破壊の牙
「こいつは……」
現れた獣の数は三体。その外見は、獰猛な黒いライオン。昨日と同じ種類か。
だけど……何だ? 少し様子がおかしい。何かが、昨日とは違う。心なしか、一回りほどサイズも大きい気がする。
『グウゥ……グガアアァッ!!』
「…………!?」
大気を震わすような威嚇の咆哮を、中央の一体が上げる。ぴりぴりと、刺すような空気に、毛が逆立つような感覚を覚える。
……こいつら、どうしたんだ? 昨日の奴らは喋ったりしていたはずなのに。目の前のこいつらからは、理性を全く感じない。
「ッ!!」
だが、疑問を持つ時間はなかった。奴らのうち一体が、俺目掛けて飛びかかってきた。俺は左手のトンファーで、振り下ろされた爪を受け止める。受け流すようにしてもなお、凄まじい衝撃の余波が腕に走った。
「ぐっ……!?」
何てパワーだ。特殊合金製のトンファーが、へし折れてしまいそうな程の威力だった。
やっぱ違う。昨日の奴らもそれなりに速さと力はあったが、ここまでじゃなかった。数は少ないけど……こいつは、昨日よりヤバい状況かもしれねえ。
「この、野郎!」
やられてばかりじゃいられない。力を込めで、右手のトンファーを相手の頭部に全力で叩き付ける。そいつは悲鳴を上げると、後ろに跳ねて距離をとった。
怯ませはしたけど、大したダメージになったようには見えない。むしろ、攻撃した俺の手が痺れてしまうような手応えだった。何て硬さだ……!
続いて、残りの二体が両サイドから襲い来る。爪でも牙でも、どの攻撃を喰らっても、深手になるのは考えるまでもない。
俺は両手のトンファーを総動員して、その猛攻を受け止めていく。途中、何とか攻撃を加えようとするが、俊敏なコンビネーションの中に隙を見付けることができない。動きも統率されてやがる。
だけど、このままじゃ埒があかない。もしあと一体が回復して加われば、耐えきれない。
「ちっ……おらぁッ!」
覚悟を決め、その場で回転するような動きで勢いをつけ、それぞれの側頭部に打撃を加える。直撃した攻撃で、そいつらは吹っ飛ぶような感じで後ろに下がった。
「はあ、はあ……」
その隙に、何とか息を整えた。
距離を空けることはできたけど、状況は悪い。奴らが素直に下がったのは、今のが様子見だったからだ。次はたぶん……本気で仕留めにくる。
今のでもヤバかったぐらいだ。三体が全力で来れば、そう長いこと持ちこたえられないだろう。だからって、このまま速攻を狙うのは無理だ。鋼鉄のような外皮の硬さは並じゃないし、薄いところを狙うにしろ、決定打を入れるのは難しい。
……残された手は、一つだけ。
一瞬、俺の頭に、昨日のカイツ達の表情がちらついた。そんな事を考えている場合じゃないのに……俺はどこかで、それの解放を拒絶している。
使いたくない。あれを使えば、俺は。
「アトラ……」
――フィーネの声で、思考が切り替わる。
もし俺が一人だけなら、ここで意地を張るのは勝手だ。死んだって誰にも文句は言えない。けど、今……俺の後ろには、フィーネがいることを思い出した。
どうして逃げていないんだ、とか、色々と思うことはある。でも、大事なのはそれよりも、このままだと彼女が巻き込まれるということ。
俺は、自分の我が儘で、彼女まで殺すのか?
「あなたは下がって。私が、戦う」
俺を庇うように、前に出ようとした彼女の姿に、俺の中で何かが吹っ切れた。
「…………?」
俺は右腕でフィーネを止める。彼女は少しだけ驚いたように俺を見た。
「大丈夫だ。……俺から、離れていてくれ。すぐに、終わらせる」
これを使えば、彼女はどんな反応をするんだろう。そんな自問自答を少しだけして、考えるのを止める。
相手はいま知り合ったばかりの少女。それでも、恐怖を向けられたりするのは嫌だ。
使いたくない。もう、誰かに拒絶されるのは嫌だ。
嫌だ。嫌だ。……嫌、だけど。それでも……!
――自分の過去を逃げ道にして、誰かを危険に晒したりするのは、もっと嫌だ!!
