も隠す気はねえよ。俺が知っていることは、洗いざらい話してやる」
意外なほど素直に応じると、イサークは真剣な顔つきになり、まっすぐギルを見返した。
ギルがイサークに訊きたいこと。
それは当然、イサークにギルを殺すよう命じたのは、誰なのか……ってことに違いない。
そっとギルの背中から離れると、隣に移動し、私は彼の腕にしがみついた。
それから、彼の顔色を気にしながら、二人の話が再開されるのを待った。