第7話 後悔の涙
「――っ!」
バスルームを出たとたん、ギルが足早に近付いて来た。
それを見た私は、思いきり体を引いて、ドアに背中と後頭部を打ち付けてしまった。
「リア!……大丈夫かい? 今、すごい音がしたが――」
更に歩く速度を上げて私の前まで来ると、ギルは気遣わしげに眉根を寄せる。
打ったところ(特に後頭部)がジンジンと痛んだけど、私は大きく首を横に振った。
「だ、大丈夫ですっ。平気ですっ」
「……本当に? 無理はしていない?」
ギルはそっと手を伸ばし、私の後頭部を、何度も優しく撫でてくれる。
「ほ、ホントにだいじょーぶですっ! ギ、ギルはいつも、何もかもが大袈裟すぎる、から……」
すぐ目の前にある顔を、直視出来ない。
こんなことくらいで、ドキドキしてる場合じゃないのに……。心臓が勝手に大騒ぎし始めて、どうしていいかわからなくなる。
「私が大袈裟になることがあるとすれば……それは、リアに対してだけだよ。誰よりも君が大切だから……些細なことでも、気になってしまうんだ」
ギルは私の後頭部に右手を置いたまま、左手で私の頬に触れ……切なげな瞳で見下ろす。
「う……嘘ばっかり。誰よりも私が大切、なんて……」
「嘘? 私は嘘などついていないよ。何故、そんな風に思うんだい? 未だに君は……私を信用してくれていないのか?」
ギルの顔が迫って来て、とっさに顔をそらせてしまう。彼はそれを許さず、両手で私の頬を包むと、強引に上向けた。
「目をそらさないで、私をまっすぐ見てくれ。……こんなにも……これほどまでに君を想っているのに、何故君は、いつもそうやって私を避けるんだ!?」
「さ……避けてなんか、いな――」
「嘘だ! それこそ嘘だよ。そうだろう、リア? 君はちっとも……私を正面から見ようとしてくれない。いつも避けるか、ごまかすか――拒むかだけだ。さきほどは珍しく、君の方から『会いたかった』と言ってくれて、すごく嬉しかったのに……。またそうやって、元に戻ってしまうのか? 私はいつまで――!」
そこで一息つき、辛そうに目をそらすと、
「いつまで、待てばいいんだ……?」
彼は弱々しくつぶやいた。
「……ギル……」
胸が詰まって、言葉が出て来ない。
私だって……。
私だって、ホントは正直に――素直に、『私もギルが誰より大切』って言いたいよ。
ギルがそんな風に想ってくれてて嬉しい。ありがとう。……って伝えたいよ。
でも――っ。
でも、私は……ギルを裏切っちゃったから……。
ギル以外の男性からのキスを、黙って受け入れちゃったから……。
こんな私……。
こんなひどい人間が、素直に好きな人の胸に飛び込んでくことなんて、出来っこないじゃない!!
私だって言いたい。言いたいよ……。
『ギルが好き』『ギルが大好き』って……心の底から叫びたいんだよ――ッ!!
「リア……。また君は……」
ギルの悲しそうな声が、胸に突き刺さる。
『また泣いてごまかすのか?』……そう言われた気がした。
「わっ、私だって、泣きたくなんかない! 泣きたくなんか……な、泣きたくなんか――っ」
瞬間、私の唇を彼がふさいだ。
指でも手のひらでもない。彼の唇で……。
「――っ、ん……んぅ――っ」
びっくりして、両手で体を押しやろうとしたけど、これっぽっちも動きやしない。
それどころか、私の体を押え込むように抱き締め、更に強く、唇を押し当てて来る。
「ん――んっ、ん……」
苦しくて、息が出来ない。体がしびれるようで……熱くて……力がどんどん、吸い取られてくみたい……で……。
私はいつしか抵抗を止め、彼の体に身をゆだねていた。
頭がぼうっとして、何も考えられない。拒みたいのに、まるで力が入らなかった。
しばらくして唇を離すと、ギルは上気した顔に、熱を帯びた瞳で私を見つめ……。
「リア……」
ささやくように名を呼ぶと、再び顔を近付けて来た。
トン、トン、トン。
何かを叩くような音がし、ギルはハッとしたように体を離して振り向く。
「お取り込み中のところ、申し訳ございません。お食事の用意が整いましたが――いかが致しましょう?」
いつの間にか、ウォルフさんが食事の載ったワゴンの横で控えていて――表情の読めない顔で問い掛けた。
「……ウォルフ……」
ギルはバツが悪そうに顔をしかめると、『……無粋だぞ』と小さくつぶやいた。