燃え上がる拳
「美久、準備はいいな?」
「ええ。でも、本当に?」
「ああ、間違えるわけねえよ。あの日のことは、さすがに忘れられねえからな」
さすが困惑する美久に向かって肩をすくめつつ、俺もPSを発動して、来たるべき襲撃に備えていた。
……状況は全く分かんねえが、今起こっているのが何かは分かる。この鬱陶しい耳鳴り、出来れば二度と体験したくなかったのによ。
内心でそんな愚痴を漏らしていると、目の前の空間が歪み始めた。
「来るぜ……!」
程なくして、その中から異形の獣が姿を見せ始める。
その姿は、荒々しい獅子を思い起こさせるものだった。あの鋭く尖った爪を喰らえば、いくら鱗を持って頑丈な俺でも、さすがにまずいだろう。
数は……合わせて六体か。横では美久が首を傾げている。
「何よ、こいつら? 初めて見る種類ね。海翔、分かる?」
「いや、俺も知らねえ。どの本にも載ってなかったぜ、こんな奴ら」
「え? 珍しいわね、あんたが知らないなんて」
予想外なのは俺も同じだ。こう言っちゃなんだが、俺だって自分の知識量には自負を持っている。UDBについての本だって数え切れないほど読んできたし、一度読んだ内容は全て忘れてねえ自信もある。
けど……目の前のこいつらは、マジで初めて見るんだ。似たような種類なら知ってるが、一致する奴がいねえ。
「何か悔しいし、戻ったら調べてみっかな」
『クク……ドコニ戻ルト言ウノダ?』
「おわ! 喋った!?」
獣の口から、流暢とは言い難いものの、確かに俺達の言葉が出て来た事に、俺は思わず声を上げて驚く。何だこいつら? 喋れるほど高位には見えねえんだけど。
『貴様ラニ戻ル所ナド無イ。貴様ラハココデ、我ラノ胃袋ニ収マル運命ナノダカラナ』
「……へえ?」
唸り声に混じって放たれたその言葉に、俺はわざとらしく美久の方を向く。
「そいつは知らなかったな。どうするよ、美久?」
「そんなの決まってんじゃない。そんなアホみたいな運命、全力でお断りするわ」
「だよな。ついでに、熨斗つけてその運命を返してやろうぜ」
彼女は不快感を露わにしつつ、二本の短剣を抜く。で、俺は両手に付けたナックル……親父命名〈陽炎〉をしっかりとはめ直した。
『抵抗スル気カ、愚カ者メ』
『良イデハナイカ。獲物ハ生キガ良イホウガ好ミダ』
ライオンの群れは、そんな勝手なことを話し合っている。片言だが、頭は人並みにはありそうだな。
品定めするような視線を送ってくる獣たち。俺はそれに対して、不敵な笑みを返してやった。
「運が悪かったな、てめえら」
『……ナニ?』
「俺は今、凄まじくストレスが溜まってたんだよ。成果が出るとも限らないアホみたいな調査をずーっと続けてたんだからな……」
発動させていたPSを、更にヒートアップさせていく。鱗はどんどん、鮮やかな紅に染まっていく。
『ダカラ何ダト言ウノダ。気デモ狂ッタカ?』
「分かんねえ奴らだな。つまり……」
俺は溜め息をつくと、最大級の笑みを見せてやった。
――次の瞬間、俺から最も近くにいた獣の身体が、跳ね上がっていた。
『ガ……!?』
突然の衝撃に、獣が痛みと驚愕の混じった苦鳴を漏らす。
何をしたかと言われると、単純な事。高を括って油断していた獣の懐に一気に潜り込んで、その腹にアッパーをかましてやっただけだ。
「お前らは……ストレス発散には恰好のサンドバッグって事だよ!」
そのまま、突き出した右腕に力を集中させ、拳でそれを炸裂させる。放たれた爆炎は、獣の巨体を大きく吹き飛ばした。
『貴様!』
仲間がやられた事に、奴らが怒りを露わにする。吹っ飛ばされた奴は、不意打ちだった事もあり、そのまま地面でのびている。
「油断したほうが悪いんだよ。来な、順番に吹っ飛ばしてやるよ……!」
