第6話 挑発の理由
――部屋中に、アセナさんの笑い声が響き渡ってる――。
笑いの合間合間に、『ギルフォード様がブザマに倒れたわぁー!』だの、『お姫様サイコー!』だのと甲高い声を上げ、椅子にくくり付けられたままの手足をバタバタさせて、アセナさんは一人で大喜びしていた。
私はギルを思い切り突き飛ばした後、とにかく恥ずかしくて堪らなかったから、胸を隠すようにして、膝を抱えてうずくまった。
ギルは、運良くベッドの上に倒れ込んだみたい。
でも、怖くて顔が上げられなくて、今、彼がどんな様子でいるのかはわからなかった。
……またやっちゃった……。
また、恥ずかしいからって、ギルに八つ当たりしちゃった。
こんなこと、したくてしてるワケじゃないのに。
なのにどーして、いっつもこんな感じになっちゃうんだろ?
さすがに、今度ばかりは、ギルも怒っちゃったかな……?
そーだよね。
いくらギルが、女性に優しいからって(何故かアセナさんは例外っぽいけど)、何度も叩かれたり突き飛ばされたりって、ひどい目に遭わされてたら、平気でいられるはずないよね。
怒って、呆れて……もしかしたら、愛想尽かしちゃってるかも……。
考えたら、急激に怖くなって来た。
自分が悪いんだから、そうだとしても自業自得だけど。
でも、私だって、こんなネグリジェさえ着てなければ――!
……そーよ。サイズの合わない、このネグリジェが悪いのよ。
これさえ、私にピッタリのサイズだったら、何度も恥ずかしい目に遭わなくて済んだし。
ギルだって、何度も私に叩かれたり突き飛ばされたり、胸元見たって、疑われたりしなくても済んでたのに!
散々お世話になっといて、こんなこと言うのは失礼だとは思うけど。
ウォルフさんさえ、ちゃんとしたサイズの服を、用意してくれてたら……。
……って、ダメダメッ!!
なにウォルフさんにまで、イチャモンつけてんのよ、私のバカッ!!
ウォルフさんだって、好きでこんな失敗したワケじゃないんだから。彼に責任転嫁するのは、筋違いってもんでしょっ!?
あーもー、ヤダ……。
どんどん醜い精神状態になってく……。
「リア、顔を上げてごらん」
ふいに。
落ち込んでる私の頭上で、ギルの声が優しく響いた。
私はビクッとして、無言で首を横に振る。
「ほんの少しでいいから。……ね、顔を上げてくれないか?」
「ヤダ。……だって私、またギルにひどいことしちゃって……。なのに、どんな顔して――」
言葉をさえぎるように、ギルの手がふわっと、私の頭に置かれた。そして、いつもと変わらない調子で、ゆっくりと撫で始める。
「ひどいことをされたなんて思っていないよ。だから安心して、少しだけ顔を上げて欲しい」
「……ホントに?……怒って……ない、の?」
「ああ。怒ってなどいない。可愛い恋人に、少し体を押されたくらいで、怒る男などいやしないよ」
……『少し』?
めいっぱい押したつもりだったんだけど……。
……って、いやっ、今はそんなことどーでもよくてっ!
