黒と黒、朱と黒
俺たちが何事かと思う間も無く――金属音が辺りに響いた。紛れもなく、槍と何かがぶつかったのだ。
「な……?」
何が起こってんだ?
俺たちの目には、何も見えない。だけど、アインの行動、そして今の音……そこに何かがあるってことだけは、分かった。
「……ここまで気配を感じないとはな。流石だ、と言っておこうか」
「お前こそな。おれの気配を読み取れる者など、そう多くはないのだが」
アインが呟くと、何も無いはずの空間から、返事があった。もう、何が何だかサッパリだ。
……急な事態に混乱しつつあった俺の目にも、次の変化は見えた。
それは、何も無かったはずの場所に、突如として人のシルエットが現れたってことだ。いったい、何者が……。
――――!!
「お、まえ、は……」
声が、上手く出て来なかった。
現れたのは、漆黒の毛皮を持つ、豹人の男。アインの槍と、男の双剣が、静かに拮抗している。
俺は今が窮地である事も忘れて、そいつの姿に釘付けになっていた。
――俺は、こいつを知っている。
男の鋭い眼光の中に、昔の俺がうっすらと見えた。目の前の冷静な表情の奥に、優しく俺に語りかけて来ていた笑顔が見えた。
それは、遠い遠い過去の記憶。それでも、一時たりとも忘れたことなど無かった人。その面影が、目の前の男と完全に重なった。
心臓が、興奮と動揺に暴れている。
俺は回らぬ舌を無理やり動かして、絞り出す。長い間呼んでいなかった、探し求めてやまなかった名を。
「……フェリオ。お前、フェリオなのか……?」
男は、俺の言葉に、視線だけを俺に移した。その瞬間、無表情だった豹人の顔に、微かな笑みが浮かんだ。
「そうだ。久しぶりだな……アトラ」
「…………!!」
俺は、今度こそ頭が真っ白になった。色んなことが一気に起きすぎて、全く追いつかない。
どうして。何で、フェリオがここに。なんで……今になって。
「……貴様は、いつもこの身の邪魔をしてくれるな」
「別に、お前に恨みがあるわけではないがな。こちらとしては、いつも厄介ごとを起こしてくれると、そのまま返したいところだ」
二人は一旦武器を引いて、距離を離す。知り合いなのか、この二人は。
「お前がこの近くで動いていると報告を受けた。丁度、この付近ですぐに動けるのがおれだったから、様子を伺いに来たというだけだ」
「様子を伺いにという割には、直接的な介入をしているようだが?」
「おれも最初は姿を見せるつもりではなかったが……少しばかり、こちらにも事情があるのでな」
フェリオは、ちらりと俺の方を見た。もう笑顔は消えている。
「そもそも、この男は銀月の仲間だ。銀月については、おれ達に全て任せ、その仲間を含めて介入はしないと誓約が結ばれていたはずだが?」
フェリオの言葉に、アインは押し黙る。……銀月? 何の事だ。言い方からして、人を指しているみたいだけど。
それに、フェリオの言い種は、まるで前々から俺の事を知っていたような感じだ。本当に、どうなってんだ? 誰か、今の状況を説明してくれ……。
「同盟関係にあるとは言え、最低限の約束は守ってもらいたいものだな。銀月に関しては、おれ達の内輪の問題だ。余計な手出しはしないでもらおうか」
「内輪の問題、か。よく言ったものだ。貴様が介入した理由は、銀月だけでは無いようだが?」
「………………」
今度はフェリオが押し黙る。
「仮に銀月の事だけが理由としても、今回はたまたま件のギルドとその男が引っかかっただけのことだ。それ以前に、我々とて、銀月が刃を向けてきた時に、約束だからとそれを受け入れるほどに間抜けではない。苦情があるのならば、銀月の側を制御するのだな」
「お前の主に似て……そうなるように仕向けておいて、よく口が回るものだな」
「それは貴様たちも同じことだ。ついでに口を出しておけば、裏切り者など早々に消しておかねば、後に自分たちの首を絞めると思うがな?」
「……忠告として受け取っておこう。だが、こちらにはこちらの考えがある」
フェリオの声は少しだけ不機嫌そうだ。元々、あまり感情がこもってはいないけど、俺には何となく苛立っているのが分かった。
