第13話 のんきな二人?
男の手が襟元のボタンに触れた瞬間、
「姫さんっ、そのまま動くんじゃねえぞっ!?」
どこからともなく、イサークの声が降って来て、ハッとして顔を上げた。
えっ、なに!?
動いちゃダメって、そんなことわざわざ言われなくても、さっきから動ける状態じゃないんですけどっ!?
どこから話し掛けているんだろうと、周囲に視線を走らせてみたけれど。
はがい締め状態では、自由になる部分が少なすぎて、私には、イサークの姿を見つけることは出来なかった。
「なっ、なにっ!?……どこだ!? どこにいやがるっ!? いったいどこか――っ、らあッ!?」
頭上で奇妙な声がし、何事かと顔を上げると。
私をはがい締めにしていた男からの拘束が、ふいに解かれた。
「――え?」
驚いて振り返った私の目に、はがい締めにしていた張本人と思われる男が、地面で大の字に倒れている姿が映った。
慌てて前を向くと、今度は、もう一人の男が、地面にうつ伏せに倒れている。
何が起こったのかわからず、私が呆然としていると、
「おいっ、ボーっとしてんじゃねえ!――こっちだ!」
いつの間に側にいたのか、イサークが私の手を引き、森の方へと走り出していた。
「イサーク!……よかった。無事だったんだね」
ホッとして笑みをこぼすと、彼は厳しい顔つきで振り返り、
「バカかあんたはッ!? 人のこと気にしてる場合じゃねーだろッ!?――ったく、どこまでものんきな女だな。ちったぁ、危機感ってもんを持てよ!」
頭ごなしに叱り付け、握る手にギュッと力を込める。
う――っ。
……なにも、そんな言い方しなくても……。
私はただ、イサークとニーナちゃんが、心配だっただけなのに。
たちまちムウっとなって、私は彼の背に向かって言い返した。
「ちょっと、そんな言い方ってないでしょっ? 心配してたから、無事がわかって、ホッとしただけじゃない!……それに、のんきってなによ、のんきって!? 私、のんきなんかじゃないし! ちゃんと危機感持ってるしッ!」
私の言葉には一切答えず、家から少し離れた場所まで来たイサークは、私の手を離し、走って来た方向に体を向けた。辺りを窺いながら、体勢を低くし、身構える。
「今は、あんたとあれこれ言い合ってる暇はねえよ! ケガしたくなかったら、俺の後ろでじっとしてろ!」
彼は私を背にかばい、追い掛けて来た男二人を待ち構えるかのように、剣を前方へと突き出した。
「……あれ? イサーク、剣なんか持ってたんだ? いつもナイフなのに、珍しいね」
剣を構えている姿が新鮮に映って、思わず訊ねてしまった。
……いや、新鮮とかって、思ってる場合じゃないか。
こんなとこかな、『のんき』って言われちゃうのは……?
思わず、反省しそうになったけど。
……いやいや。反省してる場合でもないんだって。
「家ん中で襲って来た連中から、奪い取ってやった剣だ。ナイフの方が慣れちゃあいるが、多人数とやり合うには、予備も持っといて損はねえからな」
私の心中なんか知りもしないイサークは、冷静に答えてくれる。
……あ、ううん。
べつに、心の中を知って欲しいワケじゃないんだけど。
知られたら知られたで、ひどいこと言われそうだし……。
――って、違うでしょ!
今は、そんなことどーでもいーんだってば!
私は軽く頭を振り、気合を入れるため、自分の頬をパシンと叩いた。
「あ?……なにやってんだ、あんた?」
男二人に注意を払いつつ、私の異様な行動に気付いたイサークは、顔だけ少し後ろに向け、不審げに眉根を寄せる。
私は慌てて笑みを浮かべ、『なんでもないっ! こっちのこと』とごまかした。
それから話題を変えるため、ふいに頭に浮かんで来た疑問を口にする。
「そっ、そーだ! そんなことより、家に四人入ってったはずだけど……まさか、一人で全員倒しちゃったの?」
イサークは背中を向けたまま、『まあな』と、あっさりと肯定した。
「――けど、殺しちゃいねえぞ? 当て身食らわしたり、手を狙って、しばらく剣を握れないようにしてやっただけだ」
「そんなことわかってるよ。さっき、やり直せるって話をしたばかりなのに、人殺しちゃったら、全部台無しになっちゃうじゃない。いくらなんでも、あなたはそこまでバカじゃないでしょ?」
「な――っ! バカって言うな! 俺は、バカって言われるのが一番嫌いなんだよッ!」
急に体をこちらに向けて、イサークは顔を真っ赤にして言い放つ。
その剣幕にポカンとした後、私はムッとして言い返した。
「バカなんて言ってないってば! 『あなたはそんなバカじゃないでしょ?』って、訊いただけ!」
「だから、バカバカ言うなっつってんだよッ!! 言われただけで腹が立つんだって!!」
「な――っ」
思わず絶句して、まじまじと彼の顔を見つめる。
……なんなのこの人?
