【一場】炎切裂く祈りの詩
住民や商人たちの憩いの場は、今日ばかりは暗く沈鬱な空気が重くのし掛かっていた。火刑台に磔にされた少女を遠巻きに眺めては、口々に憐れみを零す。その人数は、広場を覆い尽くしても余るほど。街に住む人だけでなく旅人や商人もおり、中には憐れんでいる者だけでなく物見遊山気分の見物人もいるようだ。
行き交う人の波が一箇所に滞ると広いと思っていた広場をも埋め尽くすほどなのかと、磔にされた状態でありながらネルケはどこか他人事のような感想を抱いた。
ありがたくもないご高説に紛れて、魔女というものがいかに罪深く、世間にとって害でしかない存在であるかを長々と語ったあと、この場で最も位が高そうな男が、部下らしき男に視線で指示を出した。
「来い!」
それを受け、教会の制服を纏った若い男が、ガルデーニエの腕を掴んで乱暴にネルケの前へ進み出させた。
「お母様……!」
生まれて初めて見下ろす母の表情は、いまにも泣き出しそうな色を帯びていた。いつか大人になって背が伸びて、そうして初めて見下ろしたかったのに。
見ればガルデーニエの手には、小さな赤い鉱石が三つ握られている。
「最期の慈悲だ。せめて母親の手で焼かれるがいい」
教会の男が宣言すると、辺りからざわめきが起きる。これだけの数が一斉に話し出すと一つ一つは囁きあう程度でも相当な騒がしさになるようで、誰がなにを言っているかまで聞き取ることは出来ない。普段の街で聞く賑やかな雑踏の声と違い、ざわめきは不安げな気配で満ちている。
一つ、また一つと、ネルケの周りに赤い鉱石が置かれていく。組み上げられた枯れ藁の隙間に落とすようにして、火種の元になる石が並べられる。テオドールに渡された鉱石を袖の中に隠していたガルデーニエは、藁の束に赤い石を零すときにそっとそれらの鉱石も紛れ込ませた。
三つ全てを配置し終え、母はネルケを改めて正面から見上げた。母のこんな苦しそうな表情は見たくなかった。けれど、最期だと思うと目を逸らすことも出来ない。
「お母様……ごめんなさい」
「いいえ。いつでも私は、あなたの味方よ、ネルケ」
静かだが良く通る優しい声で言われ、思わず涙が零れそうになった。だが直後に教会の男が「下がれ」と言いながら乱暴に母の腕を引いたのを見て、唇を噛みしめて耐えた。
腕を引かれネルケの傍から離れながらも、母の視線はずっとネルケから離れなかった。人混みの一角に放り投げるように解放されると、旅人らしき人物とカンナが両脇でそれを支えた。カンナが見目に反して逞しいことは知っているが、旅人のほうは目深にフードを被っていて、男か女かもわからない。ただ、女性とはいえ大人を蹌踉めくことなく支えた辺り、男性だろうと思われる。或いは、カンナのような力強い女性かも知れないが。
ぼんやりとそんなやりとりを眺めていると、いつの間にかネルケの足元に一人の少女がいた。その格好は、以前森の前にいた少女と同じものだ。
「聖女様、火を」
男の言葉を受け、その少女が声もなく頷いて祈るように胸元で手を組んだ。
マリアベールを被り、俯いて目を伏せているため顔かたちはわからない。更に、衣服の丈が踝に届くほど長く手袋が指先まで覆っていて、肌が僅かも覗いていない。
あの日森の前にいた少女は教会の聖女だったらしい。それなら尚更幽鬼は見間違いなのだろうと、いままさに焼かれようとしている身だというのに悠長な感想が過ぎった。
「Ell glandde. Unfail galdna glan. Remfear Gyaldna olphe rasse as fleaeh!」
(私は命じる。数多の罪を焼き尽くすことを。炎よ、愚かな罪人を喰らい尽くせ!)
