第3話 悲観の末に
しばらく、重苦しい沈黙が続き。
お互い、身動きひとつせず、対峙していた。
……まるで、深い海の底にいるみたいだった。
息苦しくて、早く水面に顔を出したいともがく、溺れそうな二人――。
「どうして……。何故おまえは、最初から、兄上の婚約者として、僕の前に現れてくれなかったんだ? そうすれば……初めから、手の届かない人だとわかっていれば、こんな気持ちを抱かずに、済んでいたかもしれないのに!」
窒息しそうなほどの緊張を、先に打ち破ったのはフレディだった。
「何故、よりにもよって兄上の――っ。……兄上の恋人だなんて、あんまりだ! これ以上、兄上を苦しめたくなんかないのに……。僕のせいで、傷付いて欲しくなんかないのに! なのに何故――ッ!?」
テーブルに両肘をつき、両手で顔を覆って……悲痛な声で彼は嘆く。
どうしたらいいのかわからず、私は石になったかのように、その場に立ち尽くしていた。
フレディが、こんなにも思い悩んでいたなんて……。
私、自分とギルのことばっかりで……全然、気付いてあげられなかった。
フレディのことも、気にしていたつもりだったけど……。
でも、やっぱり……ギルのことで頭がいっぱいで。
ここまで、私のことを想ってくれていたなんて、考えようともしなかった。
私……。
私、彼になんて言ったらいいの?
ここで謝ったら、よけい傷付けてしまうような気がするし……。
ああ――ダメ!
どうすればいいのか、全然わからない……!!
予想外の出来事に見舞われ、私は混乱し、動転して――。
そのためか、息継ぎがうまく出来なくなり、呼吸が乱れ、胸を押さえてよろめいた。
「リナリアっ!?」
フレディは慌てて立ち上がり、私の元へと駆け寄って来て、
「リナリア、落ち着いて!――落ち着いて、ゆっくり息をするんだ。……そう、慌てなくていい。ゆっくり……ゆっくりとだ」
私の手を取り、背中を優しくさすりながら、心配そうに私の顔を覗き込む。
彼の声に従い、呼吸を何度か繰り返すうちに、息苦しさも薄れ――私は、次第に落ち着きを取り戻した。
「……ありがとう、フレディ。……もう、大丈夫」
微かに笑ってお礼を言うと、彼は一瞬ハッとして――。
急に泣きそうな顔になり、
「リナリア――っ!」
私の名を呼び、力いっぱい抱き締めて来た。
「フっ、フレディ――?」
とっさに彼の肩に手を置き、全身の力を込めて押し返す。
シリルほどではないにしても。その細めの体のどこに、これほどの力が眠っていたんだろうと、不思議に思えるほど、彼の力は強く――。
どんなに力一杯押しやろうとも、逃れることは出来なかった。
「フレディ! お願い、離してっ!」
「嫌だッ!!……嫌だ。嫌だ。……好きなんだリナリア! おまえが好きなんだッ!!」
彼は強引に私の体を押し、後ずさりさせると、彼もろともベッドへと倒れ込む。
そして、拒む時間すら与えてくれぬままに、彼は私の唇を奪った。
「――っ!……んっ、んぅ……っ」
唇を強く押し当てるだけのキスだったけど。
彼がこんなことをして来るとは、想像すらしていなかった私は、ショックで一瞬、頭が真っ白になった。
その隙に、彼の行動はエスカレートし、唇の形をなぞるように舌を這わせると、口中へ差し入れようとして来る。
私は必死に彼の体を押し、顔を背けて叫んだ。
「やめてッ!! やめてフレディ!――お願いッ!!」
私の言葉を聞き入れることなく、彼は首の後ろに手を回して、ボタンを外そうとし、
「ヤっ!……ヤダッ!! やめてよフレディ!! こんなの…っ、こんなのあなたらしくないッ!!」
叫んだとたん、彼の体はビクッと揺れて静止した。
「……僕らしく、ない……?」
今まで聞いたことがないくらいの、暗く、低い声でのつぶやき。
彼はゆっくりと顔を離すと、あざけるように私を見下ろした。
「僕らしくない、だと?……よくもそんなことが言えたものだな。僕のことなど、何ひとつ知らないクセに。……兄上のことばかりで、僕のことなど、ちっとも考えてはいないクセに――!」
彼の両目から溢れ出した涙が、私の顔の上にポタポタと落ち、頬を伝って耳たぶへと移り、髪に染み入る。
彼の絶望が。孤独が。
ギルに対する愛情、羨望、嫉妬や後悔――その他様々な感情が、一気に流れ込んで来て。
一時、拒むことも忘れ、私はただただ呆然と、彼の顔を見つめていた。
「おまえに、僕の何がわかるって言うんだッ!? 何も知らないクセに、勝手なことを言うなッ!!……僕は、おまえや兄上とは違う。相思相愛で結ばれ、一生添い遂げられるような――幸せで、恵まれた者達とは違うんだ!……いつか、好きでもない相手と引き合わされ、世継ぎを残すためだけの、望まない契りを結び……そうやってずっと、儘ならぬ生涯を送るのが僕だ! 心から愛する人と共に生きるなど、とうてい叶わぬ夢なんだ! だったら――だったら、せめて――全ての初めては、好きな人と経験させてくれたっていいじゃないかッ!!」
彼は思いの丈を吐き出すと、再び唇を重ねて来た。