「とにかく、上での決定を破ると言うならば、今後の関係に支障をきたす事になるぞ」
「今回の目的はただの兵器実験、そこまでの事態にするつもりは無い。此方とて、今はまだ、貴様たちと事を交えるつもりは無いからな」
「ならば退け。そして、お前の主にも釘を刺しておけ。こちらの忍耐にも限界があるとな」
「……良いだろう。此度は得られるものもあった。これにて満足しておいてやろう」
アインはそう言いつつ槍をしまう。……混乱した頭の中に、逃がしてはいけない、と言う思いが浮かんでくるが、俺が前に出ようとすると、フィーネがそれを止めた。
「止めたほうが良い。私たちに、手に負える事態ではない」
「…………っ」
彼女の言う事が正しいのは、俺だって分かっていた。ここで俺がでしゃばった所で、あの男に勝てるとも思えない。
それに、何だかいろいろとややこしい事態になってるみてえだ。こういう時に下手に動けば、余計に状況が悪くなるだろう。だけど、感情はなかなか追いつかない。何とか抑えようと、拳を握った。
「彼女の言う通りだ、アトラ。この男は、その気になれば躊躇いなくお前たちを殺す。大人しくしておけ」
……フェリオ。くそ、会ったら言おうとしてた事は山ほどあったはずなのに、何も言葉が出て来ない。
あれから十年以上だぞ……どうしてこいつは、こんなに平然としてるんだ。こいつは何を知ってるんだ。本当に何なんだよ、この状況は?
「だが、素直に退くだけと言うのも、面白くない話ではないか?」
そんな俺の思考は、アインが出し抜けに放った一言で止められた。
「何だと……?」
「繰り返すが、銀月は、我々にとっては危険因子だ。この誓約は貴様たちに有利なものである。それを理由にこちらを妨害し、退かせるのならば、少しは対価を支払ってもらおうか」
「……詐欺師の弁だな」
「なに、そう難しい話ではない。この地に来た目的、その手伝いをしてもらうだけだ」
その言葉に、俺ははっとして周りを見渡した。目に入るのは、待機している獣たち。こいつの目的って言えば……戦闘データを集めることか?
「このUDB達と戦えということか。だが、おれを相手に、まともな戦闘データが取れると思うのか?」
「安心しろ、貴様をそこまで過小評価はしていない。性能を発揮するまでもなく、蹴散らされるであろうさ。だが、その代わりに……貴様の戦闘データが手に入る」
その会話の最中、また耳鳴りが始まった。
「その二人を護る必要もある。さすがに、下手に手を抜くことはできないだろう?」
「……おれのデータ、か。いずれおれを殺すための算段でも立てるつもりか?」
「それは、マリク様が決めることだな。仮に貴様を相手にするとすれば、どこまでの能力が必要か……存分に計算させてもらうとしよう」
フェリオは顔をしかめる。アインはそんな彼を一瞥すると、俺とフィーネに視線を移した。
「改めて、礼を言っておこう。おかげで、今回は思わぬ収穫が多かったぞ。……ああ、一応言っておくが、次の群れは制御せず、暴れさせる。死にたくなければ、全力で抗ってみるがいい」
「てめえ……!」
「この身を捕らえるつもりならば、次に会う時には、せいぜいその力を扱えるようになっておくことだな」
「ふざけんな……待ちやがれ!!」
どこまでも上からの言葉に、俺は思わず、怒りに任せて飛びかかった。
だが、次の瞬間には……アインの姿は、かき消えていた。トンファーが、虚しく空を切る。
「……畜生おぉっ!!」
悔しくて仕方なかった。利用された事が。見下された事が。何も分からない事が。何もできなかった事が。
その怒りをぶつける対象が消えたせいで、やり場のなくなった感情に任せて、俺は叫んだ。
「アトラ。悪いが時間が無い。怒るのは後だ。今は、目の前のことに集中しろ」
「…………っ!」
フェリオに叱責され、俺は牙を噛み締めて、感情を抑えながら周りを見た。
UDB達は、次々とその数を増していた。俺たちは、獣の群れに包囲されていく。今までとは、比較にならない。見えているだけで、20から30体は……いや、もっと増えていきやがる。
「すごい数。苦戦は必至」
「連れて来た奴を全て投入しているんだろう。転移の規模から考えて、まだ半数にも満たないだろう」