歌声を聞いた瞬間、ネルケはハッとして聖女を見つめた。歌詞は全く聴いたことのない言語だが、そのメロディは間違いなく、母の故郷の子守歌のものだった。
詩が辺りに響く。と同時に、教会の人間たちのあいだに動揺が走った。
「な、どういうことだ?」
「おい、呪文が違――――……」
微かに、男の声でそう聞こえた。その直後、ネルケの周囲に三本の火柱が立ち上った。天を衝くほどの炎が吹き上がり、思わず目を瞑る。―――が、一向に体が熱くならない。息も問題なく出来ることに気付き、薄く目を開けてみれば服の端すら燃えていない。
「へ……?」
赤々と燃える炎は、足元の藁束さえも焦がしておらず、ただネルケの周囲を覆い隠しているだけだ。熱くはないが、たき火の近くにいる程度の暖かさは感じる。それがあまりに異様で、吹き上がる炎を呆然と眺めてしまった。
あまりに温度を感じないため、もしかしたら炎の幻を見せる法術を使ったのだろうかと現実逃避じみたことを思っていると、
「いったい、なにが……」
「ぎゃああぁあっ!!?」
突然、周囲から悲鳴が上がった。思わずビクリと肩が跳ね、見えないのも忘れて周囲を見回してしまう。
意識を外に集中させたせいだろうか、詩がまだ続いていたことに気付いた。聖女の声は男たちの叫び声が複数上がり広場中で混乱の声が起こっているいる中でも、不思議なほど真っ直ぐネルケに届いてくる。
「Remfear! Rasse! Galdna rasse as fleaeh!」
(焼き尽くせ! 全て! 全ての罪を、炎の海に!)
祈るような透き通った声なのにとても力強く、詩が響く度に悲鳴が上がる。この場には母もいたはずだ。まさか自分にふりかかるはずの炎が余所へ向かい、広場に集まっていた人たちが幻ではない炎に巻かれているのではと過ぎったときだった。
「きゃあ!?」
急に、ガクンと体が十字架から外れて落下しかけた。両手両足と胴体を拘束していた、銀色の鎖が全て音を立てて外れたのだ。鎖の擦れる音が背後で聞こえ、視界が揺れる。
落ちかけた際に炎らしきものに顔から突っ込んでしまったが、やはり幻かのように全く熱くなかった。ただ、濃い霧に飲まれたような、朧気な感触だけがあった。
何者かの腕に支えられたことで落下は免れたが、火刑台の近くにそんなことをする人が果たしていただろうかと、恐る恐る振り返る。
「え……? な、なに? ていうか、誰? なにが起きて……」
ネルケの体を支えていたのは、見知らぬ男性だった。燃えるような赤い髪に褐色の肌、目元と頭部、それから全身を見慣れない文様が描かれた布で覆っており、その隙間からは筋肉質な体が僅かに覗いている。背後には巨大な十字架が見え、ネルケを支えている腕を見ると、それは腕ではなく大きな翼だった。僅かに覗く肌には、文字とも模様ともとれる不思議な刺青が刻まれており、それは体の左側を頭部から足先まで縦断しているようだ。
男性を巻き付けるようにして十字架に絡みついている鎖は先ほどまでネルケの体を拘束していたものに似ていて、つまり、火刑台とネルケのあいだに何故か知らない人がいるという、奇妙な状況にあるようだ。
この男性がどういう存在であるにせよ、火刑台の上で暴れるわけにも行かず、ネルケは為す術なく混乱の声がそこかしこから上がる中、荷物のように腹を抱えられた格好のまま大人しくしていた。
「……あ、やっと消え…………えっ」
火柱が収まると、漸くなにが起きたのか断片が見えた。
「なに、これ……どういうことなの……?」
広場にいた人たちは、先ほどの炎に驚いて随分と遠巻きになっていた。それだけなら、まだ理解出来る。あれほど激しく燃え上がったのだから。だが、それだけではなかった。ネルケの周囲に、黒く焦げた人型のものがいくつか落ちているのだ。数は丁度、この場に居合わせた教会の男たちと同じだけ。
