第1話 余韻に浸る暇もなく
途中で一度、ウォルフさんがドアをノックをして。
少しギルと話して、夕食だけ置いて去って行った――ということは、なんとなく覚えてる。
でも、その後の記憶は曖昧で……。
確か、最後にギルが私を抱え上げて、体を綺麗に洗い流してくれてから、またベッドに運んでくれたような……気がする、けど……。
それがホントにあったことなのか、はたまた、夢の中での出来事だったのか。
正直、断言するだけの自信はなかった。
ただ、ハッキリと目を覚ました時、隣にギルの姿はなくて――。
遠く、微かに水音を聞きながら、私はのろのろと半身を起こした。
とたん、自分が何も身に着けていないことに気付く。
一気に体温が上昇し、私は両手で体を抱えて縮こまった。
体が重い。
ところどころに鈍い痛みが残っていて、なんとなく心細い。
辺りを見回すと、サイドテーブルに、真新しい衣類が置かれているのに気が付いた。
たぶん、夕食と共に、ウォルフさんが持って来てくれた着替えだろう。
私は這うように近付いて行って、それらを手に取った。
下着、ネグリジェと、それぞれ確認してから、身に着けて行く。
……さすがに、今日のネグリジェはブカブカじゃない。サイズぴったりだ。
苦笑して、私はベッドの端に腰を下ろした。
あの水音は……ギルがシャワーを使ってる音か。
……ってことは、最初に私の体を綺麗にしてくれてから、自分の体を洗いに行ったのかな?
…………え?
ギルに、体を……洗ってもらっ……た?
……そーだ。
思い出した。
あれは夢なんかじゃない。ホントにあったことだ。
私はギルに……彼に、体を……。
今更ながら、強烈な羞恥心が込み上げて来た。
両手で膝を抱え込み、小さく小さく縮こまる。
ヤダ。なんで私……あんなこと許しちゃったんだろ?
いくらボーっとしてたからって、なんであんな……っ!?
それを思い出したことがきっかけで。
昨夜の出来事が、本のページをパラパラめくるみたいに、次々脳裏に浮かんで来ては、通りすぎて行き……。
私は両脚を抱えたままベッドに倒れ込み、右に左に、せわしなく体を動かしたり、手足をバタバタさせたりした。
耐えられないほどの恥ずかしさを、どうにかして吹き飛ばしたかったんだけど……。
当然、その程度では、何の効果もなかった。
私は頭に両手を当て、心のなかで絶叫した。
イヤぁあああーーーーーッ!!
どーして私、あんなこと……あんな恥ずかしさの連続行為に耐えられたのっ?
恋人同士って、ホントにみんな、あんなことしてるの?
私が無知なのをいいことに、いいよーにもてあそばれてたり、騙されてたりするワケじゃないのっ?
……もてあそばれてるなんて。
恋人を疑ったりして、嫌な子だなとは思うけど。
こればっかりは、他の人に訊ねたりも出来ないし……。
ああ……こんなことなら、向こうの世界にいる時、もっと勉強しとけばよかった。
恋とか愛とか、全然無縁なとこにいたから……これっぽっちも、予習しようなんて思わなかったもんなぁ。
せめて、恋愛中心の漫画とか小説とか、手当たり次第に読みあさっておけば、こんなことには……。
……あ。そー言えば。
エレンさん、故郷に幼なじみの婚約者さんがいるって、前にチラッと話してたっけ。
だったら、エレンさんに訊けば、少しはわかるかな?
……って、そんな恥ずかしいこと、よりにもよってあの大人しいエレンさんに、訊けるワケないじゃないッ!!
あああっ、もぉッ!!
このたとえようのない恥ずかしさを、いったいどーやって追い払えばいーのっ!?
誰か教えてぇええええーーーーーッ!!