私はそろりそろりと顔を上げ、彼の顔を見上げた。
そのとたん、彼は私の肩に素早く何かを掛け、その端を持って首の前で重ね合わせると、にこりと笑った。
「すまなかったね。最初からこうすればよかったんだ。私がもっと早く気付いていれば、君に恥ずかしい想いなどさせずに済んだのに」
「え……?」
私は意味がわからないまま、ぼーっと視線を下に移した。
「……これ、ギルの……」
ギルが肩に掛けてくれたのは、さっきまで彼が着ていたガウンだった。
驚いて顔を上げると、彼は、普段着ているものと似たようなタイプの服に、いつの間にか着替えていた。
「……ギル、その服……。どっ、どこにあったの?」
「どこって、隣の部屋だよ。予備の服が衣装部屋以外にもあることを忘れていてね。いつもはウォルフが持って来たものに着替えるだけだから、うっかりしていた。私がこの姿で眠ることにして、君にこのガウンを貸していればよかったんだ。こんな簡単なことに、今まで気付かなかったなんて……。ダメだな、私は。全てウォルフに任せきりにしているから、いざという時思い浮かびもしない」
そう言って、彼は照れ臭そうに笑った。
「ほら。これを着ていれば、もう恥ずかしくないだろう?……私も、もう君に八つ当たりされずに済むし、ね」
「う――っ。……だ、だから、悪かったと思ってるってば……」
上目遣いで拗ねてみせると、彼は唐突に私の額にキスして来た。
「ちょ…っ! ちょっとギルっ? シリルとアセナさんがいるのにっ」
顔を熱くして睨みつけると、彼は私の両手を取って立ち上がらせ、少しも照れずに言ってのける。
「誰が見ていたって構うものか。――いや、むしろ見せつけてやればいい。君は私の恋人なのだから、もっと堂々としていて欲しいな」
「……ど、堂々と、って……」
私は顔をほてらせながら、辺りの様子を窺った。
シリルはにっこりと、嬉しそうに私達を見つめていて――アセナさんはニヤニヤと、愉快そうにこちらを眺めている。
なんだかいたたまれない気持ちで、私はギルのガウンで胸元をしっかりと覆い、腰紐をキツく結んでから、キッパリと言い放った。
「ギルは恥ずかしくなくても、私は恥ずかしいの! だから、堂々となんて無理ッ!!」
「そんな、リア……」
また情けない顔をして、ギルが弱々しくつぶやくと、後ろでアセナさんがプッと吹き出す。
ギルは即座に反応して、鋭い目付きで彼女を睨み、腹立たしげに怒鳴り付けた。
「何がおかしいッ!?……貴様、己の立場が全くわかっていないようだな? この先、どんな厳しい処罰が待っているかも知れぬと言うのに――」
脅し文句を言われても、彼女は相変わらずしゃあしゃあとしている。
「あらぁ、だって……。ギルフォード様ったら、さっきからカッコイイとこ、ひとつもないんですもの。これが笑わずにいられますか、ってもんでしょ? あーおかしいっ。アハハハハハッ」
「――っ!……この……っ!」
拳を握り締め、ワナワナと震えているギルの手を、ギュッと両手で包み込む。
それからアセナさんに向かい、ずっと抱いていた疑問を投げ掛けた。
「アセナさん! どーしてあなたは、そーやって、ギルを挑発するようなことばかり言うんですか!?……それって、何か狙いがあってのことなんでしょう?」
その刹那、笑い転げていた彼女が、ふっと真顔に戻った。
再び不敵に微笑むと、まっすぐに私を見据え、
「狙いって、なんのことかしら? あたし、挑発してるつもりもないけど? ただ、ギルフォード様がカッコ悪いって、素直な感想を述べてるだけ」
ちっとも動じず、足なんか組みかえちゃって……余裕シャクシャク、って感じだ。
内心、怯みそうになったけど、負けじと反論する。
「挑発してない? 嘘ですよね、それ? ごまかそうとしたって無駄ですよ。私、あなたが思ってるほど、勘の鈍い人間じゃありませんから。おあいにくですけど」
ほとんどハッタリだったけど、ここで引くワケにはいかなかった。
だって彼女、絶対何か隠してる。それを引っ張り出すまでは、私だって負けちゃいられない。
私と彼女は、厳しい表情で見つめ合ったまま、しばしの間沈黙していたんだけど。
最初に沈黙を破ったのは、意外にも、アセナさんの方だった。
「フフッ。負けたわ。降~参。……まったく、大したお姫様よね。このあたしに挑んで来るなんて」
「……じゃあ、やっぱり……」
彼女はキッと顔を上げ、私ではなく、ギルの方を睨みつけながら、苦々しげにぶちまけた。
「ええ、そうよ。この際、洗いざらい白状してもらいたかったのよ。結局のところ、ギルフォード様はフレデリック様のことを、どう思っていらっしゃるのか。胸の内の、ドロドロとした感情をね!」