ガルデーニエは旅人が前に出て庇うようにしつつ、カンナに支えられてネルケの近くに残っていた。
「さっきの声は、あの人たちの……」
悲鳴と暴れ回る音、大勢の慌てふためく声の正体がこれでわかった。更に遠くで、もう一人炎に巻かれた者がいるらしく、見物に来ていた人たちがざわめいている。
「何故アレクセイ様がこんなところに……?」
「確か、ネルケちゃんにしつこく言い寄ってたのを見たなぁ」
「聞いた話だけど、彼が教会にあの子が魔女だと告げ口したんだとさ」
「なんてことを……いくら貴族だからって、フラれた腹いせに魔女呼ばわりだなんて」
「なら罰でも当たったんじゃないか? 前から偉そうなヤツだっただろう」
集団の最後尾、店と店のあいだから覗いていたらしく、近くの店の主人が「うちに引火しなくて良かった」と溜息交じりにぼやいたのが聞こえた。アレクセイはどうも普段からネルケだけでなく市民に対してもあの態度で接していたらしい。
人々のぼやく声を総合すると、なぜか突然発火し、周りに高圧的な態度で火を消すよう喚くも相手にされず、最終的に噴水に飛び込んだようだ。自慢の顔が焼け爛れたせいで、恐らく彼を取り囲んでいた女性は二度と彼に寄りつかないだろうとも言われている。
「わ……!」
どうでもいいところで、どうでもいい人が天罰を受けたとネルケが呆れていると一瞬の浮遊感ののちに、ふわりと地面に降ろされた。振り向くと、火刑台だったものは藁の束が積み重ねられた山だけが残されており、十字架と鎖は謎の男性の一部であるかのように、その体に巻き付いている。
「えっと……? これは、どうすればいいのかな……」
自分一人の問題だったなら、取るものも取り敢えず逃げ出せば済む話だ。しかし教会の人たちはネルケが抵抗すれば母に危害を加えると脅してきた。それがただの脅し文句ではないことくらい、今し方身を以て理解したばかりである。仮に母を伴って逃げたとしたら今度はこの街が代償を払わされる可能性だってあるのだ。
わけがわからないと顔に書かれた表情で辺りを見回す。鎮まり返った広場の中央には、ネルケの他には翼を持った謎の男、それから詩を紡いだ聖女らしき少女だけ。
そういえば混乱のせいで失念していたが、騒ぎが起きる寸前、教会の男が呪文が違うと言っていたことをネルケは思い出した。
「なにが何だかわからないけど……取り敢えず、聖女様が法術の呪文を間違うなんてことあるの……?」
「間違えていませんよ」
ネルケが思わずといった様子で呟くと、俯いていた聖女の顔が正面を向いた。
「わたしの魔法は、エルの助けがないと魔法生物になってしまうのです」
「っ!?」
声を上げそうになったネルケの唇に、細い指先が触れた。聖女は澄んだ湖面の如き目を細めながら、自身の口元に薬指を添えて紅を引くような仕草をする。この仕草は内緒事を話すときや、静かにしてほしいときなどに子供がする手振だ。
その仕草を見て、ここで彼女の名を叫べば魔女がいると周りに知れてしまうと察して、ネルケは両手で口を押さえながら頷いた。
目の前にいる少女は、疑いようもなくリーリエだ。教会の人間が誰も気付かなかったということは、格好は教会のもので間違いないのだろう。どうやって服を手に入れたのか、抑々何故街に出てきているのか、本物の聖女はどうしたのか、自分はこれからどうすればいいのか、様々な思考が渦を巻いて頭の中で泥のように溜まっていく。
不意に、遠く聞こえていたざわめきが、大きくなった。
「今度はなに……?」
見れば、人混みの一角が左右に別れ、奥から誰かがこちらへ向かってくるのが見える。ネルケは咄嗟にリーリエを背後に庇い、近付いてくる何者かを睨んだ。
やがて最前列の野次馬が左右に割れると、教会の中で最も権力の高い最高司祭長が姿を現した。四十半ばでありながら三十前半といっても通りそうな若い見た目をした男性で、整った容姿と巧みな弁舌で信者を集めている、教会の要だ。
