ありがちを叫びたい 36
「ここはテンポ落とす」
「猫が家垣を登る」
「そんな事あるわけない」
曲は進む事に思い浮かぶ言葉達。
2ヶ月前、初めてこの曲を合わせた時とは違う。
今、手元にはない真っ黒な楽譜。
でも、私の中にちゃんとある。
今岡先輩は凄い。
私の意図を読み取って演奏の幅を広げた。
自分だって慣れない場で緊張しているはずなのに。
私達に伝わるくらいちゃんと意思表示をしてくれる。
楽譜の事を思い出させてくれた。
曲は残りが3分の1を切った所。
“ここから、挽回出来るだろうか”
審査員の反応が少しづつ変わって来ている。
でも、多分これでは足りない
もう少し、アピールしなくては。
“だけど、時間が足りない”
焦ってはいけないと心に言い聞かせ、浮かんできた言葉達をなぞりながら演奏していく。
先輩達も自分もどんどん調子が上がっていくのが分かる。
考えているうちにラストのサビに入る。
色々と思い出すのが遅過ぎた。
せっかく調子が上がっていたのに。
最後は、間違えずに自分の役割をこなす以外何も私に出来ることはないのか。
演奏中に反省がどっと押し寄せてくる。
押し寄せた反省で吐きそうだ。
まだ、コーラスが残っている。
最後まで私の役割を果たせるだろうか。
少し息を吐き恐る恐るマイクに近づく。
その刹那、今岡先輩は一瞬私の目を見て少しだけ笑う。
この曲で2回目のアイコンタクト。
ほんの僅かな時間だが、驚く位今岡先輩の意志が伝わってくる。
フッと肩の力を抜く。
そして、私も笑う。
その笑顔は審査員に向けてではないのだけが確かだ。
そして、先輩の声に私の声を重ねる。
ちゃんと声が交わっている。
最後の瞬間だけ、あの子の背中が見えた気がした。
最後の音が小さな箱で響く。
曲が終わったのだ。
余韻を背負ったまま審査員のほうを向く。
審査員による総評を受けるためだ。
今からその全てを受け入れることが出来るだろうか。
そんな不安は不思議となかった。
それどころか、先ほどまで感じていた吐き気は無くなっていた。
真っ直ぐ審査員の顔を見る。
それが、評価を受ける者の姿勢だと私は学んでいたから。




