葛藤
1人の勝負師の26年間を綴った物語。努力ではどうにもならない世界をただがむしゃらに走った短いようで長い長編ドキュメンタリー小説である。
「負けました」
その言葉を発したとき私は26歳の最後のプロ棋士になるチャンスを逃してしまった。
その瞬間に脱力感が私の体内をかけめぐりめまいがするほどに目のピントが合わず意識がもうろうとした。
その対局は6時間にも及んび手数は200手を超えていた。私の対局相手も負けましたという言葉を聞くや否や倒れこむようにうつむいていた。
対局のルールは持ち時間がそれぞれ1時間30分でそれが切れたら一分間の秒読みである。普通は持ち時間から考えても長くて4時間くらいで終わる対局だ。そう考えると6時間という時間からもこの対局の死闘具合がうかがえるだろう。
他の奨励会員が対局を終え帰っていく中私の対局は延々と続いていた。局面は二転三転とし秒読みの中ミスの許されない緊迫とした状況で私に小さなミスが出てしまった。そこを的確にとがめられ差がどんどん開いていった。
しかし、私はあきらめるわけにはいかなかったこの対局で負けたら棋士になる夢が潰えてしまうからだ。必死で粘るももう逆転することができないことは私にはわかっていた。相手も私と同じ奨励会三段プロと遜色ない実力の持ち主である。でも人間である以上何があるかはわからない二歩を打つ可能性だってある。必死に粘るも間違えない正確無比な攻めに私はあえなく破れてしまった・・・
1996年私がまだ小学3年生のころ天才棋士羽生善治が7冠に輝いた。将棋には7つのタイトルが存在しそれを200人余りの棋士で1年通して取り合うのだ。棋士人生で一つもタイトルを取れないという人もいる、またタイトルを一つ取っただけでもトップ棋士の仲間入りと言われる中この天才羽生善治は7つすべてをそうなめにしてしまったのだ。
そのことをある棋士は像が針の穴を通るくらい難しいといい、ある棋士はこれは屈辱的だと闘志を燃やすものもいた。
私は小学三年生ながらこの偉業に感動し自分もプロになりたいと思い早速お母さんにお願いして近くの将棋道場に訪れた。
優しそうな席主の佐藤歩さん方が話しかけてくれた。
「坊や将棋の強さはどのくらいなの?」
僕が恥ずかしがっていると代わりに母が話してくれた
「ごめんなさい恥ずかしがり屋なんですまだルールも知らないんですけど羽生さんを見て将棋やりたいって言いだして」
「そーですかおかーさん大丈夫ですよルールは私が教えますので」
「ありがとうございますよろしくお願いします」
「お金はおいくらでしょうか?」
「今日はいいよ坊やが来てくれてうれしかったし」
「いやいやそれは悪いので」
と母と佐藤さんで話し合いが続いたかと思うとどうやら席主さんが折れて母から席料を受け取ったようだ。
「息子を少しの時間でいいので預かっていただけませんか?」
と恐る恐る母が聞いた
佐藤さんは食い気味に
「お預かりいたします」
と丁寧に答えた。
母は買い物や夕食の支度掃除をしてからまた来ると僕に伝言を伝えると将棋道場を後にした。
「じゃあまずは駒の動かし方から勉強しようか?」
「うん」
今思うとこの出会いがなければ僕は将棋を続けていなかったしもっと違う人生を歩んでいたのだろうと思った。人生の大きな分岐点がここにあった気がする。