第10話 怒涛の誘惑
……え?
さっきの、続き……?
何のことを言われているのか、すぐには思い出せなかった。
さっきのって……。
え……? なん……だっけ?
混乱する私の耳に、ギルの唇が触れた瞬間。
さっき迫られた時のことが、脳裏をよぎった。
――つ、続きってまさか――!?
慌てて逃れようと身をよじるけど、毎度のごとくびくともしない。
それでも頑張って、抵抗を試みていると、
「無駄だよ、リア。私はもう、手加減するつもりはない」
ギルのささやきが、耳をくすぐった。
「てっ、手加減っ?――って、何のっ?……も、もぉっ、またそーやってからかって――!」
「からかっているように見える?……それは困ったな。これ以上、本気を見せなければわからないと言うのであれば……」
彼は少しだけ体を離すと、私の腰に両手を当てて抱き上げた。
「きゃ…ッ? ちょっ、ちょっとギルっ!? 何するのっ、離してっ!!」
米俵でも運ぶみたいにして、私をどこかへ連れて行こうとするギルに、抗議の意味を込めて、必死に手足をバタバタさせる。
でも、全然ダメ。めいっぱい、肩や背中をポカポカ殴っても、これっぽっちも痛がらないし……。
「ちょっとギルってばッ!! 離してって言ってるのが聞こえないのっ!? いー加減にしないと、私だって本気で怒――っ、……っひゃ!?」
弾力のある何かの上に、仰向けに投げ出されたのを理解するのと、ギルが私の顔の両脇に手をつくのを確認したのが、ほぼ同時だった。
私はびっくりして――ホントにびっくりして、彼を呆然と見上げた。
「本気で怒ったらどうするんだい?……いいよ。本気で怒ってみて?」
右手を私の頬に当て、柔らかく撫でる。彼の口元には、薄く笑みが浮かんでいた。
「ギ……ギル……。ふ、ふざけてないで、そこをどいてっ」
「どかないよ。……言っただろう? 『手加減するつもりはない』と」
「て、手加減って、何言――っ?」
優しく額の髪を払うと、ギルはいきなり、そこにキスして来た。そして私が固まってるうちに、今度は頬にキス。
「ギ、ギ……ギルっ? や……、やめ――っ」
「やめない」
「――ひゃっ」
ギルの息が耳に掛かり、思わず変な声が上がった。
彼は少しも動じず、私の耳たぶを唇で軽く挟んだ後、なんと舌でなっ、なっ、……舐め――っ!
「やっ!――は、離してッ!!」
両手で肩を押しやり、両足をバタつかせる。――でも、スカートにギルの膝が居座ってるせいで、全然身動きが取れない。
彼は更に行動をエスカレートさせ、すべるように唇を首筋に移動させると、上から下へ、ゆっくりと舌を這わせて行く。
「ひ…っ!――や、ヤダっ! はなっ、離してッ!!……離れてってばギルのバカァーーーーーッ!!」
動じないのはわかってるけど、反射的に手足をバタバタさせてから、拳で肩を叩く。
ギルはいっこうに気にする風もなく、右手を私の頭の下に差し入れると、軽く持ち上げて唇を重ねた。
「――っ!……ん……」
体中の力が一瞬にして奪われるような感覚に、僅かに震えが走る。
……どーしよう……。
すぐにでも逃げ出したいのに、体に力が入らない。
手が――足が――自分のものじゃないみたいで……。怖くて……。
……気が……遠く……。
「またしてもそのような……。我が君。お戯れも大概になさいませんと、姫様に愛想を尽かされてしまいますよ?」
「――っ!?」
瞬時に私から体をどけて立ち上がると、ギルはドアの方へ顔を向ける。
「ウォルフ! おまえ……菓子を作るのではなかったのか!?」
いつの間にか、ウォルフさんが部屋に入って来ていたらしい。
彼は飄々とした様子で、
「はい。作って参りましたが?」
当たり前のことのように答える。
「な――っ!……う、嘘だっ! それにしては早すぎ――」
「お食事の前に、あらかじめ生地だけ作っておいたのです。後は成形して焼くだけでしたので」
「……お……おまえ……。よ、用意周到すぎるだろう! 私はてっきり――!」
「時間が掛かるであろうことを考慮なさり、私の居ぬ間に、姫様に良からぬことをなさろうとした――とでも、おっしゃるおつもりですか?」
「よっ、良からぬこととはなんだ! 私はただ――っ」
ようやく体を起こした私は、まだクラクラする頭でウォルフさんに目を向けると。
彼はやれやれという風に首を振り、肩をすくめた。
「まったく。人間という生き物は、盛りの時期が長くて大変でございますね」
「さ――っ!?……げ、下品なことを言うなっ! 今と言い先ほどと言い、おまえという奴は……! もう少し、気を利かせるってことを覚えたらどうだ!?」
拳をふるふるさせつつ怒るギルをよそに、ウォルフさんはスタスタと私に歩み寄ると、その場でひざまずき、
「我が主が失礼を働き、申し訳ございませんでした。どうかお許しください」
「ウォルフ! おまえ――っ」
何か言おうとするギルを振り向きもせず、ウォルフさんは私を見上げた。
「長い間恋焦がれていた姫様に、再びお会い出来たことで、ギルフォード様は、少々ご自身を見失っておられるのです。普段の主は、決してこのように……お相手の心情を無視なさり、事を進めるようなお方ではないのですが……」
「む、無視してなどいない! 失礼なことを言うな!」
「……主はこのように申しておりますが、姫様はどのようにお思いでいらっしゃいましたか?」
「――え?……あ、あの……」
ウォルフさんとギルに見つめられ、私は落ち着きなく視線をさまよわせた。
「お見受けしたところ、ギルフォード様が強引に迫っていらっしゃるようでしたが……姫様は、ご不快ではございませんでしたか?」
重ねて訊ねられ、私は改めて、自分の抱いていた感情を振り返ってみる。
不快……だったのかな?
……確かに『イヤ』とは言ったけど、不快ってゆーよりは……。
「不快……ってワケじゃ、なかったけど……」
「ほら。リアだってこう言って――」
ホッとしたように微笑むギルから目をそらし、
「でも……」
私はポツリとつぶやく。
「でも――?」
優しく問い掛けるウォルフさんに、励まされるようにして、
「……怖かった」
思い切って、正直な想いを打ち明けた。
「え……」
冷水を浴びせられたように、ギルは絶句する。
ウォルフさんは彼を振り返り、
「……このように、姫様はおっしゃっていますが?」
静かに告げると、うろたえたように数歩後ずさり、ギルはガックリと肩を落とした。