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常夜の森の魔女~ネルケと救済の子守歌  作者: 宵宮祀花
【二幕】迷信の聖者

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8/14

【三場】願いを裂く想い

 エヴァルトの街は交易と商業が盛んで、昼間は多くの人が行き交っている。綺麗に整備された街並みは王都に次ぐとも並ぶとも言われ、他の街から観光客が来ることもあれば、貴族の使者が視察に訪れることもあるほどだ。

 街の中心には花壇で飾り付けられた広場があり、天気の良い日には行商が露天を開いている。市場に出れば威勢の良いかけ声が辺りに響き渡る。この活気ある通りは街の名物の一つだ。

 そんな賑やかな街の大通りを、ネルケが一人で歩き回っていた。商店を横目で見つつ、友人たちに声をかけられれば笑顔で手を振りながら応え、店主にお勧めの良い品があると言われれば「お母様に伝えておくね」と愛想良く答える。その足取りは軽く笑顔も見せているが、ネルケの心の内はどこか曇っていた。


「ネルケ、どうしたの? 元気ないじゃん」


 食べ歩き出来るように包んでもらった焼き菓子を手に広場のベンチでぼんやりしていたところ、通りかかった友人のカンナが声をかけてきた。彼女は街一番の宿屋の一人娘で、可愛らしい容姿と小柄な体格に見合わず、力自慢の荒くれや酔っ払いの相手にも慣れた、街の猛者の一人だ。

 明るい橙色の髪を三つ編みカチューシャにしており、大きなグラスグリーンの瞳は長い睫毛に覆われてぱっちりとしている。白いエプロンにはエヴァルトに伝わる伝統的な花の刺繍が裾に施され、その下に着ているワンピースはネルケと色違いの同じものだ。深緑のワンピースは茶色い革製のコルセットで引き締められており、カンナの溌剌とした印象を引き立てている。

 幼少の頃、頬に散っている雀斑を砂まみれの顔だと揶揄った男の子たちを投げ飛ばし、それこそ本当に砂まみれになった顔を指して「あんたの顔のほうが砂まみれじゃない」と言って泣かしたことが、彼女の負けず嫌いの始まりだった。

 女は男に付き従って支えるべきだという考えに真っ向から殴りかかる荒い気性の彼女に惹かれている同世代の女子は多いが、見事に男っ気がないとはカンナの母の談である。


「んー……ちょっとね、考え事」

「珍しい。こないだデートしてた彼のこと?」

「え!? み、見てたの?」

「見てたっていうか、露天通りならうちの宿の二階から丸見えだもん。あんたはともかくあの金髪の彼は上からだと目立つからね」

「あ、そっか」


 納得して頷くと、また心ここにあらずといった様子になるネルケを見、カンナは両手を腰に当てながら前屈みになり、下からネルケの顔を覗き込んだ。思わず仰け反って驚いたネルケの鼻先に、立てた人差し指を添えてにんまり笑う。


「なに悩んでんのか知らないけど、ネルケは考え込むと泥沼になるからやめといたほうがいいと思うよ?」

「もう、なによそれ。あたしが考えなしみたいに」


 頬を膨らませて反論するネルケに、カンナはにかっと笑って肩を叩いた。


「あはは、まあ、元気だしなって。ネルケに曇った顔は似合わないよ」


 不器用だが心配されていたのだと悟り、ネルケはまだぎこちないながらも笑い返すと、勢いを付けて立ち上がった。


「ありがと、カンナ」

「いーえ。じゃ、あたしは買い出しだから、またね」

「うん」


 カンナと別れ、人混みの中へと紛れていく。賑やかな街はあちこちから人の声がして、耳を澄ませないとどこに誰がいてなにを話しているのか全くわからない。いつもならこの雑多な空気に触れているだけで心が弾んだのに、今日は何故か雑踏に紛れていても一向に気分は晴れず、一人静寂の中にいるリーリエのことが浮かんでしまう。


(やっぱり、納得出来ないなぁ……)


 母に言い含められたが、リーリエのことが気になって仕方がない。そう顔に書いてあることに気付いている者はクラウスが王城へ帰ったいま、当の母以外にはいない。

 この街はいつでも明るくて賑やかで、優しい人たちに溢れている。誰もが自分に笑顔を向けてくれて、こんなにも素敵な場所がすぐ傍にあるというのに、リーリエは常夜の森の奥深くでひっそりと隠れ住んでいる。それが、解せなかった。


