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第8話



 イザークは扉の前で失神しているシンシアを優しく抱き上げた。

「ユフェは疲れて眠ってしまったらしいな」

「いえ、恐ろしい顔面にやられて気絶したのでは? わざとそういう顔つきをしているのは分かりますけど、動物や令嬢の前までそれをするのは如何なものかと……」

 やや呆れ顔のキーリは溜め息交じりに突っ込みを入れる。


「この顔つきでないと雷帝たる迫力に欠けるだろ」

「もともと目つきが悪いのでそこまでしなくても充分畏怖の対象ですよ。今みたいに人前でデレデレなのも困りますけど」

 雷帝らしい恐ろしげな顔つきから一転して甘い顔つきになったイザークはユフェをベッドの上に寝かせた。


 ふわふわの金茶の毛並みに赤褐色の縞模様。人差し指でつつきたくなるようなピンクの鼻、手足は白くて靴下を穿いているみたいで愛らしい。

 最初この猫に触れられた時は心底感動した。それと同時にこの生き物が猫ではないかもしれないという考えも頭を過った。

 何故なら猫アレルギーのイザークに例外の猫などいないからだ。


 猫に触れると目が充血して痒みに襲われる。さらに症状が悪化するとくしゃみが止まらなくなるのだ。

 この秘密を知っているのは側近たちだけで他の者は誰一人として知らない。彼らは幼馴染みなので裏切られる心配はない。


 イザークが倒れていた場所はネメトンに近い場所だった。そのため、猫に似た魔物がいてもおかしくない。しかしユフェには魔物の気配もなければ、額にあるはずの核もない。

 若草色の瞳は芯が強く、穢れを知らない光を宿していた。



「これは奇跡としか言いようがない。きっとユフェは俺の運命の猫だ」

 頬を緩めているとキーリがぼやいた。

「女に腑抜けになる話は数多の歴史書で示されていますが猫で腑抜けになる男って……。お願いですから執務の方は滞りなく進めてくださいね」



 既にイザークは宮殿に帰ってきてからまだ一つも仕事に取りかかっていない。

 やったことといえば部屋の模様替えくらいだ。


「それで? 陛下はどうして突然宮殿を飛び出したのですか?」

 その問いにイザークは僅かに身じろぐと振り返って声を潜めた。

「そのことについてだが――実は救護所付近で瘴気を感じて飛び出した」



 アルボス帝国の皇族は英雄四人のうちの一人、勇者の血を引いている。魔物や瘴気ならば帝国内のどこにいても感知することが可能だ。

 しかし、今回は奇妙な体験をする羽目になった。


「瘴気を感じた場所に転移した直後、空から人らしきものと瓦礫が降ってきた。救おうとして風の魔法で落ちる速度を落としていたんだが瓦礫の量が多くて避けきれなかった。頭に直撃して気絶した。結局、目が覚めたら人らしきものはいなかったし、あれがなんだったのか分からずじまいだ」

「勇者の血を引いているから瘴気に一定の耐性があると過信してはなりません。恐らく、吸い込みすぎて幻覚を見たのでしょう」


 瘴気は濃度の量によって人体に影響が出る。

 軽度の場合は頭痛や目眩が、中度になると幻覚が、重度になれば正気を失い錯乱状態に陥る。


「瘴気は魔物かネメトンからしか発生しない。俺が感じた場所はネメトンや救護所よりも国内側で魔物らしきものはいなかった。……最近、ネメトンに近い領地で原因不明の瘴気が発生しているな」

「はい。ここ一ヶ月で十件は超えています。瘴気は時間が経てば消えますがそれを吸い込んでしまえば当然人体に影響が出ます。なので帝国騎士のみならず中央教会の聖職者に協力を募り、先週より共同で調査が進められています」


 聖職者は神官クラス以上の階位で守護と治癒を持つ者に手伝ってもらっている。

 万が一瘴気が発生しても精霊魔法の守護があれば結界を張って防ぐことができ、その間に退避できる。また、治癒があれば魔物に襲われ負傷しても癒やすことができるのだ。


 しかし、いくら万全な体勢でも調査団が向かう頃には何故か瘴気はすっかり消えている。だからこそイザークは自身の能力を生かして、瘴気発生直後に何が起きているのか確かめようと宮殿を飛び出したのだ。


「結局、原因究明には至らなかった。やっと宮殿内の毒を出し切ったと思えば次は宮殿の外か」

 嘆息を漏らすと皮肉めいた笑みを浮かべた。




 三年前、先帝が崩御してこの国の皇帝になった。

 それまでの宮殿内といえば貴族間の派閥争いに加え、兄弟の帝位争いで荒れていた。


 イザークは三人兄弟の二番目で、二つ上の兄と同じ歳の弟がいた。皆母親はバラバラで兄弟たちは母親やその実家の影響を受けて自分こそが次期皇帝だと主張し、日々争っていた。


