言霊
言霊
真子はどちらかというと綺麗な女だった。
絶世の美女とまではいかないがまずまず綺麗な顔つき、スタイルをしていた。
しかし、真子はあまり男にもてなかった。
顔つきだけをとってみれば真子より劣っている女でも恋人がいたりまたは結婚をしていたりするが真子には対象となる恋人がいなかった。彼女に変わった趣味があるわけではない。また、酒癖が悪かったり過去に重大な汚点があるわけでもない。どこにでもいる普通の女である。真子自身も自分がもてない理由に対してわからないでいた。
私にはどうして恋人ができないのかしら。私の外見って悪くはないはずよ。性格に問題があるとは思えないし。
真子は次第に何が何でも素敵な恋人がほしくてたまらない感情に心が支配されていった。
そんなある日。仕事が終わってマンションのポストを探ってみると怪しげな模様の封筒が入っていた。
「何かしら。最近流行りの広告かしら」
封を切ってみると中には一枚の手紙が入っていた。
「出世したい方、恋人がほしい方、または人生を有意義に過ごしたい方、そんなあなたの為に私どもは素晴らしい商品を開発致しました。自動インスピレーション装置です。これさえあれば人生の成功間違いなし」
真子は何かを期待していたのか少しがっかりした。そしてゴミ箱へ捨てた。
「何かと思えば訳のわからない広告ね。誰があんな広告を見て買おうというのかしら。騙される人が見てみたいわ」
真子はその広告の事などすっかり忘れて食事をすませベッドに入った。そして、その日の事を思い出していた。最近中途入社した信夫に食事に誘われた事だった。信夫は真子に少し好意をもっているようだったが、真子は信夫のことを自分には釣り合わないと思っていた。つまり信夫を見下し自分にはもっと素敵な恋人が現れるはずと考えているのである。
「たしかに恋人は欲しいけど相手はやっぱりハンサムでお金持ちじゃないと」
真子は信夫の誘いを断ったのだった。
数日後、会社の上司が大声で懇親会があることを告げた。
「おいみんな。来週は空けといてくれよ。他の課との交流も兼ねているのだからな」
若い社員は皆しぶしぶといった表情だった。真子もその一人だったが内心は違っていた。新しい出会い、新しい恋の始まりを期待した。
一週間後。会社近くのレストランで懇親会が始まった。もっとも真子にとってはお見合いパーティの様な気分だった。しばらくしてほかの課の健一が真子の隣に座った。健一は真子と同期入社だが話をするのは入社研修以来だ。
「やあ真子さん。久し振り。こうやって話をするのは研修の時以来だね」
「ほんと久し振りね。それにしても健一さん凄いわね。私の課まで聞こえてくるわよ。抜群の営業成績が。羨ましいわ」
真子は嬉かった。ハンサムで仕事のできる健一が話しかけて来た事が。真子は健一を恋人にしたいと考えた。二人はしばらくお酒を飲みながら仕事の話や世間話をした。
真子は意気投合しているように感じた。よし二人きりでの食事に誘おう。女の私から誘うのは気が引けるけどお酒の席だし。
真子が誘おうとした時、健一は立ち上がり
「それじゃまたね。真子さんも体に気をつけて仕事頑張ってね」
そう言って健一は他の席に向かって移動していった。真子はショックだった。意気投合しているように感じたのは私だけだったのかしら。
結局懇親会で真子は恋人をつくるきっかけを作れずに終わった。何が原因だったのだろう。健一さんとの会話で何かまずいことでも言ったのかしら。家路までの間ずっとそのことばかり考えていた。お酒も入っているせいかなんだか真子は自分がすごく惨めで孤立しているような感覚に陥った。
家に着いてポストをのぞくと見覚えのある怪しげな模様の封筒が入っていた。
「あら、この前も同じ封筒が入っていたけど中身はなんだったかしら。たしかくだらない広告だった気がするけど」
真子は封筒の中身を見て思い出した。
「自動インスピレーション装置」である。
ただ、先日と異なり今日はその広告に興味を示した。自分はこのまま恋人ができず孤独のまま歳を重ねるのではという恐怖心からわらにもすがる思いで広告を見ていた。そして思い切って電話をした。
「はい。お電話ありがとうございます。どちら様でしょうか」
夜も更けていたが電話はつながった。
「あのー広告を見て電話したのですけど」
「はいありがとうございます。自動インスピレーション装置ですね。これさえあれば人生を楽しく過ごせる事まちがいありません」
電話の向こうのオペレーターに商品についていくつか質問をした。そしてわかったのは自動インスピレーション装置とは米粒より小さい機械を耳に入れそれとは別にある小型のリモコンのスイッチを押すと相手の会話に対して最適な回答を脳に信号として送るというものらしい。そして価格は真子の半年分の給料ほどあった。あまりに高価なので真子は断ろうとしたが