「帰れないのと帰らないのは違うし、帰らないにしてもお出かけすら出来ないのって凄く理不尽なのに……」


 周りを見渡しても、錬金術師用の鉱石を売っている店は複数ある。街にないものも旅の商人が訪れて露天を開くこともあるのだから、そこで手に入るはずだ。わざわざ暗い森に引きこもらなければならない理由が、そこまでしなければならない理由が、本当にあるのだろうかと疑問で仕方ない。

 静かな場所が好きならそれで良いとは思う。ただ、何の罪もないのに追い出されて森に閉じ込められているような現状に納得がいかなかった。


 考え事をしながら歩いていたら、いつの間にか街外れまで来てしまっていた。この先は常夜の森に通じている。と、森の前に少女が佇んでいるのに気付いた。


「ねえ、そんなところでなにしてるの?」

「っ!」


 ビクリと肩を跳ねさせて振り向いた少女は、純白の衣装を身に纏い、澄んだ水色の瞳を持った幼い少女だった。白金色の長い髪は月の光を縒り上げたようで、月から降りてきた天使だと言われたら教会嫌いのネルケでも信じてしまいそうなほどだ。

 この少女は白一色ではないが、そこはかとなく、リーリエに雰囲気が似ている。


「…………」


 黙って首を横に振ると、少女はパタパタと街のほうへ駆けていった。

 いま思い出したが、あの純白の衣装は教会関係者の中でも特に位の高い者が身につけるものに酷似していた。アイシクルリリーの花冠にマリアベール、純白の丈の長いドレスという姿が、協会内でなにを表わすのかまではネルケの知識にはないため、彼女がいったい何者かまではわからなかったが。街の住人であの容姿なら目立っていたはずで、いままで出会ったことがないなら余所から来たのだろう。その『余所』とやらが教会だとしたら、あんな年端もいかない少女をも使っていることになる。


「……そういえば、白くてぼんやりって……まさか、ね」


 立ち去るのを見送ってから、噂の幽鬼はもしかしたらあの少女ではと思ったが、発端となった目撃情報が日暮れ頃だったことを思い出し、首を振った。もし本当に教会関係者であるなら、暗くなってから一人でこんなところに来るとは考えにくい。


「さすがに導石なしには入れないし、あたしも戻ろう」


 そう呟いて踵を返したときだった。


「ネルケ」


 青年の声が、ネルケを呼び止めた。見れば、夜会に行くのでもないというのに、派手な衣装を身につけた鮮やかな緑色の髪の青年がネルケの元へ歩み寄ってきていた。彼は隣の街に住む貴族の息子で、なにかにつけて絡もうとしてくるという、ネルケにとってあまり好ましくない性格をしている人間だ。


「こんな街外れに何の用だい?」

「別に、あなたに関係ないでしょ」


 あからさまに嫌な顔をして一歩下がったにも拘らず、青年はお構いなしに近付きながら話を続けようとしてくる。


「随分じゃあないか。僕と君の仲だろう?」

「無関係ってことね。それじゃ、ご機嫌よう」


 そう言って街に戻ろうとするネルケの腕を、青年が反射的に掴んだ。引き留めるだけのものにしては力強く、ぎっちりと指先が腕に食い込んでいる。


「っ……!」


 ネルケが眉を寄せて睨むと、青年はにやりと口の端を歪めて笑った。この底意地の悪い性格を露わにした笑い方も、ネルケが彼を疎む理由の一つだ。実際、彼の嫌いなところをあげていたら一日が終わってしまいそうなくらいたくさんある。

 その中の一つに、貴族たちが集まるパーティの場でネルケに対して「君となら結婚してやってもいい。田舎貴族には身に余る光栄だろう?」と初対面で言ってきたことがある。それを素気なく断って以来、こうして街を訪れる度に高圧的な態度で接しては、ネルケを思い通りに扱おうとしてくるのだ。


「先日一緒にいた男は誰かな? 君にはこの僕がいるというのに」

「あなたには関係ないって言ったんだけど、聞こえなかったの? それとも理解する頭もないってわけ?」


 これまで出会ってきた女性と違って、僅かも媚びないネルケの態度が気に食わないと、青年の苛立ちに歪んだ表情全てが物語っている。親が枢機院の一員であり、王家に通じている一族であるというのに、田舎娘の分際で下手に出ないことが信じられなかった。


「……ふん。彼が何者だろうとどうでもいいさ。どうせ君は僕のものになるんだからね。それに君が最近、魔女に入れあげているという噂があってね。これが真実なら」

「なによ、それ。あなたの妄想じゃないの?」

「それはどうかな? 現に君は、魔女のいる森の近くにいたじゃないか」

「そういうあなたもここにいるじゃない。馬鹿なの? 知ってたけど」


 力尽くで腕を振り払うと、汚れを叩くようにして青年が触れていた箇所を払いながら、ネルケは気丈に吐き捨てた。


「ばっかみたい。周りが思い通りにならないからってくだらない妄言ばかり言ってるから優秀なお兄様方と違って誰からも相手にされないのよ。あなたにおべっか使ってる女性は面倒だから相手にしてないか、同レベルの馬鹿しかいないってまだわからないの?」

