伝説のVtuberの息子 ~ミラクル☆時間旅行~ [そのさん]
☆伝説のVtuberのはなし -Virtual Wasa tuber-
まず、母の話をしなくちゃいけない。これは不本意ながら避けては通れない。俺の29年とはんぶんを失わせたのが幼馴染なら、母はその逆。俺のこれからを"思い通り"にしようとしている。毒親だ。世に言う一般的な毒親ではない。ニュータイプだ。今までの人類史でなかったタイプの母親だ。
母には夢があった。
自分の息子に、ライトノベルの主人公のような生活をしてもらいたい、という夢が。
そして母は"マジ☆"だった。
母の狂った夢に付き合う、これまた狂った男を夫に取り、彼と共に俺が生まれてから高校に入学するまでの間、ずっとプランを練り、進めていた。息子のライトノベル人生計画を。
ここまでが、前提。
☆
東京24区が末端の都市「うみ区」。
この国の悪い癖が炸裂したネーミングは、国内でもっともダサいとある県の、とある政令指定都市を彷彿とさせる。
うみ区は東京湾に浮かぶ人工島で、この国が誇る近代の観光都市だ。いかにも近現代モチーフの高層ビルやアミューズメント施設、文化的娯楽施設群などが建ち並んでいる。建前上はアカデミックな都市でもあり、研究機関の施設や学校なんかも多い。キメラティックな町なのだ。
俺の家も、通う学校も、うみ区にある。うみんちゅってやつだ。
半露天になっている屋上のバス・ルームからまぶしすぎる青空を眺める、登校前のひととき。
30年後の荒廃したこの国では到底許されない贅沢。バブリーで、ジャグジーな時間だった。
建床面積300坪、3階建ての真っ白なマイホーム。庭には南国っぽい木が生えてたり、ガレージには乗りもしない高級外車が不満そうに居座っている。居住区は施設の寮か超高級住宅街かといったうみ区においてこの広さの家の価値はそれは凄まじいもので、ホビット庄ひとつ買ってあまりあるくらいと言えばお分かりいただけるだろうか。ミスリルで出きた鎖帷子と同じくらい、だ。
「おはよー☆」
電子的な音を立ててバスルームの扉が開き、少し涼しげな風が入り込んでくる。ついでに、いかにも頭の悪そうな幼馴染も。今日も制服姿のまぶしい彼女は、ながーい睫毛をきらきらさせながら、びっくりするくらい白い歯をちらりと覗かせて、何やら嬉しげに言葉を発し始めた。
「なんと! ななななーんと! 今日は登校日! ゆっくりジャグジーに浸かってリラーーックスしてるところ悪いけど、登校時間だよ! おさななじみ強権発動! ピピー! えーたくん、ボッシュートです!」
人の裸なんぞに1ミリたりとも興味ありません、といった顔で俺をジャグジーから引きずり出し、ぐいぐいとバスルームから追放しようとしてくる。やめろ、このバスルームに浸れるのは、俺が高校生でいるうちだけだったんだ。そんな夢のひと時の再体験を邪魔してくれるな。あと、制服姿の子とバスルームにいるのはまずい。捕まってしまうからやめてくれ。
「知ってる。知ってるよ、登校日だろ。20年以上ぶりの学生生活でもそういう習慣は覚えてる。それに、めっちゃ時間あるだろ。まだ8時だぞ」
「全然余裕ないじゃん! 私、家に鞄忘れてきたんだよ!?」
アホか。出直してこい。
よく見れば、時雨は寝起きそのものといった風体で、あまりキマっていなかった。それが可愛いという説はあり、それは誰しもが認めることに違いなかった。時雨は学生寮に住んでおり、学校までは近いが、ここからは少し遠い。完全にアホの所業である。
てへっ☆と可愛らしく自分を小突いてみせると、「ばびゅーん」と謎の効果音を垂れ流しカートゥーン・アニメーションよろしくな演出で退場していった。ボッシュートはお前だ。
時雨のアホの原因の一端はうちの母も持っており、少しばかり心が痛む。ずきずき。
時雨は超がいくつついても足りないほど美人なお母さんと、超有名な俳優であるシブいイケメンズのお父さんの元に生まれた、サラブレッドだ。うちの母はそんな時雨母と若いころから友人だった。そして母はマジ☆だった。どういうトリックか分からないが、時雨母と母は同じ時期に懐妊した。俺と時雨は、同じ病院で、同じ日に生まれた、ハイ・幼馴染だった。
ハイ・幼馴染 〔- ヲサナナジミ〕
先天的要素から既に「幼馴染」であることが決まっていた関係。ハイパーな幼馴染。
(例: 同じ病院で同じ時期に生まれた)
