第7話 指輪を預ける時
「リア……?」
彼の手が、おずおずと私の頭に置かれる。そのまま撫でてくれることを期待したけど……ダメだった。
私は少しガッカリしながら、先を続けた。
「アセナさんが、『澄ましたあなたより、情けなくてみっともないあなたの方が好き』って言った時……私、なんだかモヤモヤしたし……。彼女の『好き』は、『まだマシ』って意味での『好き』なのかなとは思ったけど、やっぱり嫌だったもん。アセナさんにキスされた後に、ギルがキスして来た時も……すごく……すっごく嫌だったんだから! アセナさんとギルが、間接キスしちゃった気がして……ホントに、すっごくすっごく傷付いたんだからねっ!? ギルが、私以外の女の人とキスするなんて、絶対ヤダ。そう感じた時、初めてわかったの。私は今まで、ギルのこと……それ以上に傷付けてしまっていたんだって。……嫉妬が、ここまで人を嫌な気持ちにさせるものだなんて、自分が経験してみるまでわからなかった。わかってる気でいたけど……でも、想像なんかじゃ全然足りないほど、すごく醜い感情なんだって思い知った」
今思い返してみても、まだモヤモヤするしムカムカする。
嫉妬って感情は、本当に厄介なものだと、改めて感じ入っていると。
困っているような、ギルの暗い声が頭上で響く。
「リア……。私が言っているのは、その程度の軽い闇ではないんだ。私の醜さに比べたら、君の嫉妬など可愛いものだ。私の闇は、君が思っている以上に深――」
「心の闇に、軽いも重いも、浅いも深いもないよッ!! そんな不幸自慢なんか聞きたくないッ!!」
正直な気持ちを伝えたとたん、彼の手がピクリと反応した。
「……不幸……自慢……?」
「そーだよ! ギルの心の闇とやらが、どんなに大きかろーが深かろーが関係ない! 私にだって、心の闇はちゃんとあるし! ギルだけが特別ってワケじゃないんだからねッ!?」
「……特別じゃ……ない……」
「そーだよ! みんな多かれ少なかれ、そんなもの持ってるし、抱えてるよ! 大きいか小さいかなんて、比べたって意味ない! あるかないか、重要なのはそこ! みんなみんな、闇はあるの! ない人なんていないの! だからみんな――っ、みーんな一緒なのッ! ギルなんか全ッ然、特別なんかじゃないんだからッ!!」
「…………」
考え込んでいるのか。ショックを受けているのか。
そのどちらかか――それとも、どちらも見当外れなのかは、わからなかった。
彼はそれっきり沈黙してしまい、長い――長い沈黙が続いた。
彼がどんな表情をしているのかが気になって、私はそうっと体を離し、顔を上げて彼の様子をうかがった。
「……ギ……ル……?」
彼は、まるで涙を堪えてでもいるかのように、唇を噛み締めていた。
私と目が合うと、フッと微笑み、
「『不幸自慢』、か……。そんな言い方をされたのは、初めてだよ。……まったく。君は……本当に不思議な人だ」
愛おしそうに、私の頬を何度も撫でる。
それが堪らなく嬉しくて、彼の手のひらに自ら頬をすり寄せ、親指の腹辺りに、軽く唇を押し当てた。
「……リア!」
彼は私を掻き抱き、頭上へと繰り返しキスを落とす。
それから再び体を離して、私の頬を、両手で包み込むようにして上向けると、
「リア。……キスしても、いいかい……?」
切なく笑って、心細げに訊ねた。
『改まって訊かれると恥ずかしいな』なんて思いながら、小さくうなずくと、ほとんど間を置かずに、彼の顔が近付いて……唇が重なる。
最初は、軽く触れるだけのキス。それを何度か繰り返し、深いキスへ……。
その間、気が遠くなりそうな感覚に、幾度も翻弄されながら。
私は必死に意識を保ち、彼の熱情を受け止め続けた。
それでも、なかなか懐から解放してくれない彼に、私の意識は、次第に途切れ途切れになり、息が上がって来て……。
気が付くと、私はベッドに横になり、ぼんやりと彼を見上げていた。
「……リア。悪いが、もう止められない。指輪を預からせてくれないか……?」
……指……輪……?
指輪、って……。
朦朧とした意識の中、私は何度か、大きく呼吸を繰り返して……ようやく、その意味を思い出す。
指輪をギルに預けるということ。――それはつまり、私とギルが……。
「――っ!」
一気に全身が熱くなり、私は彼の気持ちを見極めるため、じっと瞳の奥を覗いた。
彼は私の前髪をすくように撫で、黙って返事を待っている。
いつもだったら、『いい加減、しつこい――!』なんて言って大騒ぎして、彼を拒んで、突き放してるところだけど……。
でも、今は……。
どうしてだろう。彼を拒む気にはなれなかった。
無理してるワケじゃなく……観念するとか、諦めるとか、そーゆーんでもなくて……。
私も、もっと彼を知りたいと思った。もっと深く知りたいと願った。
肌を合わせることで、ほんの少しでも、彼の新しい何かがわかるというのなら……拒む理由はない気がした。
「……リア。返事を聞かせてくれ――」
ささやくように問い掛けられて、返事しようと口を開いた。だけど、口の中がカラカラで、うまく声が出せそうにない。
そこで私は、彼の目をまっすぐ見つめたまま、小さくうなずくことで返した。
「……ありがとう」
彼はホッとしたように微笑んで、私の薬指からするりと指輪を抜き取り、サイドテーブルの上に置いた。