どんなに教会が嫌いな人間でも、彼の存在はよく知っている。ネルケも同様に。
「聖女様を誑かした魔女は君か」
そう訊ねられたネルケは、ぐっと息を飲んだ。乱暴な言葉を使ったわけでも、怒鳴ったわけでもないのに、相手に重圧を与える静かで重苦しい声だ。ネルケはリーリエを背後に庇ったまま、気丈に睨み付けて口を開く。
「魔女も聖女も錬金術師も、なにも違いなんてないってのに、下らない都合で勝手なことばっかしてる連中に魔女なんて言われる筋合いないわよ!」
「悍ましい化物を呼び出してまで助かりたいとは随分と後ろ穢い魔女だ」
ネルケが吐き捨てても、司祭長は眉一つ動かさずに視線で部下へ指示を出した。傍らで控えていた部下が、先端に教会のシンボルが突いた杖を地面に叩きつける。すると地面が放射状にひび割れ、後方で悲鳴が上がった。衝撃で何人か倒れ、怪我をしたようだ。
「我々はこの街をすぐにも不幸な事故で廃墟にすることが出来る」
「な……なに言ってんのよ! そんなことしたら、いくらあんたたちだって」
相変わらず、司祭長はネルケがなにを言おうとも動じない。それどころか憐れな生物を見る目であからさまに見下している。彼にあるのは憐憫だ。己以外の、力なき存在への、侮蔑と憐憫。どこまでも上から世界を見下している人間なのだと、彼の仕草や表情全てが物語っている。
「残念ながら咎められることなどない。語る者がいなければ事件は事故になるのだ」
「最っ低!」
それを聞いて、集まっていた野次馬たちが我先にと逃げ出した。旅人や露天商などは、あっという間に荷物をも纏めて街から出て行こうとしている。だが街の出入り口を教会の人間が固めているらしく、遠くで揉める声がする。
そんな中、一人の旅人が広場に残っていた。砂漠地方の民族衣装を纏ったその人物は、ネルケの母ガルデーニエを支えていたあの人だ。いまもガルデーニエはその傍でカンナに支えられながら心配そうにネルケを見つめている。
恐らくネルケの元へ駆け寄りたくて仕方が無いガルデーニエを、カンナが支えながらもその場に押し留めているのだろう。教会の人間が、誰が相手であれ乱暴に扱うとわかっているから。
「やはりこの街は危険だ。錬金術師も全て王都で教会が管理すべきだったのだ。強い力は分散させてはならない。世の安定のため、全ての権力を教会が握る必要がある」
「なによそれ……まるで王家までどうにかしようって言ってるみたいじゃない」
ネルケが呟くと、司祭長は嘲るように笑った。その仕草、視線、彼の成すことの全てが高みから見下しているようで、いちいち癇に障るとネルケは苛立ちを露わにした。
「いまや枢機院の約半数も我らの手の内にある。それも間もなく叶うだろう」
「……それが、教会の本音か」
不意に、一人残っていた旅人が言葉を発した。
「余所者が口を挟むものではない。控えていたまえ」
「そうはいくかよ」
そう吐き捨てると旅人は目深に被っていたフードを剥ぎ取った。瞬間、ずっと鉄仮面のように不動だった司祭長の表情が驚愕に崩れた。
「全て、聞かせてもらった」
「クラウス!」
「ハル……?」
旅人の顔が露わになったのと同時に、ネルケとリーリエがその名を呼んだ。だが二人が違う名を呼んだことで、ネルケはリーリエを振り返り互いに顔を見合わせた。
「そういや、君には旅人って名乗ってたっけな。改めて、ヴォルフラート王家第二王子、クラウスという。クラウス・ハルトヴィヒ・ヴォルフラートだ」
そんなことより。と、クラウスは司祭長に向き直り、手の中の小さな天導球を見せた。二つの薄い輪が交差するようにして丸く磨かれた鉱石の周囲を覆っている、不思議な形をしたアクセサリーで、その中央にはめ込む石の種類によって用途が変わる品だ。
