魔女の嘆き
魔女狩り。
皆さんは此の言葉をご存じだろうか。
今から私がお話しすることは皆さんがまだ生を神から頂く前の話。
とある村に一人の少女が居ました。少女の名はマリア。金の稲穂のような美しい髪に瞳は蒼天を映したかのような青い瞳。
誰に対しても心優しいマリア。物心つく頃に口減らしの為、実の親に捨てられ、老夫婦に拾われてから一〇年が経っていた。すっかり村の人気者になってしまったマリアは一歩歩けば一〇人の人間に声をかけられる。そんなマリアを老夫婦は誇りに思っていました。
美しく成長したマリアの元には多くの縁談が押し寄せてきました。誰がマリアの心を射止めるのか。村では其の話題で持ちきりでした。
しかし、マリアのことを良く思っていない少女が一人村には存在しました。ジョバンヌです。
赤い髪と雀斑がコンプレックスの少女でした。彼女は美しく、村の人気者であり、同じ捨て子なのに両親に恵まれたマリアを羨ましく思っていました。
そう、ジョバンヌも捨て子だったのです。彼女を拾った男は、拾った当時は優しかったのですが、事業に失敗し、今や酒ばかり飲み、村の厄介者として嫌われています。男は酒が入るとジョバンヌに暴力をふるうようになりました。
ジョバンヌの中にあった男に対する尊敬や愛情は消え去り、憎しみだけが少しずつ蓄えられていったのです。
此処までは何処にでもあるただの女の妬み。けれど、ジョバンヌは人として超えてはいけない一線を越えてしまったのです。
穏やかな日だった。優しい人に包み込まれたような温かさのある日差しの中、マリアはいつものように老夫婦と他愛無い会話をしながら過ごしていました。
三人で話をしているとドアを三度、ノックする音が聞こえました。会話を中断して養父が出ました。家に来たのは教会の人間でした。
教会の話によるとマリアが魔女であると申告があったようです。
直ぐに養母は否定をしました。
「この子は魔女なんかではありません。」
「そうです。何かの間違いです。」
老夫婦は教会の人間に泣きながら縋り付いた。そんな彼らに教会は残酷な現実を突きつけました。
「其れを明らかにする為に我々はやって来たのです。全ては魔女裁判で明らかになります。」
「魔女裁判だなんて・・・・・」
「・・・・そんな、あんまりだ」
意識を失いかけた養母を養父が支えました。
養父は最後の足掻きとばかりに教会の人間を睨みつけ、言いました。
「義娘はとても良い子なんです。真面目で、誰にでも優しく。村人にも好かれています。」
養父の声は震え、目に涙が滲んでいました。最愛の義娘に魔女の疑いをかけ、殺しにやって来た教会に対する怒りの涙でした。
「義娘はキリスト教の熱心な信者でもあります。誰よりもキリスト教を愛しています。日曜日には必ず、教会に行き、お祈りだって捧げています。」
養父は必死に訴えました。義娘の潔白を。
「魔女は、神を崇めません。魔女は、神を愛しません。魔女は、神に祈ることをしません。其れでも、義娘が魔女だとあなた様は言うのですか?」
「彼女が本当にキリスト教の信者ならば、身の潔白を証明するために教会に行くべきです。それとも、あなた方がこうも熱心に引き止めるのは何かやましいことでもあるからですか?」
「そんなことは決してありません」
「ならば問題ありませんね」
老夫婦にとって教会の言葉は問題だらけでした。何故なら魔女裁判にかけられて生きて帰った者は居ないからです。
魔女裁判にかけられる。其れ自体が既に死刑宣告と一緒なのです。
「・・・・仮に」
養父に支えながら養母は今にも消えそうなか細い声を発しました。涙をボタボタ零しながら養母は教会の人間を見つめました。
