week1、未熟さ
素直に、自由に描きなさい、というとき、
私たちは幼子の、べたべたの手のひらで思う存分に、線を愛撫していたときのころを思い出す。
今だって、遅くないさ、さぁ、描いてごらんと自分を絵に再び向かわせてみる。
すれば、あまりにも未熟で、拙いものが現れ、愕然とする。
そして、今までの時間を、自分を呪い始める。
才がない、時間が無い、親が、友達がetcと。
罵倒に余念なく、そして、また、くちゃくちゃに紙を丸め、
じっとスポットがあたり、評価されている絵を、ガラス越しに顔を潰すほど近づき、
駄々をこねることさえできずに黙ったまま、じっと見つめるのだ。
だが、本来は、未熟さほど、爽やかな神様の吐息を運ぶものはない。
未熟さは、可能性のかたまりだ。
もう一度言う、私たちは、可能性のかたまりだ。さて、さきほどぐちゃぐちゃにした絵を再び見つめよう。幼いころから時が止まったように、未熟な絵。そして、どうすればよいのか、何をすれば少しはましになるのかと、右往左往、今度は、身体がそわそわし始める。そして、こうすれば上達する、という言葉や方法を信じて、ただ、彼らを信じて飲み込んだまま、苦行が始まるのだ。
さて、本願は、絵心を取り戻すことだ。未熟さを愛しながら、今をダンスすることだ。
行き詰りや恐怖から、行くべき道を見出すこと。
自分に素直に、素直な気持ちで描くこと。
未熟さへの惨めな思いは、自分の能力の確信の裏返しだ。
自分は、この直感にしたがって素晴らしい絵を描くことができる。
そして、あなたが信ずる通り、その直感は正しい。
だが、道に行き詰ったと感じている。
そう、道は、直線的ではないのだ、もっと複雑だ。
ただ、確かに道なのだ、ジグザグだろうと、繋がっている。
さぁ、小さいとき、描かずにいられなかったものの、続きを描いてみよう。
先ほどまで罵倒せずに、いられなかったものが、不思議と、腑に落ちるだろう。
続き、そう、道は、あのころから続いているのだ、
そして、今から、また、あなたは、歩み始めるのだ。