関連語: ロー・幼馴染
母は、確実に超可愛く生まれる子を、俺の幼馴染にするために何かしたのだ。何かは、分からない。これは俺が父親から聞いた話で、この世の暗部の一端だと言える。
母は時雨にべた甘だった。べたべたに甘かった。それは煮詰めたメープルシロップもかくやという程だった。時雨は母が好きだった。母の言うことはなんでも聞いた。幼馴染の英才教育的な育ち方をし、時雨はこの世で最も幼馴染になった。と、表現する他にない。俺の母が追い求めた幼馴染像、それが「ちょっとアホの子」だったのだ。
バスルームから出る。嵐のように去っていった時雨がもたらした濡れた足跡を拭きながら、歩き心地の良いフローリングの床をするすると歩く。
この家は母が俺に買い与えたものだ。息子に「高校入学と同時に一人暮らし」という非日常な青春を送らせる、ただそれだけのために。俺が高校へ入学し、この家の主となると、両親は海外へ旅立った。理由は、先に述べた通りだ。
母の財力の源、それはオタクカルチャー。
母はバーチャルなアンダーグラウンド・ワールドの超有名人。世界最大の動画サイト「Wasa tube」に動画投稿・配信を行ういわゆる「Wasa tuber」であり、さらにその中でもマイナー感の拭えない、バーチャルなアバターを用いた投稿者、バーチャル・チューバー略して「Vtuber」だった。
母こと、バーチャル・アンダーグラウンドなワールドの時の人、伝説のVtuber「平井アカル」はそれはもう大変な人気を誇っている。主な動画の傾向は子育て。元は、子育て中の独り言をなんとなしに配信していたのがきっかけという。これが流行るのだからまた分からない。
子育てに手がかからなくなってきてからは、息子の面白いエピソードや中学時代の多感な時期の赤裸々エピソードなどを雑談混じりに話してるもんだから、たまらない。
動画収入でこの家は建っており、動画を見てくださっている「組のモン」(母の配信チャンネル"任仁組"の視聴者の総称)のご厚意ともいえる投げ銭システムからなるお金が形になったものだ。
組のモンは皆、俺にライトノベル主人公のような生活を送って欲しがっているという。なぜならそのエピソードが平井アカルの口から語られ、娯楽になるからだ……。
『へえ、どうも! 平井アカルだよー!』
着替えている間に、親の声より聴いた声が聞こえてくる。こんなに悲しいことはない。リアルで聞く母の声より、俺は、この平井アカルとしての母の声のほうがよく聞いているのだ。動画は全てチェックしている。やつが、何か言いださないかと監視しているのだ。
ゆるやかなBGMと、悲しいかなアニメ・キャラクターのような声の実の母の声を聴きながら、トースターにセットしたパンが焼けるのを待つ。
『今日はー、組のみんなにお知らせがありまーす! じゃじゃん。
むっくんの高校生活編 第一編、転校生襲来編がはじまります!』
むっくんというのは、動画の中での俺の呼び名だ。息子だから、むっくん。映太などという美しい名前を与えた人間が息子につける渾名とは思えない。というか、本当に俺の名前はこのVtuberが付けたのだろうか。ありがたいことに、まともすぎる。
「待て」
俺はトースターの焼ける香ばしい匂いを嗅ぎながら、コーヒーをマグに注ぎ、こぼし、こぼした。そして手が熱い。つんとした火傷の感覚すらも忘れて、俺は29年とはんぶんの"失われた未来"を思い出した。俺が歩む未来で、さて、転校生との出会いなどあっただろうか。いや、ない。
もう、歴史が変わっているのだ。
『聴きたい? 聴きたいよね~☆ でもちょっとごめんね、この話はまた夜に!』
平井アカルは朝と夜に配信をする。朝には「今回予告」を、夜にはそのエピソードを。
俺が学校へ出る時間になると、配信を終えるのだ。
中学時代、朝は、父と二人で朝食を取っていた。母の配信を聴きながら。母は、どこかのスタジオで収録をしている。夜もそうだ。俺は、母とあまり会うことがなかった。
苦々しい思い出のはずが、今では不思議とそうでもない。30年、酸いも苦いも味わい尽くした今の俺は、父親と同じだけの時を生きているのだ。
動画のコメント欄にコメントが付かなくなった頃、空になったマグカップが流しに置かれた。
とても長い一日の、はじまりだった。
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