「仮に義娘が魔女だったとしましょう。勿論、義娘は魔女ではありません。此れはあくまで狩りの話です。」
「心得ています。」
「キリスト様の教えにはこうあります。『汝の敵を愛せよ』と。其れなのに教会はキリスト様の敵である魔女を殺すのですか」
「其れはキリスト教に対する侮辱ですよ」
頬を赤らめ、教会の人間は怒りました。しかし、養母は怒りたいのはこっちだとばかりに教会の人間を睨みつけたのです。
「いいえ、侮辱ではありません。正当な意見です。」
「奥様、あなた様は何か勘違いをされているようですね」
複数いる教会の人間の一番奥、マリア達の家から一番離れた場所に立っている穏やかな笑みを浮かべた老人が居ました。彼の来ている法衣から此の老人が司祭クラスに当たることが老夫婦、マリアには分かりました。
「人々の間違いを正し、導くのも教会の務めです。」
「人を殺すことが正しいと司祭様はおっしゃりたいのですか?」
「いいえ。人を殺めるなど、恐ろしいこと私達はしませんし、そんなことは神もお赦しにはならないでしょう。我々が行うのは火による浄化です。」
「でも、其の浄化で義娘は死ぬわ」
「真にキリスト様の信者であるのならば浄化の炎で死にはしません。神がお救い下さるでしょうから」
「ならまず司祭様が試しに炎の中に入って下さい。試してみてください、神があなたを救うのか、見殺しにするのか」
「神を試すなど赦されることではありません。あなたの発言や、先程の旦那様の発言からも明らかであるようにどうも此の家は神に対し否定的ですね。此れでは村人に魔女だと疑われても仕方がない」
尚も反論しようとした老夫婦を制したのはマリアでした。此のままでは自分のせいで彼らまで魔女裁判にかけられ道連れにしてしまうことを恐れたのです。
「私は大丈夫よ。私は魔女なんかじゃない。其れをしっかりと証明して来るわ」
「マリア」
「マリア」
恐怖を押し殺し、微笑んで見せる義娘に老夫婦は何も言えませんでした。
「では行きましょうか」
教会側が「念の為に」と言ってマリアの手に手錠をつけました。マリアが家の外に出ると村人が様子を見に来ていました。
手錠をかけられ連行されるマリアを見て驚愕する村人の中で一人、ジョバンヌだけが口元にゆがみを作り其の様子を見ていました。
連行され、教会の地下に連れてこられたマリアは最初に神父によって服を剥ぎ取られました。
マリアは身の潔白を証明するために恥ずかしさに耐えました。露わになった肌は傷一つなく、神に身を捧げた神父ですら見惚れてしまうほど美しいものでした。
「では、此れより尋問を始める」
恐怖の時間の始まりです。
冷たい鉄が両手首を覆い、体を吊し上げる。宙ぶらりんになったマリアに神父は問います。
「お前は魔女だな」
「違います」
「神の前で嘘をつくのか」
「嘘ではありません。私は魔女ではありません!」
魔女であることを否定するたびに硬い鞭がマリアの体を叩きました。叩かれた所は真っ赤になり、熱を帯びるようになります。何度も叩かれると肉が避け、血が滲むようになりました。だが、そうなると既に感覚が麻痺をして、痛みなど感じなくなっていくのです。
「・・・・・私、魔女じゃ、ない・・・・・私は、魔女なんかじゃない・・・・・・」
意識が朦朧とする中、マリアは必死で訴え続けました。
「強情な女だな」
鞭ではきりがないと感じた神父はマリアの体を地面に下ろし、椅子に座らせました。
「いやぁぁぁっ!!!!!!!!」
その椅子は座面が針で埋め尽くされていました。マリアのお尻や太ももに太い針が突き刺さり、更に下から炙りました。刺すような痛みと、燃えつくような痛みが同時にマリアを襲いました。
此れが教会のすることなのか。
神はこんな非情を許しているのか?