彼が持っている石は、響石。周囲の音を記憶する石。そして特殊な加工をすれば音声を別の響石に送信することも、狙った相手の音声だけを拾うことも出来る。
「お前の発言は全て響石で記録した。ついでに片割れの石にも送信済みだから、この場で僕を害しても無駄だ」
「そんなもの……すぐにでも片割れを見つけ出して破壊すれば済む話」
「それは不可能だよ」
司祭長の言葉を遮るようにして、鷹揚な声が割って入った。この場にいる全員の視線が声のしたほうへと集中する。
「僕の街を壊されるのは困るからねえ」
緊迫した場にそぐわない穏やかな顔つきで、テオドールがゆったりと歩いてくる。彼の周囲にはルカの他にも三人着いてきており、そのうちの一人はクラウスと同じ旅人の姿をした長身の男性、もう一人はジルベール、そして残る一人はリーリエと同じ格好をした、白金色の綺麗な髪を持つ小柄な少女だ。ネルケが森の前で見た真っ白な人影は、正しくはあちらの少女なのだろうと、こうして見比べてみて改めて思った。
その少女がリーリエの姿を認めるやぎこちない動作で駆け出して、声もなくリーリエを抱きしめた。
「イーリス、協力してくれてありがとう」
リーリエが抱き返しながらそう囁くと、イーリスと呼ばれた少女は首を振り、更に強く抱きしめた。その様子を見ていた司祭長は、漸く合点がいった顔になり、憎悪の込もった眼差しで魔女を、リーリエを睨む。
「そうか……貴様は、常夜の森の魔女か……! やはり過日に取り逃がしたままにせず、殺しておくべきだったのだ……」
「もうわたしは逃げません。あなたたちの行動原理が畏れであることは、これまで無実の罪を着せられ、処刑されてきた多くの女性たちが語ってくださいました。……イーリスは返してもらいます」
小さな鈴のような、静かに澄み渡る声でリーリエが言う。イーリスも嫌悪を映した目で司祭長を真っ直ぐ見据えている。教会によって引き裂かれた魔女と聖女は、いつでもその畏れを抱かせるほどの強大な魔力を、これまで受けてきた痛みに変換して突き返す準備があるとその眼差しが語っている。
「さて、この状況が読めないほど、君は愚かではないはずだよ」
「錬金術師でありながら下賤な田舎者に成り下がったお前が今更我らに楯突くとは……」
ここへきて初めて僅かながら動揺を露わにした司祭長に、テオドールはにこりと笑みを浮かべて悠然と言う。
「今更ではないさ。君たちが派手に暴れ回っているあいだ、僕たちは下準備を進めていただけに過ぎないよ」
「教会総本部には既に調査の手が入っております。癒着と違法な取り締まり、魔女裁判の証拠が挙がるのも間もなくかと。貴方たちの時代は終わりです」
テオドールとジルベールが、冷静に事実を並べていく。それを聞いた司祭長の傍にいる部下の青年が、俯いて震え始めた。様子がおかしいことに、彼を背後に置いている司祭長以外が気付いた。そのとき。
「が……ッ!?」
教会のシンボルがついたあの杖の先で、背後から司祭長の胸を貫いた。そのまま魔力を込め、怨嗟のこもった声で「お前も、焼けて死ね」と呟くと杖を中心に炎が吹き上がり、あっという間に司祭長の全身が炎に包まれた。
「……こんなもの……ッ!」
悲鳴を上げながら転がり回る司祭長を、絶望すらも映していない乾ききった表情でただ眺め、青年は教会の紋章が入った外套を脱ぎ捨てて、穢らわしいものでも扱うかのように怒りと憎しみで表情を歪め、燃えさかる司祭長に投げつけた。
「俺は……」
青年はふらふらとした頼りない足取りでジルベールの前まで来るとガクリと膝をつき、項垂れたままぽつりぽつりと告白し始めた。まるで、神の前で懺悔するかのように、低く低く頭を垂れて。