様子を伺っていたUDB達は、今を好機と見たのか一斉に飛びかかってきた。
俺は迷わず前に飛び出す。少しでもフィーネと離れておきたかった。獅子たちは少しだけ面食らった様子だったが、それで隙を作ってくれるほどではない。奴らの猛攻が、俺に集中する。
「ふうううぅ……!」
俺は奴らの攻撃をいなしながら、心の奥深く……いつも封印している部分に意識を伸ばした。
イメージするものは、黒。深くて暗い、光の差さない闇の中。
それは、俺の幼いころそのものだ。両親の顔もまともに覚えておらず、兄とも生き別れ、決して満たされなかった苦しい生活。叔父に拾われた自分はまだ幸せなのだと、そう言い聞かせて満足なフリをしていた。だけど、少しずつ、俺の心には黒いものが溜まっていった。
孤児院に入ってからは、それはもっと加速した。俺のいた孤児院はとても貧しくて、僅かな食糧をみんなで分け合い、寒い日には一枚の毛布を何人もで分け合って震えながら過ごす、そんな毎日だった。
もちろん、全てが辛い時間だったわけじゃない。シスターは俺たちをできる限り大事に育ててくれたし、みんなも家族みたいなものだった。それでも、明日も見えない生活の中、俺は自分の境遇への行き場の無い感情を……理不尽への憎悪と、生への執着を強めていった。
そして――
「――オオオオォッ!!」
半ば無意識に獣のような咆哮を上げ、俺は自分の中のドス黒い感情を解き放った。
『ガッ!』
『グゥ!?』
身体を捻り、立て続けにトンファーを三体の獣に打ち付ける。確かな手応えと共に、奴らの体が軽く吹き飛ぶ。奴らは俺の予想外の抵抗に、慌てて後ろに下がった。
「………………」
俺の身体には、変化が表れていた。と言っても、海翔のように色が変わったりとか、俺の身体そのものが変化するわけじゃない。変化が現れるのは、その外側。
一番近いのは、ガルの力か。だけど、俺の腕が纏うのは、黒い波動。〈月の守護者〉の明るい光とは対称的で、禍々しい光。全てを飲み込んでしまうような、暗いうねりが広がっていく。
「悪いな……こうなったら、もう、自分じゃ抑えられないんだ」
俺は自分の得物を、特注で作ってもらったトンファー〈ジェミニスター〉を、強く握り締める。俺の腕を伝い、それもまた黒い波動を覆っていく。
普通の素材じゃこの力には耐えられない。けれど、グランニウムという金属を用いたこいつなら、俺が何も気にせず力を振るっても問題はない。気にできないって言う方が正しいけど。
変化するのは身体だけじゃない。俺の心に沸き上がってくるのは、獲物に対する破壊衝動。己を脅かす存在に対する拒絶。こうやって考えられているのだって……どこまで保つか分からない。
俺のPSに与えられた名は……〈破壊の牙〉。
「せめて、速攻で終わらせてやらあ!!」
俺は再び咆哮を上げると、最も近くにいた獣に飛びかかった。
UDBは、若干の動揺と、凄まじい怒気を露わに、俺を迎撃しようと飛びかかってくる。先ほどの攻撃のダメージは、大したことなさそうだ。だが、それは俺も承知の上だ。
獅子の鋭い爪が俺に迫る。それの破壊力は、身をもって体験済みだ。
だが、避ける気は無い。俺は、真正面から迫り来るその爪に、 トンファーを思い切り叩き付けた。
ばきり、と言う感触と共に、獣の剣爪が、根元付近からへし折れた。
『ガ、グ……!?』
痛みよりは驚愕からだろう、獣がうめき声を上げる。折れた爪は宙を舞って、後方の地面に転がった。
相手の動揺によって生まれた隙を見逃さず、そいつの右前足に、全力の振り下ろしを繰り出す。確かな手応えと、何かがへし折れる感覚が、俺の腕にはっきりと伝わった。
今度は激痛の咆哮が上がった。俺の攻撃を受けた箇所は、通常なら有り得ない向きに曲がっていた。
……四肢を損傷した獣なんざ、ただの獲物にしかならねえ。距離を離そうとするそいつの顎を、トンファーの振り上げが打ち抜いた。
『…………ッ』
かち上げた側頭部に、たたみかけるように追撃を加える。よろめくそいつの上に飛び乗ると、止めとばかりにその首へと両手のトンファーを叩き込んだ。
生物は、力の全てを発揮できないってのは有名な話だ。もしセーブ無しで力を使えば、自身の身体の方が危険だからだ。火事場の馬鹿力ってのは、窮地にそういうリミッターが外れただけ、って言われる。