マリアの心には神に対する憎しみが育ちつつありました。
「お前は魔女だな」
教会に拘束されて一週間が経ちました。休む暇もなく与え続けられる痛みにマリアの心は疲弊しきっていました。そして、マリアは苦痛から逃れるように言いました。
「・・・・・私は、魔女」
マリアの脳裏には老夫婦の顔が過りました。今までの幸せな生活が走馬灯のように全身を通り抜けていきます。実際に走馬灯だったのかもしれません。だって、もうマリアには『死』しか待ってはいないのですから。
「私は、魔女です」
此れで、彼女の苦痛はやっと終わるのです。
翌日、魔女の処刑が行われました。マリアは村の中央に磔にされました。
「我々が行った神聖な裁判の結果、この女は魔女であると認めた」
村人たちから驚愕の声が上がります。自分の死を見に来た村人たちを見て、次に書状を読み上げる神父を見つめ、皮肉的な笑みをマリアは浮かべました。マリアは何が「神聖な裁判だ!」と叫びたかったことでしょう。「あんなのは裁判でも何でもない。ただの拷問だ」と、村人たちに教えてやりたかったでしょう。だが、マリアにはそれができませんでした。あっさり教会の言葉を信じる村人たちに絶望した為です。
「此れより、魔女の処刑を行うが、其の前に」
神父に促され、老夫婦が処刑台の前に来ました。
「あなた方は魔女に騙されていたのです。其の為、今此処であなた方が教会の信者であることを証明してください」
神父はそう言って養母に石を持たせました。
「・・・・・お義母さん」
教会が養母に何をさせようとしているのかマリアにも分かりました。此処で養母が石を投げなければ「魔女」もしくは「魔女に加担した者」として同じように処刑されてしまいます。其れが分かっていてもマリアは迷っている養母に「石を投げろ」とは言えませんでした。投げないでほしかったのです。石を投げるという行為はマリアを魔女だと認めることだからです。
お義母さんだけは信じて欲しかったのです。自分が魔女ではないことを。でも、現実は何処までも人に冷たいものです。
養母の投げた石がマリアの顔に当たりました。石が当たったところから僅かに血が流れました。
マリアはショックを受けました。当然です。結局は誰も、養母でさえもマリアのことを信じてはくれなかったのですから。
「いけませんよ、そんなことをしては」
自分で石を渡したくせに教会の立場として、魔女に石を投げた養母を神父は咎めました。だが、其の口調は優しく、其の目は喜びに満ちていました。此の世界にはなんて下衆な神が居たものだ。と、マリアは思いました。
―――――いや、此の世界に神は居ない。
「魔女に火を放て」
養母は泣きながら逃げ帰っていきました。マリアの周りはまさに火の海です。熱気のせいで汗は流れ、じわじわと這い上がる火が下からマリアの体を燃やします。体はヒリヒリと痛み、肉の焼けた臭いが鼻に着く。自分の肉を焼く臭いを嗅ぐというのもあまりいい気分がするものではなかったでしょう。
養母は帰ったが、村人たちは誰一人として帰ってはいませんでした。おそらくマリアが死ぬまで見ているつもりなのでしょう。
なんて、人達だ。人の死を見るなど、悪趣味極まりない。
自分はこんな奴らに殺されるのか。
一週間の拷問で疲弊し、自然消滅しははずの憎しみが再び、アリアの心を焼き尽くしました。
「おい、魔女が笑っているぞ」
村人は死に逝きながら笑っている魔女に恐れ戦きました。傍に居た神父も青ざめながら魔女を見つめました。
「滅びればいい。お前らも、此の世界も、みんな、みんな滅んじまえ」
「早く処刑を」
神父は魔女の早めの『死』を望み、部下に命じて更に火を投下しました。
魔女は自分を化け物でも見るかのような目で見つめ、同じ人間でありながら自分を恐れる村人を嘲笑しました。
