夏蝉、鳴く 48
「感じた事書きゃいいんだよ。お前もどうせ聴く側なんだから。語り過ぎると滑稽だぞ」
店長はコーヒーをテーブルの上に置く。
今日は少し苦味の強そうな香りがする。
「それも分かってはいるんだけど難しいんだよ」
今岡先輩はコーヒーを前にため息をついた。
「そうですよね」
私も釣られてため息をつく。
書きたい事が多い先輩と違い、何も思いつかない私。
悩みのベクトルが真逆のため息。
「店が辛気臭くなってきたな。営業時間終わった後でよかったわ!」
店長は店の閉店作業をしながら言う。
このコーヒーを飲んだら帰らなくてはならないのだが、家に帰る気になれない。
家が嫌なわけではなく、一人になったらまた悩んでしまうからだ。
ひとまずコーヒーを啜る。
香りの通り少し苦味が強い。
私は角砂糖を2つもらい、真っ黒な水面に落とす。
これをストレートで飲めるだけの人生経験が足りない。
閉店という形で店を追い出される。
外では蝉が一心不乱に鳴いていた。
自転車に乗ろうとして立ち止まる。
なぜ一心不乱に鳴いているのだと思ったのだろう。
蝉の生態をよく知るわけでもないのに。
自転車を漕ぎながら考える。
蝉のイメージがそうさせたのか。
それとも、鳴き声の大合唱に心を揺さぶられたのか。
家に帰り、なんとなく蝉について調べてみた。
本当に一心不乱に鳴いているのかを知りたくなったから。
蝉が鳴くのはオスがメスに居場所を知らせるため。
メスは鳴くことができず、オスのみが求愛行動として鳴くのだという。
それでは、ただのナンパではないか。
私は拍子抜けした。
ただ、さらに調べて行くと非常に興味深い事がわかった。
近くで大砲の発砲音がしても蝉は鳴きやまないのだそうだ。
もちろんちゃんと聴力はあり、蝉達は発砲音が聞こえている。
それでも、彼らは鳴きやまない。
自分の子孫を残すために必死にないているのだ。
私は少し目頭が熱くなった。
そんな彼らの気持ちもも知らずに、夏の暑さを際立たせる存在とか、ナンパではないかとか、自分都合の解釈をしていた事が申し訳なくなる。
まさか蝉の事で気持ちが揺さぶられるなんて思ってもいなかった。




