夏蝉、鳴く 35
「実感が湧かないっていう感覚は私にはもう忘れてしまったものかもしれませんね」
加奈子ちゃんは手に持っていたバケットサンドをお皿に戻す。
「私はコンクールに沢山出てきました。ステージに上がって演奏を評価される、順位を競い合うという事に関しては萌さんより経験してると思います」
彼女は話を続ける。
いつになく真剣な表情で。
「審査される事が当たり前で、その度に緊張して、プレッシャーに押し潰されそうで、ずっと自問自答を繰り返してます。もちろん、外の世界の人から見れば、それが異質な事は理解してます。でも、私達の世界ではそれを繰り返して繰り返してようやく1人前になれるんです」
それは小高加奈子という一人のトランペット奏者の言葉。
小さな頃から人に審査されるという事を繰り返してきた彼女だからこそ言えるもの。
彼女の言葉が胸に刺さる。
ステージに立つという意味を再度問い直す。
私の実感が湧かないのは勝負の世界の事が全然分かっていないから。
その事実を突き付けられている様な感覚。
加奈子ちゃんの言葉から、掴んだチャンスを無駄にして欲しくないという意志が伝わってくる。
ステージに立つ事がどれだけ大変な事かを忘れかけていた。
私はどんな気持ちでステージに立つ。
その答えが出ない限り私はステージに立つ資格がない。
「加奈子ちゃんはさ、音大いくの?」
だからだろうか。
彼女がコンクールが出る理由を知りたくなった。
「コンクールの手答え次第ですね。私はトランペット奏者としてやっていければいいので、大学に固執する事はないんですよね」
加奈子ちゃんの熱が伝わる。
いつもは端正な容姿に似合わず泣き虫で食いしん坊な彼女。
でも、一度音楽の話となると真剣な表情になる。
それが彼女の中にある音楽で生きていくという意志なのだろう。
音楽で生きていきたい。
私も彼女と同じ目標を持っているはずなのに、熱量の違いに負い目を感じる。
彼女の方がよっぽど現実を見ているのだから。