いきなり、くだらないことで怒り出して……。
『バカ』って、口に出すだけでも腹が立つ?
……まったく。
あんたはどこぞの小学生かっ!?
「逃げてる途中で、何言い出すかと思ったら……。あなた、いったい幾つなのよ? バカって言葉に大袈裟に反応して、勝手に怒り出して――。危機感が欠如してるのは、そっちの方なんじゃないのっ?」
「なにぃっ!?」
「なによッ!?」
私とイサークは向かい合って火花を散らし、今や、追って来た男達のことなど、完全にスルーしていた。
「だいたいがなぁ、あんた、決まった男がいるクセに、隙がありすぎなんだよッ! そんなこったから、俺にもあの連中にも、襲われそうになっちまうんだろーが! ちったあ自覚して、用心しとけってんだこのバカがっ!」
「な……っ、なによそれっ!? そんなこと、あなたに言われる筋合ないしっ!……そっ、それに、隙なんて作った覚えないわよ! ちゃんと用心だってしてるしっ!」
「はあっ!? どの面下げて言ってんだ!?……用心してるぅ!? 首元に、そんな目立つ痕付けられて、隠しもせずにのほほーんと歩いてる女が、隙がないとか笑わせるぜ!」
「こっ、これは――!……あ、あなたにいきなりさらわれちゃったから、隠す暇なんてなかっただけでしょっ?……第一、自分の首元なんて見えないし……。服を引っ張られたりでもしない限り、襟とか髪に隠れて、他の人には気付かれないって思ってたんだもん!」
「隠れてねえよッ! 動くたびに目に入っちまって、うっとーしーったらねーんだよッ!……いいか? あんたの男によく言っとけ! 人目に触れるところに痕なんざ残して、自分の女だって、大っぴらに主張したかったんだろうがなぁ? それで引く男もいるこたぁいるが、逆に、ムラッと来ちまう男だっているんだよ! そんなヤツ相手じゃ、むしろ、そんなもんは逆効果だ! あんたと同じで、世間知らずの王子様によーく言っとけッ!」
「――っ!」
私は両手で首元を押さえ、恥ずかしさと悔しさで、涙が滲んで来た。
……そりゃあ、私は世間知らずかも知れないけど……。
ほんの少し前までは、キスマークの意味も知らなかったし。そう思われても、仕方ないのかも知れないけど……。
でも、なにもギルのことまで――そんな風に、バカにすることないじゃないッ!
「バカバカっ! イサークのバカッ!! ギルのことなんてなんにも知らないクセに、勝手なことばっかり言わないでよッ!」
「な――っ!……バカバカ何度も言いやがってこのアマ……ッ! 知らなくたって、それ見りゃ簡単にわかんだろうがッ! あんたの男は、嫉妬深くて独占欲の強い、ただの世間知らずなお坊ちゃんだッ!!」
「な――っ!……な……な、なぁんですってぇえええっ!?」
まさに一触即発。
二人の間にバチバチバチッと火花が散りまくった瞬間、
「てめえらッ、いい加減にしろぉおおおおおおッ!!」
耳をつんざくほどの絶叫が、その場を切り裂いた。
「さっきから黙って聞いてりゃあ、調子に乗りやがって……。オレらの存在、まるっきり無視してんじゃねーよッ!! ナメやがってこの野郎共ッ!!」
……いえいえ。
イサークはともかく、私は女なので、『野郎』ではなく『女郎』です。
――とか言ったら、ますますキレられるだろうな……。
放って置かれた屈辱に、ワナワナと体を震わせる男二人を前にして。
そんなどーでもいいことを考えている私は……やっぱり、ちょっとのんきなのかも知れない。