夏蝉、鳴く 1
私のファンだと言ってくれた同級生や先輩達と交流する中で困った事が起きていた。
それはサインを求められペンを握った時。
真っ白な色紙を前にして手が止まった。
一応元アイドルである私は自分のサインを持っている。
かなりの数のサインも書いてきた。
色紙を前にすれば考えなくても自然と手が動く位に。
ただ、それはアイドル時代のもの。
アイドル柄本萌のものだ。
そう考えたら、使っていいのか分からなくなった。
今の私はただの女子高生。
だから、これから書こうとしている書き慣れてきたサインは偽物なのではないかと。
とりあえずその場は昔のサインを使ったが、こんな問題に突き当たるなんて思っていなかった。
全くの想定外だ。
サインを書く。
ずっとやってきた事を見直さなくてはならない。
「サインって作り直したほうがいいかな?」
加奈子ちゃんに問いかける。
顔と体型からは違和感しかない大きなお弁当箱を広げている彼女。
久しぶりにこの光景を見るとやっぱり驚く。
「サインですか?どうなんでしょう…私サインなんて書いた事ないので…」
彼女は困惑している。
お弁当を食べる手が止まるくらい。
サインがある事が当たり前になっていたが、そもそもそれ自体が特殊なのだと考えさせられる。
誰に相談すればいいのだろうか。
そもそも、この悩みを話せる人がいるのかとまた悩む。
私の頭は常に悩み事を抱えている。
人は脳味噌の機能を10%しか使っていないと言われたりするが、私の場合はその内の1%は悩みを解決する事に使われているのではないかと思う。
「サインの事はよくわからないですけど、萌さんこらこれから忙しくなったりするんですかね?」
顔を上げた彼女は不安そうに呟く。
「どうだろう。多分一時的なものだと思う。目立った活動してる訳じゃないし、元アイドルって言ってもこのご時世珍しいくないしね」
加奈子ちゃんがなんで不安そうな顔をしているのか察した私。
でも、今私が話したのは彼女に気を使った訳ではなく現実的な話。
それは、サイン以上に大きな悩み事になりそうだ。