「あぁあぁあぁ~~~ッ!! ギルが出て来たら、どんな顔して迎えればいいってのよぉおぉおぉ~~~ッ!?」
喚きながら、ぐるんぐるんと横回転し続けていたら、ベッドのヘッドボードに勢いよくぶつかり、
「ぎゃん…ッ!?」
後頭部と背中とお尻を、ほぼ同時に打ち付けた。
うぅっ……なにやってるんだろ、私?
こんなことしてたって、私とギルが……その……。
む――、むすっ、……結ばれた、って事実は、変わりはしないのに……。
べつに、後悔してるワケじゃないんだけど。
どっちにしろ、夜にはそうなる約束だったんだし。予定がちょっとだけ、早まっただけだもん。
あの時は、フレディのところに行かせたくない一心で……ってゆーのもあったけど。
でも、フレディのことがあって……やっぱり、『初めての人はギルじゃなきゃヤダ』って、改めて思ったことの方が、私の中では大きかったんだ。
だから、後悔なんてしてない。するはずもない。
私は……ギルのことが、誰より一番好きなんだから……。
『リア……。愛している』
突然、ベッドの中でのギルのささやきが蘇って来て、全身が熱くなる。
何度も何度も、耳元でささやかれた言葉。
『愛している』なんて、言われれば言われるほど、言葉の意味合いが薄まってく気がするから……ホントはあんまり、言って欲しくはないんだけど。
でも、やっぱり……ギルの『愛している』は、全然軽い感じじゃなくて。心から言ってくれてるのが、すごく伝わって来るってゆーか。
なんとなく、重みみたいなのも感じられて……嬉しいことは、嬉しい……かな……。
それに、『優しくしてあげられないかも』って言ってたわりに、最初は、いつも以上に優しかったし……。
優しくて……とても大切にしてくれてるのが、言葉ではうまく説明出来ないけど、すごく伝わって来て。
幸せで、何度も泣きたくなっちゃった。
伝えたいことは、ちゃんと言葉にしなきゃ伝わらない――って思ってたけど。
言葉じゃなくても……ううん。言葉以上に想いを伝える方法ってあるんだって、初めて知った。
そして、改めて思ったんだ。
ギルを守りたい。こんなにも大切に想ってくれている彼を、彼の心を守りたいって。
……絶対、守ってみせる。
これ以上彼を――彼を誰にも、傷付けさせやしない――!
心に誓った瞬間。
ドアを激しく叩く音がし、ビクッとして飛び起きた。
「兄上ッ、ご無事ですか!?――リナリアッ! リナリアッ!!」
フレディ――!?
「ど、どーしたのフレディっ? 何かあったの?」
慌てて返事すると、険しかったフレディの声が、ホッとしたように和らいだ。
「よかった。無事だったんだな。――たった今、この城に怪しい人間が入り込んだらしいと、報告があったんだ。だから心配になって――」
「怪しい人間!? ホントなのフレディっ?」
「ああ、本当だ。今もどこかに潜んでいるかも知れない。充分、気を付けてくれ!」
「わ、わかった。気を付ける! 教えてくれてありがとう」
「いや。……それより、兄上は? そこにはいらっしゃらないのか?」
「え?――ああ、うん。今、湯浴みしてるみたい」
そう言ったとたん、フレディの声がピタリとやんだ。
「……フレディ? フレディ、どーしたの? 怪しい人でも見つけた?」
「いっ、いや。そうじゃない。……なんでもないんだ。すまない」
再び沈黙してしまった彼が気になって、私は慌ててベッドから下り、ドアの側まで駆け寄ろうとした。
――瞬間。
背後で〝ガシャーーーンッ!!〟と、ガラスが割れるような音がして。
反射的に振り向いた私の前に、大きな人影が立ちふさがった。
「リナリアっ!? なんだ今の音はッ!?――リナリアッ! リナリアッ!?」
フレディの声は、ちゃんと耳に届いていたけど。
あまりのことに声も出せず、私はその人影を見つめるばかりだった。
大きな月を背にしていたから、顔はよくわからない。
――でも、間違いなかった。
その男は、私がここに来る原因を作った、張本人。
私が勝手に『暗殺者』と呼んでいた男だった。