「なんだと?」

「親の肩書き以外、なんの取り柄もないくせに。あなたに関するなにもかもが時間の無駄だわ。二度と関わらないで」


 そう言うと、ふいっと顔を背けて踵を返し、大股で街へと戻っていった。

 人混みへと紛れていくネルケの背中を呆然と見送りながら、青年は肩を震わせていた。


「あの女……田舎貴族を哀れんで、この僕が気にかけてやっているというのに……枢機院貴族であるこの僕が……」


 忌々しげに睨んでいたかと思うと、青年はあの嫌な笑みを浮かべて「ああ、そうだ」と明るい声をあげた。彼の中でなにかが結びついたらしく、歪な笑みを張り付けたままで、ぶつぶつと低く呟いている。


「……ふ、ふふ、そうと決まれば、早速行動しなくてはね」


 楽しみで仕方がないといった様子で、青年は足取り軽くその場を去った。


 一方、嫌な相手と会ってしまったと全身で語りながら街を歩くネルケは、カンナの宿で散々今し方の出来事を愚痴ってから家に帰ると、そのまま自室に駆け込み、オルゴールを手に取った。ゼンマイを回して蓋を開け、ベッドに倒れ込みながら軽やかに歌う大好きなオルゴールを胸に載せる。

 この音を聞いていると、沸き立ちそうだった全身の血が徐々に穏やかになっていくのを感じた。


「なんであたしなのよ……ほんと、意味わかんない。ちやほやしてくる馬鹿共と馬鹿同士よろしくやってればいいのに」


 暮れゆく街から目を逸らし、寝返りを打って薄掛けを頭から被る。オルゴールの歌声が布越しに響くのを聞きながら、ネルケは緩やかに眠りへと落ちていった。


 それから、どれくらいの時間が経ったのか。

 ネルケが次に目覚めたとき、窓の外はすっかり朝になっていた。


「あたし、どんだけ寝たんだろ……」


 時計を確かめると、半日近く眠っていたようだ。肉体的に疲れることはしていないのにこれほど寝入ったのは初めてで、時計が壊れたのかと思って居間の大時計まで見に行って確かめてしまった。


「……会いに、行こうかな」


 なにも悪いことはしていない。自分も、彼女も。ならば、なにも後ろめたく思う必要はないのだ。ランプと導石を手に、ネルケは森へと入っていった。

 その後ろ姿を見つめる、不穏な眼差しがあることに気付かないまま。


「……? なんだろ?」


 暗い森を進む中、前回も通った荊の泉の中でまたなにかが小さく光った。直接確かめることは出来ないため、今度はリーリエに訊ねてみようと意識に留めながら進んで行った。森に入る度違う道を通るのに、荊の泉だけは毎回通りかかることも気になる。

 毎回通る道順が違うのは、森にかけられた魔法の力ゆえだと聞いている。導石がないと辿り着けない理由も同じだ。

 最奥に着くと、赤い屋根の家が変わらず佇んでいた。扉をノックして暫し待つ。


「……ネルケ、今度はどうしたのですか……?」


 扉を薄く開けて、顔を覗かせながらリーリエがいつになく小さな声で訊ねた。何の用があって来たのかと言われると答えに窮してしまう。嫌な顔を見たせいで気晴らしがしたくなったなどと言われても、リーリエには関わりのないことなのだから。


「えっと、どうってこともないんだけど……」

「それなら……」


 リーリエは一瞬迷うような素振りを見せたかと思うと、俯けていた顔を上げて苦しげな表情でネルケを見据え、


「もう、来ないでください」


 と、静かに言った。


「え……」


 あまりに唐突で、なにを言われたのか理解するのに時間を要した。言葉が脳に届くと、今度は胸の奥から痛みが込み上げてくるのを感じた。心臓から押し出される血が、凍っているかのように冷たい。全身が為す術なく冷えていき、指先が小さく震えた。

 リーリエと仲良くなれたと思っていたのは自分だけで、彼女にとっては静かに暮らしているところを邪魔しに来ている外の人間でしかなかったのだと理解した。彼女の苦しげな表情は、きっとそういうことなのだろう。


「ご、めん……迷惑、だったんだ……」


 目尻に涙が滲む。視界が白く歪む。

 リーリエはなにも言わない。奥からエルレフリートが中に招くよう伝える声もしない。薄く開いた状態のまま、一向に開かれない扉と同様に、ネルケの入る隙はこの場に僅かも存在しないのだ。