「一度お試しになられたらいかがでしょう。気に入ればお買い上げという形で」
「そうね。試すだけなら」
「ありがとうございます。ではいつでも結構ですのでわが社にお立ちより下さい。」
オペレーターはそう言うと場所を教えてくれた。真子はそれをメモした。
翌日、仕事を終えると真子はさっそくメモを見ながら昨日オペレーターが教えてくれた場所に向かってみた。そこは雑居ビルの地下にあった。少し気味が悪かったがせっかくここまで来たので中へ入って行った。中に入ると雑居ビルの地下とは思えない明るさと清潔感ある部屋があった。
「いらっしゃいませ。ようこそお越し下さいました」
紳士的な店員が迎えてくれた。
「昨日電話した者なのですが・・・」
「はい。お伺いしております。どうぞこちらへ」
店員は部屋の奥へ誘導し机の横の椅子をひいてくれた。そして店員が反対側の椅子に掛けた。
「こちらが自動インスピレーション装置でございます」
そう言って小さな包装箱を開けた。すると米粒の半分以下の小さなチップが入っていた。
「あなたほどの美しさとこの装置があれば人生の成功はまちがいありませんよ」
真子は気分がよくなったがこの機械は真子の半年分の給料ほどの高価なもの。
「あの少し試させてもらいたいのですが」
「はい。もちろん結構でございます。ではこちらがお試し用でございます。本日から一週間効果がございます。もちろん料金は頂きません」
真子は紳士的で良心的な接客に思わずお礼を言って、お試し用の自動インスピレーション装置を耳に入れてもらう為耳を傾け入れてもらった。そして、ライターほどのリモコンも渡された。
「この青いボタンを押して頂くと効果が発揮されます。赤いボタンで解除になります。どうぞ押してみてください」
真子は恐る恐る青いボタンを押した。
「では、一週間後お待ちしております」
すると瞬間的に頭に言葉が走った。
「親身に接客して下さって本当にありがとう。あなたに会えて嬉しかったわ。また来るわね」
真子は驚いた表情を浮かべた。
「はい。こちらこそありがとうございました」店員がそう言うと真子は少し顔を赤らめながら部屋をでていった。
「すごい。すごいわ」
真子は感激しきりだった。早くこの凄さを試したくて興奮していた。明日が待ち遠しいなんていつ以来だろう。
その日は興奮してあまり眠れなかったが朝の目覚めは良かった。真子は一番に出社して同僚や上司を迎えた。はじめに来たのは上司だった。
「お早う。おっ今日は早いじゃないか。君が一番に出社しているなんて雪でも降るんじゃないか」
初めて使うのが上司なので真子は少しがっかりしたが試しにはいいかと思い青いボタンを押した。
「おはようございます。課長。私だってたまにはやる気にはなりますよ。それにしても今日はすがすがしい朝ですね。なんか気分がいいですね」
普段は挨拶程度しかしないが今日は違っていた。
「ああ。全くだ。仕事は朝が一番はかどるよ」
上司は嬉しそうだった。
もちろん効果は同僚や異性にもあった。真子の話は相手に喜ばれる言葉や共感を得る言葉ばかりなのだから。真子は嬉しくてたまらなかった。今までありきたりな話しかできなかった男性の人ともすごく会話がはずむ。
あっという間に一週間が過ぎた。真子は先週訪れた雑居ビルの地下の部屋に入っていった。
「いらっしゃいませ。お待ちしておりました。その後いかがでしたか」
紳士風の店員が尋ねると真子は嬉しそうに
「すごいわ。まるで世界が変わったみたい。なんでもっと早くこの装置使わなかったのだろうって後悔しているくらいですわ」
「ありがとうございます。ではご購入ということでよろしいですね」
「ええ。もちろんよ」
真子は大金を店員に差し出した。店員は素早く数え
「確かに。では今お客様の耳に入っているお試し用の自動インスピレーション装置を本物と交換さして頂きます」
店員がそう言うと真子は店員に耳を傾けた。
「ではこれでボタンさえ押していれば永遠に自動インスピレーション装置の効果が発揮されます。ただしこれは忠告ですが、あまりこの装置に頼りすぎることはおすすめ致しかねます。困った時、いざという時ぐらいの頻度でお使い頂くことをおすすめ致します」
「わかったわ。使い過ぎに注意ってことね。ありがとう」
お礼を言うと真子は部屋を出て行った。店員は心配そうな表情で真子を見送った。
それから真子は恋人をつくるべく積極的に男性に話かけた。自動インスピレーション装置のおかげで皆好意的に接することができた。
ある日会社の廊下を歩いていると健一が向こうから歩いてきた。真子は青いボタンを押して健一に話しかけた。