……今の俺は、言っちまえばそのリミッターが緩められた状態だ。結果として、俺の身体能力は飛躍的に上がる。獣の骨を簡単にへし折るくらいに。
それは、この力の作用のひとつだ。けど、あくまでおまけでしかない。この能力、その真の効果は。
俺はぐらりと倒れていく獣の背から飛び降りると、前後から迫っていた残りの二体の攻撃を受け止める。
仲間をやられたからか、攻撃は熾烈さを増していた。挟み撃ちにされての猛攻は、完全には受けきれず、俺は少しずつ傷を負っていく。
それでも、全てかすり傷のようなもんだ。痛みはするが、決定打には程遠い。――痛えな、この畜生共が。そうか、てめえらは敵か。敵は……全部、潰す――
そのうち、業を煮やしたのか、一体が俺を仕留めるべく、喉元に飛び付いてくる。俺はそれを回避すると共に、そいつの口にトンファーを突っ込んだ。
『ヌグッ!?』
「おらぁっ!」
そして、そのまま勢いをつけて振り抜き、そいつを思い切り投げ飛ばす。そいつは数メートルほど地面を派手に転がっていった。
だが、その隙にもう一体が背中から襲い来る。とっさに急所はそらしたが、爪の薙ぎ払いは、左の脇腹から腰にかけてを深々と抉った。
激しい痛みが走る。だけど、今の俺には大した問題じゃない。致命傷さえ負わなければ、関係ない。――死ぬとこだったじゃねえか、この野郎。だったら、殺される前に殺してやる――くそ、そろそろ……衝動が、止められない。頭の中が、ぐちゃぐちゃになってきた。
「お返しだ……!」
牙の追撃を左手の武器で受ける。そして、俺は右腕を大きく振り上げた。トンファーが纏っていた黒い波動が、一際強くなる。
「おらああぁッ!!」
俺が腕を振り下ろすと共に、それは衝撃波となり、獣の身体を地面に叩き付けた。
爆発のような衝撃に、獣の身体は地面でバウンドする。当たった瞬間、何かが砕ける感触があった。獅子の口から、赤い液体が零れる。
どさりと崩れ落ちる獣。そして、弾け飛んだ黒い波動が、再び俺へと集う。
――それが戻ってくると同時に、俺の身体には変化が起きた。先ほど負った細かい傷、そして背中の傷が、少しずつ治癒し始めている。
俺の力の効果は……破壊と吸収。
黒い波動による攻撃は、常時のそれを遥かに超える力を発揮する。同時に、その一撃を加えた相手の生命力を奪い取り、エネルギーとして変換、俺自身の生命力に変える。傷が治ったのは、そのせいだ。相手の命を喰う……それが、俺の力。
その人のPSがどんな力になるかには、いくつかの要素……大きく分けるならば、〈遺伝〉と〈心〉がある。
遺伝は言葉通り、両親の使う力の特徴を受け継ぐこと。遺伝のしやすさはまちまちらしく、中にはこれで代々受け継がれるようなPSもあるらしい。
だが、どちらかと言えば心のほうが大きな要素だ。その人物の性格、記憶、憧れ、願望……そんなもんがないまぜになり、一つの力として形になる。
俺のこの力は、周囲への拒絶が破壊、生きることへの執着が吸収の効果となったんだろう、ってジンは考察していた。
「……次の獲物は、てめえだ」
先ほど投げ飛ばした奴の方に向き直る。そいつはよろよろとした動きで起き上がり始めていた。――ああ、もう弱って……喰いやすそうだな。
この力を使う時、俺の頭のどこかに、いつも一つの場面が浮かぶ。
俺が過ごした孤児院は、ある日、UDBに襲われた。
いくら治安の悪い国でも、街中にUDBが入ってくることなんか普通はない。だけどその時、UDBの大量発生が起きていたらしい。軍がそれを処理しようとしたそうだが、取りこぼした連中がいた。傷付いた獣たちは、餌を求めて領域を踏み越えてくるぐらいに気が立っていた。
街はずれの孤児院が襲われたことなんざ、誰も気にするようなことじゃなかった。
俺たちには、どうしようもなかった。魔獣と戦う力があるやつなんか、孤児院にはいなかった。
そして……仲の良かった友人が襲われる姿、そして、自分がこれで死ぬかもしれないと言う恐怖が、俺の心の何かを外した。
それが、俺がこの力に目覚めた瞬間だった。
俺は右手のトンファーを腰のホルダーに戻すと、最後の一体に飛びかかった。同時に、右手に力を収束させる。黒いうねりは俺の心を反映し、そこに巨大な爪を形作った。