「俺は、妹を人質に取られていました。俺だけじゃない……高い法術適性がある者は皆、その家族が魔女と見做されたくなければあの男に従うように言われて……そしてずっと、我が身可愛さに無実の女性たちを火にかけてきました」
青年に倣うようにして、別の部下も杖を取り落とし、その場に泣き崩れた。その誰もが「家族に会いたい」「母は無事だろうか」「あの女性に何と言って詫びればいいんだ」といったことを零している。
ネルケは、教会にいる人間は皆、好き好んで略奪や虐殺行為をしていると思っていた。だが彼らの中にも自分のように家族の喉元に刃を突きつけられ、仕方なく従っている者がいたのだと知り、突然憤りのやり場を失った思いだった。
「ジルベール」
やがて、誰にも気に留められることなく広場の中ほどで最高司祭長が炭と化したとき、旅人風の格好をしていた青年が声を発した。その声に、ジルベールだけでなくクラウスも反応した。
「高位の信徒以外は、恐らく彼らと同様の境遇だろう。先ほど鳥が届いた。地下の牢室に女性が雑多に詰め込まれていたと連絡が入った」
「重症の者から治療に当ててください。必要なら王都施療院も使うようにと」
「ああ、伝えておこう。それからテオドール」
「なにかな?」
「一つだけ、開かない錬金機構の扉があるそうだ」
「ああ、じゃあ一番見られたくない証拠はそこかなあ。あとで開けに行くから、その他を浚っちゃってくれるかな」
「心得た」
簡潔且つ的確に指示を出していく旅人の青年に、クラウスが真っ直ぐ早足で近付くと、背伸びをしてフードを剥ぎ取った。露わになった顔は、陽光の如く輝く金髪と晴れやかな湖の如き透明な瞳を持った、眩いばかりの美男子だった。
「やはり兄上!」
「クラウス。お前も良く森の魔女を連れ出してくれた」
「あ、ああ……いや、それはいいんです。それより、何故兄上がこのような」
「なに、色々と面倒になってな」
麗しい容貌に見合わず、さっぱりと雑な言葉を返すと、その隣でジルベールが咳払いを一つした。それに兄王子ではなくクラウスが肩を跳ねさせたのに気付いて、兄王子が淡く笑った。
僅かも反省していない様子でクラウスの頭を撫でながら、兄王子は改めて告げる。
「お前も薄々勘付いてはいただろう。私にすり寄っている枢機院の面々が教会派で、私を玉座につかせて実権を得ようとしていたことに」
「……はい」
「私は後継を退いてお前に託しても良かったんだが、まあ、最早これ以上の猶予はないと思っていたところ、お前の想い人が魔女の烙印を捺されて処刑されると聞いてな。悪いと思ったが、好機とみて利用させてもらった」
クラウスに事の顛末を話し聞かせると、ネルケへと視線を移した。その視線を受けて、火刑台から降りて以降思わぬ展開ばかりが続いて理解が追いつかない様子だったネルケが漸くハッとした表情になった。
「君は確か、ネルケといったな。不安な思いをさせてすまなかった」
「え、いえ、あたしは別に……それより、これからどうなるの? 教会が潰れたんなら、もう魔女とかそういうのはなくなるのよね?」
ネルケの傍では、リーリエとイーリスが不安げな表情で身を寄せ合っている。兄王子は一つ頷くと姉妹のような二人に視線を合わせた。
「最早君たちを害するものはない。街へ戻るというなら私が便宜を図ろう」
リーリエはイーリスと顔を見合わせると、黙って首を横に振った。
「わたしは、彼をつれて森へ戻ります」
「えっ」
リーリエの言葉に、ネルケが声をあげた。もう教会の横暴が支配することはないのに、何故またあの暗い森へいくのかと、その表情が語っている。
そんなネルケに、リーリエはふわりと微笑み、イーリスを抱きしめながら言った。
「錬金術に必要なものが採取出来る常夜の森は、わたしがいないと維持出来ないのです。それにわたしは、静かなところが好きなので……行きましょう」
炎が翼の形を取り、半端に人を模したような姿の魔法生物に、リーリエが声をかける。最後にイーリスの頬に口づけをすると、そっと体を離した。
