第9話 交渉
男と私の主張はどこまで行っても平行線って感じで、いっこうに折り合いがつかなかった。
私がいくら『こんなことからは手を引いて、真面目に働いて』って言っても、
「真面目に働いて、食ってけるだけの金が稼げるなら苦労しねえ」
「何も知らねえお姫様が、勝手なこと言ってんじゃねえ」
とかって、一蹴されちゃうし……。
「そりゃあ、私はこの世界のこと、まだよく知らないってゆーか、勉強不足なとこはあるけど……。でもっ、真面目に働いても暮らして行けないなんて、おかしいじゃないっ! そんな世界は間違ってるよ!」
「ああ、間違ってるな。けど、それが世界ってもんなんだよ。いくら下のもんが訴えても、嘆いても、誰も聞いちゃくんねえし、助けてもくんねえ! おまえらみてえな貴族様は、貴族様のまま。俺らみてえな貧乏人は、一生貧乏人のまま! それが世の中ってもんなんだよ!」
「おかしいよ! おかしいって思ってるなら、なんとか変えられる方法を考えればいいじゃない! 最初っからそんな風に諦めてたら、変えられるものも変えられないまま、一生が終わっちゃうよ?」
男はチッと舌打ちして、呆れた口調で反論する。
「これだから、世間知らずのお姫様ってヤツぁ……。変えるったって、どうやって変えるんだ? 生まれた時からの身分は、一生変えらんねえ。特別抜きん出た能力があるってんなら、国に召し抱えてもらって、一生食うに困らねえ生活が出来るそうだが、そんなヤツぁ、ほんの一握りしかいねえ。騎士になるんだって、中流以上の家に生まれたヤツじゃなけりゃあ、見習いになる試験すら、受けさせてもらえねえと来てる。成り上がる可能性を与えられてるヤツなんざ、国宝級の能力者か、そこそこの家柄の出のヤツか、どっちかに限られてんだ。そんな世の中で、どうやって最下層のヤツらの暮らしを、変えられるってんだよ?」
「えっ? 騎士になるのって、家柄とか関係あるの? 才能があれば、誰でもなれる……ってワケじゃないんだ?」
「なれねえよ! どんなに能力があろうが、どんなに腕磨こうが、中流以下のヤツは、一生騎士様になんざなれねえんだよ! 姫様ってのは、そんな簡単なことすら知んねえのか?」
呆れるを通り越し、怒りの感情が湧いて来てしまったらしい。男は鋭い眼光で私をにらみつけた。
「それは……。ごめんなさい。知らなかった」
自分の勉強不足が、恥ずかしかった。
呆れられて――ううん、怒られて当たり前だと思った。
……そうよ。
カイルにも、何度も言われたのに。『身分の差は絶対』だって……。
なのに、そんな想像すら出来てなかったなんて……私って、ホントにバカだ。
この世界は、 徹底して身分社会なんだ。
この人達が、どんなに身を粉にして働いたって、頑張ったって……具のほとんど入ってない、スープ中心の食事。それを維持して行くのがやっと。……そんな生活しか出来ないんだ。
こんなの、絶対おかしいのに。
頑張ってる人達が幸せになれない――普通にすら暮らせない世界なんて、絶対に間違ってるのに。
苦しんでる人達を前にしても、私は何も出来ないなんて……。
男の言った通りだ。
私はなんて無力なんだろう。
恥ずかしくて、顔が上げられなかった。
助けたいのに助けられない。――そんな自分が情けなくて、悔しくて……泣けて来そうだった。
「おい。勝手に騒いで、勝手に落ち込んでんじゃねえ。――迷惑なんだよ」
不機嫌そうに言い放たれ、よけいに、うつむくことしか出来なくなる。
「ご……ごめんなさい……」
「あーーーっ! だから、それが迷惑だっつってんだろうがッ! 上流階級の天上人が、どんな生活してるかなんざ、俺には全く想像もつかねえけどよ。あんたはそうやって、余計なことは知らなくていいってんで、育てられたんだろ? だったら、あんたに罪はねえよ。教えようとしなかった、周りのヤツらが悪ぃんだ」
「……えっ?」
予想外の言葉に、私はびっくりして顔を上げた。
瞬間、男はビクッとして、僅かに顔を赤らめ、気まずそうにそっぽを向く。
今の……慰めてくれたんだよ……ね?
……まさか、この人が……こんな風に、優しいこと言ってくれるなんて……。
「な、なんだよ!? 妙な顔で見んじゃねえよッ!!」
男はチラッと、私の顔を盗み見て。
私がじーっと見つめてるのに気付くと、更に顔を真っ赤にした。
……やっぱり、この人は――根っからの悪人じゃない。
妹と二人、もうちょっと楽な生活がしたくて……ううん、この人の場合、たぶん、自分のことなんて考えてない。妹に、もうちょっとマシな生活をさせてあげたい一心で、悪の道に、片足を突っ込んじゃったんだ。
……きっとそう。
確かめたワケじゃないけど、そういうことに違いないって、何故か確信出来る。
「……ねえ。あなた、今まで……何人の人を殺して来たの?」
唐突な質問だったけど、それがどうしても知りたかった。
「な、何人って……」
「そんなこと、誰にも教えたくないだろうけど……。お願い。教えて」
私は彼の服の袖を少しだけつまみ、まっすぐに男を見つめる。
男はギョッとしたように、手を引っ込めようとしたけど、私が真剣なのを感じ取ったのか、少しの間を置いた後、正直に答えてくれた。
「まだ、誰も殺してねえよ。……いや、違うな。あんたの護衛のガキは、今どうなってんのか知んねえし。あんたの大事な男にも、その弟にも――俺は、確実に致命傷を与えたはずだ。第一王子が生きてたってのが、未だに信じらんねえが……。だが、今度こそ手応えがあった。第二王子は死んでるはずだ。だから……護衛のガキが生きてっとすんなら、ようやく一人、だな……」
「……一人……」
じゃあ……シリルは生きてるんだし、フレディさえ無事なら、この人はまだ、誰も殺してないってことになる。
だったら……だったらまだ間に合う――!
「もうやめよう? フレディは、きっと生きてる。だからまだ、あなたは人を殺してない! きっとやり直せるよ! あなたがちゃんとやり直せるように、私、支援するから!」
男の手を取り、両手でギュッと握り締めて訴える。
男は目を見開き、呆然と私を見つめてたけど、すぐにハッとして、怪訝顔で私を見返した。
「はあ!? なに言ってんだ、あんた? 支援するだあ?」
「うん! あなたさえよかったら、私の国に来てほしいの。この国のことはわからないけど、私の国なら、力になれることあると思うし!……ううん、絶対力になる! 約束する! だから――だからお願いっ。ニーナちゃんと一緒に、ザックス王国に来て!?」