教会の宣言に対し疑いを持つこともなく、今まで共に暮らし、言葉を交わした人間の死を平気な顔で見つめる村人をマリアは深く憎みました。
今までこんな奴らを愛していたかと思うとマリアは吐き気がしました。
「此の世界もお前達もみんな、みんなくそくらえだ」
炎がマリアの体を完全に包み込み、彼女の魂を焼き尽くすまで、彼女は笑い続けました。
己を焼き尽くす炎を、己の魂を殺した軟弱な己自身の心を、村人を、教会を、此の世界を彼女は笑い続けたのです。死の其の瞬間まで。
其れが村人達を恐怖のどん底に陥れました。
やがて炎は鎮火し、あとには炭化した人間だったものが残りました。
「みなさん、恐れることはありません。此れで此の魔女は地獄に落ちました。もう二度と皆さんの前に現れ、皆さんを惑わすことはないでしょう。全ては神の御心のままに」
そう、神父が続け、魔女狩りの儀式を終えた村人達は帰って行きました。ですが、其の顔は晴れることなく、異様な不安だけが村人の心をざわつかせていました。
マリアの死に様は村人の口によって老夫婦にも伝わりました。
家を重い沈黙が流れます。
自分達は本当に魔女を育ててしまったのだろうかという不安と、そんなことはないと否定をする親心に彼女達は追い詰められていったのです。ですが、其の苦悩は長くは続かなかった。
何故なら、其の日の夜。村が全滅したからです。
魔女が死んだ日の夜、闇夜を照らす光が村を覆い尽し、人々は悲鳴を上げながら家から飛び出しました。
火の気のないところから火が上がり、村人の家を燃やし始めたのです。最初は野党の仕業かと思われた厄災
しかし、金の稲穂のような美しい髪をした女を見たという目撃者が居たのです。
「魔女が復活し、復讐を始めた」のだと誰かが囁きました。
「そんなはずはない!」
恐怖から逃れる為に村人は否定しました。否定した村人の顔も強張っていました。
「今はそんなことを言っている場合ではないでしょう」
「そうよ!早く逃げないと」
「来たぞぉー、魔女だ。魔女がこっちに来た」
数人で固まって逃げる算段をしていたところに煤だらけの男が走ってきた。其の後ろには昼間、魔女として処刑されたマリアの姿がありました。
村人達は悲鳴を上げ、一斉に逃げ出しました。しかし、マリアに背を向けた人間の体は容易く燃え上がり、炭化しました。
火の気のないところから火が出て、焼き殺す。其の現実に村人達はなす術もなく、死んでいきました。
マリアが次に向かったのは自分の家でした。自分を育て、魔女として見殺しにした老夫婦に会いに来たのです。
家には老夫婦が居ました。けれど、其処に居たのはマリアが生前知っていた老夫婦のなれの果てでした。
顔は苦しみに歪み、カッと開いた目からは涙が、口からはだらしなく涎が垂れ流され、伸ばした手の先にはコップがありました。
老夫婦は毒を飲み、自殺をしていたのです。
魔女を育てたことへの贖罪か、義娘を見殺しにしたことへの贖罪かマリアには分かりません。
ただ、二人が死んでいるという事実に心を動かされない己を嘲笑いながらマリアは全てを滅ぼそうと決めました。
マリアが歩く度に炎が上がり、悲鳴を上げながら逃げていく人間の命を奪っていきます。
助けを乞う者も居たでしょう。赦しを乞う者も居たでしょう。けれど、マリアは誰の声も聴きませんでした。嗤い、燃やす彼女の瞳から幾数もの涙が零れていました。其の涙を拭うこともせずに彼女は村を滅ぼしたのです。
「そんな、こんなつもりじゃあなかったのに。どうして・・・・どうしてぇーっ」
滅んだ村でタダ一人生き残ってしまったジョバンヌは変わり果てた村に、己の犯した罪の重さを映し出し、後悔しました。だが、時は既に遅し。村は滅び、魔女は世界に放たれてしまったのです。
其れから一〇年の間、此の国は魔女の脅威にさらされましたが王の命令により魔女は滅ぼされ、国に平和が訪れました。