「イーリス。あなたはあなたの選択をしてください」
一度踵を返して、ふとリーリエはネルケを振り返って不器用に微笑みながら、
「また、会いに来てください」
と、言った。
ふたりが歩き出すと暫く考える仕草をしてから、イーリスもあとを追った。リーリエは追いついてきたイーリスを街へ戻そうとはせずに受け入れ、共に歩いて行く。幼い少女と不思議な生き物の背を呆然と見送ってから、ネルケは漸く先ほどのリーリエの言葉が脳に届いた様子で顔を上げた。
「絶対! 会いに行くから!!」
目一杯息を吸い込み、ただでさえ良く通る声を最大限発揮して、もう随分と遠くなった白い背中に向けて、思い切り叫んだ。
小さな魔女と聖女は互いを隔てる高い壁であった肩書きがなくなったことで手を取り、あとを振り返ることなく広場から去り、森へと消えて行く。
暫くして、前もって手配していたのであろう王都の警備兵が駆けつけると、生き残っている教会関係者を形だけながら捕縛し連れ出した。彼らは最早抵抗する気はなく、じっと俯いたまま連行されていく。
「さて、僕も扉を開けに行かないとねえ」
「ジルベールがテオドールについていてくれ。私はクラウスと共に一度帰城する」
「……畏まりました」
踵を返したテオドールを目で追いながら、兄王子がジルベールに指示を出す。彼を一人放っておくとなにをしでかすかわからないことを嫌というほど知っているジルベールは、一瞬だけ眉を寄せるが、恭しく頷いてテオドールのあとを追った。
「ネルケは、今日は母君といるといい。また暫くのあいだ、忙しなくなるだろうから」
「そうね。そうさせてもらうわ。ちょっと色々一気にありすぎて疲れちゃったし」
クラウスに頷くと、ネルケは疲れの滲んだ顔で母の傍に歩み寄った。ずっと母を支えていたカンナが心配そうに顔を覗き込んでくる。
「ネルケ、大丈夫?」
「うん、あたしはへいき。それよりお母様を支えてくれてありがとう」
「いいって。落ち着いたらあんたの王子様の話、聞かせてもらうから。それでチャラってことで」
「しょうがないなぁ」
苦笑するネルケの顔に、僅かながらいつもの明るさが戻ったのを確かめると、カンナは最後に背中を叩くと「じゃ、また」とだけ言って、ガルデーニエをネルケに預けて広場を去った。
「ネルケ、いいお友達を持ったわね」
「うん。カンナは自慢の親友なんだ。今度ちゃんとお礼しないと」
「そうね……私からもお願いするわ」
母に肩を貸しながら家路につくネルケを見送りながら、クラウスが一つ溜息を吐いた。
「僕も戻らないと……」
「ご苦労だったな、クラウス」
「僕は、大したことはしていませんよ。それより……」
クラウスは兄王子が纏っているマントを見、複雑そうに眉を寄せた。それはまるで弟とお揃いで作ったかのように、表も裏も全く同じ作りをしている。
「……そんなもの、どこで手に入れたんですか」
「いやあ、我が国には腕の良い職人がいたものだな。以前に作ったことがあるとはいえ、よもや一晩で完成させるとは」
その言葉で、クラウスにマントを用意した衣装係の仕業だと理解し、今度はとても胸の奥からなにもかもを吐き出すかのような深く長い溜息を零した。
「さあ、我らも戻ろう。テオドール師が教会を改造すると言い出す前に」
「やめてください」
旅人に扮した兄弟は、マントを表に返すことなく王都へと戻った。
焼け死んだ協会関係者の遺体は、後ほど駆けつけた王都警備兵が全て回収していった。それから街の片隅で同様に火傷を負ったアレクセイもまた、家族の元へ返された。
十字架がなくなって組み上げられた藁の束だけになった火刑台は、早朝突然教会の者が乗り込んできて藁を提供させられた牧場主が、後ほどひっそりと回収していったという。