この力は、俺の潜在的な心を反映する。破壊への衝動が、怪物の腕を作り出す。
UDBは本能で不利を感じ取ったのか、背を向けて逃げ出した。けど、スピードが全く無い。右後ろ足を庇うような走り方だ。投げ飛ばされた時に痛めたらしい。
好都合だ。俺は一気に距離を詰めると、その身体に飛び乗り、異形と化した右腕で首を掴んだ。
『グ、グガッ……!』
バタバタと暴れる獣の身体を強引に押さえつける。へし折ってしまわない程度に加減し、俺は力を込める。苦しげな獣の呻きと共に、背中の傷が少しずつ塞がり始めた。……そうだ、俺は、喰う。何もかも喰って、生き延びる。死んでたまるか。敵は……俺を殺す。だから俺は、殺される前に、敵を殺す。
初めて力を解放した時、俺は半分近く意識を失っていた。
鮮明に覚えているのは、強烈な嫌悪感。殺意。破壊欲。
そして――俺が意識を取り戻した時、殺戮は終わっていた。
辺りに散らばるUDBの死骸は、どれも目を背けたくなるほどに無惨な姿だった。
だけど……それをやったのが自分だと、すぐに理解してしまった。朧気に記憶していたのもあるけど、自身が浴びた大量の返り血、そして俺の足下で息絶えたUDBの姿があったからだ。
孤児院側には、怪我をした奴は何人かいたが、命に関わるような傷を負ったやつは誰もいなかった。だけど、孤児院自体は一部が壊れたり、酷い有り様だった。
そして、俺は気付いた。みんなが、怯えと嫌悪の感情を、俺に向けていたことに。
兄と呼んでいた、一番の年長者が俺に詰め寄った。どうしてみんなを傷付けたんだ、って。覚えはなかった。それでも、兄ちゃんの鬼気迫る表情に言い訳もできないでいると……あの人は俺に向かって叫んだ。みんなに近寄るな、この悪魔が、って。
次の瞬間には、俺に向かっていくつもの石が飛んできていた。
皆を落ち着かせ、孤児院の中に戻してから、シスターの話を聞かされた俺は、絶句した。
俺は暴走の最中、敵を倒すことに固執するあまり、孤児院を破壊して、何人もを負傷させていたらしかった。俺は……無意識とは言え、自分の大事なものすら、自分の手で壊すところだったんだ。
魔獣の返り血を浴びた自分の手を見る。赤黒い液体を浴びて、黒いうねりを纏って、全てを壊そうとする俺の姿は、みんなの目にどう映っただろう? それはまさしく、悪魔と呼ぶに相応しい姿だったんじゃないだろうか。
俺は、自分から出て行くことを決意した。シスターは俺を引き止めようとしたが、俺には耐えきれなかった。自分が壊してしまった孤児院を見るのが。
……この時の俺は、発狂しそうな心境だった。泣き喚き、みんなに許しを請いたかった。だけど、できなかったんだ。俺を罵るみんなの顔を思い出すと、それすらも許されない気がしたから。
俺は叔父の所に戻ると伝え、説得が無理だと悟ったシスターは、すみません、と頭を下げた。あの人にも、今まで通りには戻れないことは分かっていたんだろう。
彼女に頼んで、最低限の荷物だけを準備してもらう。その間に、貯水を少し使って血を洗い流す。目立たない程度に処理したところで、シスターも戻ってくる。替えの服と、少しばかりの食料と金を餞別として渡してくれた。
「もしも辛くなったら、本当に頼るものが無くなったら、遠慮せず帰ってきなさい。皆も今は動揺しているだけ、いつか理解してくれます。自暴自棄にだけはなってはいけません。……そして、みんなを代表して言っておきます。守ってくれて、ありがとう」
その言葉に俺は首を横に振る。俺には、礼を言われる資格など無い。俺はただ、力に振り回されて暴れただけだ。だけど、このシスターの言葉は、少なからず俺の支えになった。
俺は未練の残らないうち、孤児院を出た。出る際に、一度だけ振り返った。すると、皆が窓から俺を見ているのに気付く。
そして……彼ら全員が、俺に対して敵意を向けていた。二度と戻ってくるなと、目がそう言っていた。
いや、違う。本当は全員じゃない。一人だけ、俺と一番仲が良かった奴だけは、悲しそうにくれた。俺と目が合うと、彼は口だけをゆっくりと動かした。「ごめん」と。
俺は聞いていた。俺は、彼まで巻き込んで攻撃していたと。それなのに彼は、俺のことを恨んではいなかったらしい。彼の態度が救いになったのは間違いない。彼とシスターには、今でも感謝している。もし彼らにも拒絶されていたら、二年間も保たなかったと思うから。
