彼女いない歴=年齢+29年とはんぶん[そのいち]
☆仮面のかみさま -masquerade god's-
朝のHR前。喧噪。
担任が来るはずの時間だが、まだ来ていない。
クラスメイトの若かりし姿をぼんやり眺める。
留年したことのある方、いらっしゃるだろうか。
自分以外は皆、年を同じくしたクラスメイトで、自分だけが一つ上。奇妙な疎外感がある。「さん」付けをされる。深い間柄になりづらい。これはかなりのストレスだ。そして俺はもっとキツく、そうした環境に置かれている人間の30倍はキツい。体感で。
いやもう、高校時代ってキツいのだ。45のおじさん──これは肉体や戸籍上のものではなく、精神的なものだが──には。20~30代の人からすれば、こころをそのままにランドセル背負って黄色い帽子なんか被って小学校に通っているようなものだ。
この使い古された奥行き450mmほどの木製スクール机に向き合う自分がただ、つらかった。
「って感じの顔してるね?」
「そんなに情報詰まってたか? 俺の表情」
隣の席にゆるりと座っている時雨。さすが現役女子高生。いかにもそれらしい、完璧な佇まい。結局彼女はちょっと遅刻した(教師が来ていないのでセーフ)。
俺はもう、自身がこの椅子に「らしく」座れているかどうかすら、分からない。
「さっき職員室前で聞いたんだけど、転校生来るらしいよ」。悪い取引をする裏社会の情報屋みたいにひっそりと、楽し気に耳打ちされた。
「それ朝聞いた。母上の配信で」
オウ、と洋画っぽいリアクション。ちょっと残念そうだ。
ねえねえ、と身体を寄せてくる時雨。この幼馴染、やたらとぐいぐい来るのだ。あまりにもパーソナル・スペースが狭い。おじさんからすると心配になる。
「先生こないね。ちょっと今いい?」
「ここじゃダメな話か?」
「うん。セカイ系のはなし」
「セカイ系なのか」
抽象的で難しい言葉が出てきた。"セカイ系"なんてリアルで言う人間は、45年生きてきた中でこの幼馴染以外に見たことがない。セカイ系ってなんだ。哲学だ。教室を出ても、意味は分からなかった。考えても分からない系だ。
その不思議な言葉をウェブで調べ、60%の納得を得られた頃。屋上にいた。
「はい、朝会はじめまーす!」
くるりん、とこちらを振り向く時雨。朝会。それは朝の・会議。あんまり学生が聞く言葉ではない。
背後で屋上の扉が閉まる。オウ、つい洋画みたいなリアクションを取ってしまった。気が付けば、自分と時雨以外にも二足歩行の生き物がここには大勢いた。制服姿のボーイ、ガールの群れ。数にしておよそ、1クラス分。抽象的な単位だが、感じ取ってほしい。数えるのが難しいくらいなのだ。
彼、彼女らはやけに小ぎれいな制服と、顔につけた面が特徴的だ。セカイ系男子、女子なのだろう。
「おい、この人達は?」
「"かみさま"だよ? 知ってるでしょ」
知らんけど。そういうものなのか。
「未来シミュレーションから、30年後にこの国は滅びることがわかったね。
えーたには、その原因をつぶすアクションを取ってもらいたいの。そのための力とマン・パワーを提供するのがわたし達」
時雨の髪が伸びていて、声音が変わり、ちょっとだけ言葉が整ってきている。時雨 feat.かみさまモードだ。
「力って、具体的には?」
「武力と、奇跡の力。この国で、"無理"を通せる力。信仰を強いる力かな」
「すごいな。期待してたほど具体的じゃなかった」
しかし、なるほど。これは確かに「マジ☆」だ。
かみさまの"奇跡"によってなら、この国を変えることができるかもしれない。
俺が見てきた、30年を。
咳ばらいをすると、かみさま達の視線が集まる。神性宿しちゃった系女子の時雨とは違い、言葉も発さない分威圧感がある。
「この国を滅ぼした、最初の要因は"人を失いすぎた"ことだ。長寿・高齢化社会を予見している政府は、若い現役世代の破滅的・急激な寿命低下に気が付けなかった。いや、気が付いた時には遅かったんだ。
俺達の年代の人間は、30手前でほとんどが死ぬ」
「それはなぜですか?」
国語の音読CDのような声音、抑揚で問いかけられる。かみさまだ。喋るのか。ご丁寧に、発言してる神様はおててを挙げている。長身の男子かみさまだ。縁日に置いてありそうな特撮ヒーローのお面を被っていた。
というか、かみさま達は未来シミュレーションを見ていたわけじゃないのか。そこらへん、分からないな。
「俺が27……くらいだったかな。とある病気が爆発的に流行るんだ。
いずれは言葉にすることすら許されなくなるその病気の名前は"きざはし病"。精神疾患だ。罹患した患者は日中の大半の時間、意識の混濁を覚える。ひと月ほど経つと、幻覚が見え始める。そうなったら最期。患者は高く、より高い場所を求め彷徨う。そしてどこかの建物の屋上から、"あるはずのない階段"を上り、落下して死ぬ。
原因はストレス。自殺者の増えすぎたこの国で、親しい人間が死ぬのは日常茶飯事。それは連鎖し、より強いストレスを生み続ける」
「なるほど。ありがとうございました」
「きざはし病が生まれる前、集団自殺も流行っていた。まずはそれを止めよう」
ふんふん、つらかったねー。えーたは45まで生きて偉かったねー。よしよし。
ぐいぐい来る幼馴染を適度にあしらいつつ、続ける。
「そのためにまずはこの国を乗っ取る。
"人並"の行動じゃこの国は変わらない。あんたらの力を貸してくれ。"かみさま"」
またあの30年を繰り返すのだけはごめんだ。
"かみさま"がついている。幼馴染も。俺の頭をエンドレス・よしよししているこの頼りなさそうな女子高生がいるのなら、あんな灰色の現世にはならない。
よしよし。よしよし。
かみさま達はただ無言で、静かにうなずいた。
「えーた、私達を使って何するか決まった?」
「ああ。すぐに動くぞ。そのためにまずは、そこのかみさま。俺の代わりに授業を受けてくれ」
ぴしっと手をあげて了承の意思を示すかみさま。無口系な個体だった。彼がお面を外すと、そこには俺と同じ顔。セカイ系だ。若い頃の俺、結構イケていた。アシンメトリーに整えられた美容室空け二週間のほどほどにキマった自慢の黒髪、力を失っていない綺麗な瞳、ハリを失っていない若々しい肌……苦労を経験していない、善人の顔。
俺の顔をしたかみさまが下へ降りていくのを見送りながら、俺は口を開く。
最初のミッション・ブリーフィングは、一現目と同時にはじまった。