「健一さん。おはよう」
「あっ真子さん。お早う」
「健一さん顔色悪いわよ。仕事頑張りすぎじゃないの。体に気をつけてよ」
「ありがとう。でも大丈夫だよ。少し寝不足なだけさ。君は元気そうだね。何かいいことでもあったのかい」
「いいことなんて特にないわよ。体が健康な事ぐらいだわ。そうだ。今度の休日食事でも行かない。おいしい料理でも食べて元気にならなくちゃ」
真子は自分でも驚くぐらい自然に健一を食事に誘った。
「ああ。そうだね。今度の休日は空いているし行こうか」
真子は嬉しくて頭が真っ白になったが自動インスピレーション装置は信号を送り続ける。
「じゃー海鮮料理にしない。最近駅の近くにできたの」
「ああ。いいよ。楽しみにしているよ」
健一は海鮮料理が大好物だったようだ。真子の心臓はまだ激しく鼓動していたが食事に誘うことに成功した。
そして休日真子は健一と食事をしながら自動インスピレーション装置を使って会話を楽しんだ。いや、楽しんでいたのは健一だけかもしれない。真子は何も考えることなく自動インスピレーション装置から送られてくる信号を声にしているだけだから。
二人はその日をきっかけに何回かデートを重ね恋人同士になった。真子は幸せの絶頂にあった。理想の恋人ができただけでなく、上司や同僚にも好感を持ってもらえている。この装置のおかげで。しばらく真子の幸せは続いた。
そんなのある日。真子は少し寝坊したせいか自動インスピレーション装置のボタンを解除したまま出社してしまった。まぁ今日一日ぐらい大丈夫だろうと真子は考えていた。そして出社して会議が始まった
「・・・以上が今期の営業目標だ。この件について君はどう考える」
と真子は聞かれた。
「あ、えーとその」
「どうしたのだね。体調が悪いんじゃないのかね」
「いえ。大丈夫です。この営業目標につきましては、えーとあのー」
「もういいよ。今日は帰りたまえ。顔色も優れないようだし」
「・・・・・・」
「大丈夫か。病院に行ったほうがいいぞ」
真子は自動インスピレーション装置がなければもはや日常会話もできないほどになっていた。こうなったら会社にいる時はもちろん家に帰ってからも寝る時も解除せずに使い続けるわ。そうすれば忘れることはないのだから。
真子はその日以来、赤いボタンを押す事はなかった。おかげで仕事の会話も日常会話もスムーズにできた。
数日後、真子は任された仕事を信夫に助けてもらった時である。信夫は快く手伝ってくれたのだが
「真子さん例の書類の件だけど完成したよ」
「ありがとう。感謝しているわ」
信夫はすごく不快な表情をした。どうしてだろう。真子は不思議に思った。
「もういいよ」
信夫は怒ったまま立ち去った。どうしてかしら。自動インスピレーション装置は完璧なはずだし。もしかしたらあの人、私が以前食事を断った事ずっと根に持っているのかしら。
しかし最近なぜか他の同僚や上司ともあまり会話が上手くいかなくなってきた。時には嫌な顔をされる時もある。自動インスピレーション装置から送られてくる信号通りに話しているのに。
そしてついに健一にも別れを告げられた。
「これからは友人として仲良くしていこう」
健一が別れを切り出した理由は他に好きな女性ができたわけではなかった。また真子が浮気をしたのでもなかった。ただ、最近の真子は言葉に全く感情が入っておらず健一は不気味になっていた。信夫が怒った理由も同僚や上司に嫌な顔をされるのも全てそこに原因があった。
「そうね。友人としてまたライバルとしてお互い頑張りましょう」
「あ、ああ」
あまりにも無表情な真子の顔に健一は恐ろしささえ感じた。
真子は別れを告げられたがそんなに落ち込んではいなかった。自動インスピレーション装置があるのだし、またすぐに新しい恋人ができるはずと考えていたからである。
数か月後
「今日の調子はどうだい」
上司が真子に尋ねた。
「トテモイイキブンデスワ。キョウモヨロシクオネガイシマス」
真子が立ち去った後、上司は
「彼女はいったいどうしたのだろう。最近ずっとあんな調子でまるで魂が抜けてしまったようだ」
真子は自動インスピレーション装置に頼りすぎて自分の感情を表現することができなくなってしまった。
仕事が終わりマンションに帰る途中、自動インスピレーション装置を購入した際接客してくれた紳士的な店員に偶然出会った。
「どうですか。装置の効果はすごいでしょう。人生変わったんじゃないですか」
真子は片言で
「ハイ。トテモカンシャシテイマス」
店員はその後なにも言わず真子が離れた後、赤いボタンを押し
「彼女に何を言ってももはや耳は傾けてくれないだろう」とつぶやいた。
店員は寂しそうな表情で、真子は無表情でそれぞれ帰って行った。