夏蝉、鳴く 20
足の裏、ふくらはぎへと力を入れればステップを踏む事ができる。
膝を曲げれば飛べる。
そして、腰をひねれば回転できる。
誰もが無意識に行える、当たり前の行き着く先に踊りの深みがあると思ってた。
絶対的な経験値が足りない。
あまりにも分からないことが多過ぎる。
鏡の前で私は昨日見た事を思い出していた。
服を着る事は誰でもできる。
幼稚園児ですら。
でも、服を着こなす事は難しい。
アイドル時代、撮影場所がモデルさんと一緒になる事が多々あった。
モデルの方々は容姿もさることながら撮影はプロなだけあってやはり凄い。
カメラマンさんの要望にしっかりと答え、ポーズや表情を作っていた。
そんな人達を見ていく内に、表紙を飾る人、そうでない人との差というのもなんとなく分かった。
服に負けてしまう人達は消えていく。
服を着こなせる人だけが生き残っていくのだと。
表紙を飾る人は、服に負けないだけの存在感がある。
高い服になっても、奇抜な服になってもそれは変わらない。
服を自分の魅力の一部にしてしまう。
着ると着こなすが違うのと一緒。
踊ると踊りこなすは全然違う。
踊り方は一つじゃない。
人が一人一人違うように、個性がある様に。
踊り方が違うのは当たり前。
人には人の魅せ方がある。
イメージで身体を動かす。
頭の中で思った事を具現化していく。
それが必要なのだと。
大切なのはこうしたいという明確な意思。
私は1週間その事を頭に置いて練習し続けた。
夏期講習中の教室でも、学校への通学中も。
ひたすら踊りたい姿をイメージする。
腕より更に先、手から指先。
全ての動きに意識を向ける。
先生に言われてきた事、意識していたつもりだった事。
いや、意識はしていた。
ただ、意識の輪郭が広過ぎたのだ。
意識を研ぎ澄ませていく。
指の太さからピアノ線に。
ピアノ線をシャーペンの芯に。
シャーペンの芯の端まで自分の意思を伝える。
輪郭が研ぎ澄まされた身体を雷光が如くスピードで命令が伝わっていく。
身体と頭が近づいている感覚を確かに感じていた。




