【序曲】常闇の森の奇妙な噂
国の外れに、常夜の森と呼ばれる深い森がある。入口付近ならば黄昏程度の暗さだが、奥へ行けばあっという間に真夜中のような闇へと吸い込まれてしまう。そこには恐ろしい魔女が住んでいるとされ、国の兵士や錬金術師でさえ奥へ踏み入ろうとはしなかった。
そんな、常夜の森の最奥に、一つのアトリエがあった。
赤い三角屋根の建物は木と煉瓦で出来ており、建物の周囲にはふんだんに魔力を含んだ色とりどりの鉱石が地面から顔を覗かせている。魔法薬に使用する薬草類も、日の光とは無縁な森の奥とは思えないほどに青々と生い茂っている。来客を想定していないためか、郵便受けや呼び鈴の類が見当たらないことを除けば、王都付近にあっても遜色ない見事な建物だ。
常夜の森には魔女がいる。
純白の、亡霊めいた容貌の少女で、常に銀の刃にも似た従者を引き連れている。魔女を怒らせたものは従者に八つ裂きにされ、魔女の大釜で煮込まれることになる。或いは黒いローブを被った醜い老婆で、迷い込んだ人間を庭に埋めては森の木々や薬草の養分にしているとも、美しい女性の姿で人間を誘い込むが、それは仮の姿であって本性は怪物じみた姿をしているとも言われている。
いずれにせよ魔女とは悍ましく残酷で、人々の敵であり害であるとされる噂が多い。
そしてその噂は、巡り巡って王都以外の街にも伝わっていた。しかし、人の噂は土地を渡れば形を変えて別物へと変貌することもままあるもので。王都では人を呪い殺す魔女の噂だったものが、どういうわけかエヴァルトという街では何でも直す魔女の工房があるといわれていた。
壊れた懐中時計も、螺子が飛んだオルゴールも、割れて粉々になった食器も、立ち所に直してしまう魔女の噂。いつどこから形を変えたのか、明確に知る者はいない。それでもこの街の人間は、迷いやすい常夜の森そのものを恐れはしても、そこに住む魔女を恐れて排斥しようという者はいなかった。
それどころか――――