だけど、だからこそ、こんなに優しい友達を傷付けた自分が許せなくて……それが最後の後押しになって、そのまま向き直って歩き始めた。
背中に感じる重苦しい視線に……俺はもう、ここには戻ってこれない事を感じていた。
右手から流れてくる生命力が、一種の心地よさを伴いつつ、俺の身体を修復していく。UDBは俺を引き剥がそうと必死だ。俺は空いた左手も使い、その抵抗をねじ伏せる。
そうだ、こいつは敵だ。砕け。殺せ。喰え。……いや、駄目だ! もしそれをしてしまえば、なけなしの理性すら吹き飛んでしまう。そうなったら俺はあの時のように暴走して、今度はフィーネまで巻き込んでしまうかもしれない。そんなことは、絶対に……。
自分を必死に抑える。だけど、完全には無理で……俺は、徐々に弱っていく獣の生命力を貪っていった。
記憶を頼りに叔父の家に戻った俺は、本当に途方に暮れてしまうことになる。
元々が病弱だった叔父さんは、一年前に死んでしまっていた。一緒に暮らしていた家は、とっくに空き家になっていた。
この時、孤児院に戻ってシスターに相談すれば、何か道があったのかもしれない。だけど、この時の俺は、身内を失った悲しみ、頼りを失った混乱、そして皆と顔を合わせてまた罵られる恐怖で、それを考えられなかった。
訳の分からない意地もあったのかもしれない。そんな場合じゃないのは分かっていたけど、とにかく当時の俺は、戻ることなんかできないと思ったんだ。
俺は、ひとりで生きていくしかなかった。
それから二年間は、はっきり言って思い出したくない。
最初のうちは真っ当な仕事を探したりもした。重労働だったり、UDB関連の仕事だったりは人手不足だから、選り好みしなければ見付けることはできた。
でも当然と言うか、報酬は最低ランク。孤児に仕事をくれるのは、安価で使える労働力だからだ。死ぬ気で働いてようやく生きていけるような、そんな状態だった。
俺はその中でも、ある程度マシな額が貰える、UDBの討伐系の仕事を中心にしていた。
仕事は絶対にひとりでやっていた。当時の俺は生身でUDBと戦えるほどじゃなかったし、そうなると……この力に頼らざるを得なかったからだ。使いたくはなかったけど、死ぬのは嫌だった。
かと言って、力の制御は上手く行かない。だから、誰にも見られないように気を付けていた。
だけど、完全に隠し通すのは無理だった。発端は分からないが、俺の力のことは、次第に人々の間に広まっていった。
どこから流れたか、孤児院を追い出されたのも知られた。そのうち、根も葉もない噂までつくようになり、俺は気味の悪い存在として人々から避けられ、仕事を得ることすらままならなくなってしまった。
次第に、俺もなりふり構わなくなっていった。生き延びるために何でもするようになった。
街中で食えそうなものを漁り、隙を見ては店のものを盗む。首尾よく誰かの財布とかを盗めた時は、わりかしまともなもんも食えた。
……どうしようも無くなった時は、街から抜け出して、UDBを狩った。毛皮なんかは売ることもできたし、食料にもなる……難点は、力を使えば勢い余ってやりすぎてしまうこと、体力の消耗も激しいこと。命を吸収する力と言っても、消費は回復と釣り合わない。あくまでも、激しすぎる消費を補う手段としてしか成り立たなかった。
そして、そんな姿も何度か見られてしまった。獣を惨殺し、喰らっていく俺の姿は、よほど気味悪く映ったらしい。
次第に、俺に向けられていた嫌悪は、敵意、そして殺意へと変わっていった。詳細は思い出したくないけど……何度となく命に関わるような目に遭って、俺は次第に、全ての人を拒絶するようになっていった――
生命力を貪られたUDBは、ほとんど抵抗もできないくらいに弱っていた。……ああ、敵は、もういない。いなくなった。だから、もういい。離せ……いや、最後まで喰うんだ……違う、離せ!
「……くう……!」
今回は、理性の勝ちだった。俺は右手を離して獣を解放する。
そいつはどさりとその場に倒れ、ぐったりとしたまま動かなくなった。反面、俺は消耗した体力をある程度は回復させている。特に、背中の傷はほとんど完治していた。