「じゃあ、あたし、帰るね。……もう来ないから、安心して」


 そう言うと、涙が落ちるのを見られる前に踵を返し、逃げるように駆け去っていった。その後ろ姿を、ぼろぼろと大粒の涙を零しながらリーリエが見送っていることに、一度も振り向かずに去って行ったネルケは気付くことがなかった。


「ごめんなさい……あなたを守るには、こうするしか……」


 ネルケが森の奥へ去ったあとに零した呟きは、誰にも届くことなく暗闇に消えた。


「あたし、馬鹿みたい……一人で盛り上がって、迷惑かけて……アイツと同じことしてたなんて……最っ低……」


 導石に従い、森を抜けていく。枝に服が引っかかり、足に傷が出来ても構わずに。ただ前だけを見てひたすらに早足で歩き続ける。

 会いたくない人が一方的に訊ねてくる不快感はネルケが一番よく知っていた。それを、気付かないうちに自分がしていたことが赦せなかった。リーリエは大人しい少女だから、ネルケのように思ったことをすぐ言い出せなかったのだろう。森の中にいるのは寂しくて可哀想だから通ってあげれば喜ぶはずだと、賑やかで楽しいほうが良いはずだと、自分の感覚を押しつけて、ひどいことを言わせてしまった。

 人によって心地良い場所が違うのだから、街に招くことが最良ではないという、母親の忠告の言葉を、いまになってこんな形で理解することになるだなんて。


「……っ!」


 やがて森の出口が見えてくると、ネルケはピタリと足を止めた。


「やあ、ネルケ。こんなところで会うなんて奇遇だね」


 この世の誰よりも会いたくない人間が、この世のなによりも嫌いな集団を引き連れて、ネルケを待ち構えていた。あの嫌な笑みを張り付けて、ネルケを値踏みするように眺める貴族の青年の両脇から、教会の制服を纏った男が進み出た。


「ネルケ・ジークリンデ。お前を魔女の疑いで連行する」

「な……っ!? なに言ってんのよ! あたしは別に……」


 反論するネルケを静かに見据え、一団を率いていると思われる白い衣装の男が、視線で周りに指示を出す。三人の男がネルケの左右と背後を固め、背後の男はなにも言わず剣を抜いてネルケの首元へと添えた。


「弁解は無用だ。この森から出てきたことが魔女である証左。処刑日は追って公表する。せめてもの情けで、この故郷で死なせてやることを神に感謝することだ」


 弁解もなにもさせる気はないと、男たちの冷徹な眼差しが訴えている。だが処刑という言葉に最も大きな反応を見せたのは、当人であるネルケではなかった。


「何故だ!? 僕は魔女に通じている疑いと言ったはずだ! 処刑なんて聞いてない!」

「アレクセイ様は、魔女を庇い立てするおつもりで?」

「っ!」


 冷たい目で睨まれ、ネルケを嵌めようとした貴族の青年アレクセイは、言葉を失った。この場で異議を唱えることがなにを意味するかもわからないほどの愚物ではないらしく、口を噤んでネルケを見つめる。が、ネルケはアレクセイを視界に入れてもいなかった。

 彼は、教会のやり口を甘く見ていた。貴族が相手なら魔女の疑い程度ではひどいことになりはしないだろうと、高をくくっていたのだ。自分を馬鹿にした女をちょっと痛い目に遭わせてやれればそれで良かったのに、ネルケは問答無用で魔女として処刑される。

 ほんの嫌がらせのつもりでしたことが、大変なことになったと自覚したときには全てが遅かった。


「我らと共に来てもらう。刃向かえば母親も巻き込むと思え」


 そう言われては、最早なにを言う気にもなれない。無理矢理腕を掴まれた衝撃で手からランプが落ち、足元の小石にぶつかって壊れる音がしたが、拾うことはおろか視線をやる猶予すら与えず、男たちは力尽くで腕を引っ張って歩き出す。

 壊れたランプが誰かの足に当たって転がっていったが、それが誰であるかを悟らせない程度に統率された動きで、迷いなく教会の紋章が刻まれた馬車へ向かっていく。

 呆然とネルケを見送りながら、アレクセイは己のしたことの重大さを今更に思い知る。枢機院である親の権力を歯牙にもかけないなどとは、微塵も思わなかったのだ。


「ネルケ……」


 力なくアレクセイがネルケを呼ぶが、ネルケの視線は前を向いたまま僅かも揺らぐことなく、教会の馬車に押し込められて街を去るまで一瞥もくれることはなかった。

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