 一方でイザークの母は元々身体が弱い人だった。イザークを出産後、産後の肥立ちも悪くそのまま帰らぬ人となった。

 三歳までイザークは後宮で育ったが、他の妃の差し金によって何度も殺され掛けた。

 それに危機感を募らせたのは母の父であるオルウェイン侯爵だ。皇帝に申し出てイザークを後宮から連れ出し、領内で育てた。


 これによって幼少期から十五歳までを侯爵邸で過ごし、宮殿に帰還してからは程なくして先帝から命じられた魔力濃度の調査で辺境地に赴任していた。



 イザークがいた辺境地は魔力濃度が薄い地で、魔法は使えなかった。そのせいで父の訃報も遅くなり、宮殿に急いで帰るも着いたのは喪が明けてからになってしまった。

 帰還が遅くなってしまったことを詫びるため宵のうちに広間へ足を運べば、兄と弟をはじめとする貴族たちが剣を抜いて争っていた。理由はもちろん皇帝の座を手に入れるためだ。


 結果として、兄弟は互いを串刺しにして絶命した。二人を止めようとイザークも自ら剣を抜いたのだが一歩遅かった。異変に気づいて駆けつけてきた先帝専属の近衛騎士や大臣たちはその凄惨な光景を目の当たりにして声を失った。


 しかし、一人室内に佇むイザークを見て次期皇帝が誰なのかを悟ると全員が跪いた。皮肉にもイザークは最後の皇族となり、その場で帝位に就いたのだ。




 後に噂が一人歩きして『雷帝』という異名まで賜ってしまうことになった。それを逆手に取って先帝が病に臥せっている間に甘い汁を吸っていた者や帝位争いの関係者を洗い出し、三年掛けて厳重な処罰を下した。ここ一年で漸く宮殿内は安定し、一息吐いたところだった。

 イザークは拳をきつく握りしめ、唇を引き結んだ。


「国民が苦しむことはあってはならない。原因究明と同時に国民の安全は必ず確保しろ」

 キーリは胸に手を当てて強く頷いた。

「尽力いたします。……懸念事項は瘴気がいつどこで再び発生するかですね。規模が拡大して集落などに被害が出ると大変ですから、目星を付けて警備に当たります。間が悪いことに聖女のシンシア様は失踪中。世間に知れ渡れば大きな混乱を招きますから」

「そうだな。一刻も早くシンシアを見つけ出さなければ。――カヴァス」



 イザークは思案する素振りを見せると側近の名を呼んだ。

「お呼びですか陛下?」

 応えるようにキーリの隣には騎士服に身を包む青年が忽然と現れた。


 焦げ茶色の髪に切れ長のアイスブルーの瞳。右の目元には色気漂うほくろがある。女性が黄色い声を上げ、秋波を送るような魅力的な容姿の持ち主、側近騎士のカヴァスだ。


「討伐部隊とは別で、秘密裏にシンシアの捜索をしてくれ」

 カヴァスは側近騎士であり、近衛第一騎士団の管理をしている。討伐部隊は近衛第一騎士団と第二騎士団から編制されているため、今回の聖女失踪の件は討伐部隊の隊長から報告を受けているはずだ。

 命じれば案の定、カヴァスは心得顔で短く返事をした。


「宮殿内ではいつも通りに過ごして構いませんか?」

 カヴァスはある程度自由を与えておいた方がきっちり仕事を遂行してくれる。

 何よりも情報を入手する能力に長けている。その能力を以てすれば恐らくシンシアの行方も掴めるだろう。


「好きにしろ。……カヴァスの腕に掛かっている。頼んだぞ」

「御意」


 返事をしたカヴァスは瞬く間にその場から姿を消し去った。

 キーリは片眼鏡を掛け直しながらカヴァスのいた場所をしげしげと眺める。


「陛下はカヴァスに少々寛容なのでは? あんな様子ですから近衛第二騎士団長からもっと真面目に仕事をさせろって苦情が来ています」

「あれは束縛すれば仕事をしなくなるタイプだ。反対に自由度が高ければ仕事は速いし、何よりも正確な情報を持ってくるのだからこれくらい問題ない。――それはそうと」

「何でしょうか?」


 イザークはソファに腰を下ろし、肘掛けに肘を置いて長い脚を組む。

 苦悶の表情を浮かべるイザークに、まだ何か懸念することがあるのかとキーリは固唾を呑んで見守った。




「ずっと考えていたんだが……ユフェの世話は侍女のロッテが適任だと思う」

「は?」

「本当なら世話は全て俺がしたいところだが、そんなことはできないからな。すぐに手配をしてくれ」


 キーリはガクリと肩を落とすと「ああ、もう」と天を仰いだのだった。



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