あのUDBが、これだけの数。完全に、絶体絶命って感じだ。
それでも、横にいる黒豹も少女も、何とも落ち着いていた。だから俺も、少しは頭が冷える。
「フェリオ……」
「話は後だ。手は貸すが、さすがに一人でこの数は受け止められない。全員で切り抜けるには、お前たちの力も必要だ」
「……分かってるよ。ただ、終わったら色々と聞かせてもらうからな」
「ああ。だから……死ぬなよ、アトラ」
最後に付け加えられた俺の名は、静かだったけど、昔と同じ優しい響きを持っていた。
やっぱり、彼は間違いなくフェリオだ。ある意味では当たり前なそんな思考に、ほんの少し安心したのとほぼ同時に――奴らの攻撃が始まった。
まず狙われたのは、フェリオだった。一斉に三体が、彼に食らいつかんと飛びかかる。
「フェリオ!」
「………………」
だけど、フェリオは一切動じる事無く双剣を構える。
そして――まさに一瞬だった。獣たちの身体から、大量の鮮血が溢れ出していた。
「な……!」
一体は喉を裂かれ、一体は頸動脈を断たれ、もう一体は心臓を貫かれている。致命的な急所への容赦ない攻撃に、三体は悲鳴すら上げずに絶命した。
……動きが、ほとんど見えなかった。一切の無駄がねえ。俺とは比べものにならないほどに、強い。マスターとまでは行かなくても、あの辺の人とも戦えそうなぐらいに。
「余所見をするな!」
「ッ!!」
その言葉に我に返って、自分に飛びついてきていた奴らの攻撃を、トンファーで何とか受け止める。PSを全開にし、根性でそれを押し返すと、波動を纏った渾身の叩き付けで群がる奴らをまとめて吹き飛ばす。
フィーネも、白炎を盾の形にして獣を受け止め、隙を見て鎖や剣で応戦する。そんな芸当もできるのか。だけど、やはり接近戦は苦手みたいだ。どこか、苦い表情に見える。
吹っ飛ばした奴らは、直撃した一、二体以外は仕留めきれていない。
そして、どんどん奴らの数は増え続けている。分かってはいたけど、これは……。
「いくらなんでも……多すぎだろ!」
このまま物量で攻められちまえば、フェリオはともかく俺とフィーネはヤバい。連戦で体力が減ってる今、持ちこたえられる自信はあまり無かった。
俺はできるだけフィーネを庇うような形で迎撃していく。彼女も俺に合わせ、的確に支援をしてくれる。
一方のフェリオは、素早く駆け巡りながら、相手に一撃で致命傷を負わせていく。俺達に向かう奴らから仕留めつつ、敵を引き付けようとしてくれているようだ。
それでも、数は減らない。むしろ転移のスピードからして、増えているんじゃないだろうか? もちろん総合的には減っているんだろうが、いつまでも減らないような錯覚を覚えそうになる。
「はあ、はあ……畜生!」
データを集めるって言った以上、アインの野郎は何らかの手段で俺達を見ているはずだ。たまらなく、腹が立つ。
それよりも、このままじゃ本当にマズい。いっそ、衝動を完全に解き放っちまえば何とかなるかも……いや、駄目だ。それをやっちまえば、間違いなく俺はフィーネ達まで襲っちまう……! 何とか、何とかしねえと……。
「はあああぁっ!!」
そんな俺の思考を止めたのは、聞き慣れた少女の声だった。
「え……?」
俺は最初、自分の耳を疑った。続いて、目を疑った。
二本の短剣を手に、遥か上空から、UDB目掛けて飛び降りてきた猫人の少女の姿に。
『グォウ!?』
奇襲を受けた獣は激しく暴れたが、少女は巧みにその背に張り付き、数回にわたって短剣を突き刺した。
そして、そいつが倒れると同時に背から離れ、俺の目の前に着地する。
まさか。どうして、こいつがここに。ってか、どういう登場の仕方だよ。
「美久!?」
「あんたはほんと……目の届かないとこで、変なことに巻き込まれてるわよね!」
そして、どうやって彼女が空から降りてきたのかも、とっくに目に映っていた。
俺たちの頭上を、巨大な影が横切る。
「行くよ、気を付けてね!」
「って、おわぁ!?」
俺が備える間もなく、俺達の目の前に、四足歩行の巨大な獣が降り立った。
衝撃に大地が揺れる。何体かの運が悪いUDBが、その四肢を回避しきれずに吹っ飛ばされていく。