『図ニ乗ルナ、餓鬼ガ!!』
獣たちは、俺目掛けて一斉に襲いかかってくる。その素早さはかなりのもので、普段ならヤバかったかもしれねえが、今の俺はフルスロットル。身体能力の限界強化がされている。
襲い来る爪と牙をかいくぐり、手頃な一体の背中に掌底を叩き込む。
『ガウ!?』
獣が呻くが、こんだけじゃ大したダメージにはならねえだろう。ってわけで……。
「そらよっ!」
掌から、燃え盛る炎のオマケを放出した。
『グガアアァッ!?』
炎はそいつの毛皮に点火すると、一気に燃え広がった。そいつは炎を消そうと、狂ったように地面を転がる。
『ウオォッ!?』
『馬鹿者、コッチニ転ガルナ!!』
巻き込まれそうになった仲間が、必死になってそれを避ける。当人達には死活問題だろうが、何とも間抜けな風景だ。
全身を焼かれたそいつは、何とか炎を消すことは出来たものの、そのままグッタリと倒れ伏す。戦える体力は残っていないようだ。
「私も忘れないでよね!」
言いつつ、美久が一体の獣に飛びかかる。二本の短剣が舞うように獣を切り刻み、幾重にも傷を付ける。
『グァ……コノ小娘!』
「悪いけど、あんたらに構ってる時間なんてないの。一気に行かせてもらうわ」
『舐メルナァッ!』
女子供に傷を負わされ、馬鹿にされたことがよほど癪に触ったのか、そいつが激昂して美久に飛びかかる。
だが、美久はそれに対してあくまでも冷静に、地面を蹴る軽快な音と共に飛び上がる。彼女の身体はふわりと数メートル上空まで浮き上がり、獣の一撃を難なく回避した。
『ヌ!?』
予想外の動きに、獣が一瞬だけ美久を見失う。彼女はと言うと、回避と同時に獣の真上に移動し、そのまま獣の背に落下、短剣を突き立てた。
『グアッ!?』
彼女を振り落とそうと獣が暴れる。だが、美久はしっかりとそいつにしがみつき、彼女の短剣は正確無比に獣の鎧の隙間を穿っていく。
『ガッ、グゥッ!! ウァッ……!!』
五、六回刺されたところで、獣がフラフラと大きくよろめき、そのまま崩れ落ちるように倒れた。美久はそれに合わせて獣の背から飛び降り、華麗に一回宙返りしてから着地した。
「急所は外してあげたわ。感謝しなさいよ」
彼女のPS〈空間舞踏〉。その効果により、彼女は自身に干渉する重量法則をほとんど無視することが可能になる……単純に言っちまえば、すげえ身軽な動きが出来るようになる。
元々の身体能力もあるだろうが、その様はまさしく空中で踊っているようなもんだ。並の奴じゃ、攻撃を当てることすらままならないだろう。
『グヌゥ……コイツラ!』
仲間の半分がやられ、獣達からはさすがに余裕が消えている。相手の慢心が無くなった以上、後は真っ向勝負になるだろう。
「来いよ。焼き尽くされる度胸があるならな!」
『……グオオオォッ!!』
力強い咆哮を上げ、一体が俺に襲いかかる。向こうも全力なのか、さっきよりも速い。完全には回避しきれず、奴の爪が俺の脚を抉る。
「ちっ……」
痛え。だが、この程度の痛みで音を上げてなんかいられるかよ。あん時の痛みは、こんなもんじゃ無かったぜ……!
俺はそいつの腹に、お返しとばかりに拳を叩き込む。
『グッ……!』
生物にとって、内臓の詰まった腹部は弱点だ。UDBと言っても、獣の姿形をしている以上はそれに変わりは無い。
それに、親父から貰ったこのナックル、陽炎。大火蜥蜴の皮をベースにしたらしいこの武器は、単に燃えないだけじゃなく、その威力も抜群だった。俺の拳に完璧に馴染み、力を余すことなく相手に伝えてくれる。まさしく、俺にとって最高の武器だった。
「容赦はしねえぜ……!」
内臓を揺らされ、一瞬だけ動きを止めた隙を見逃さず、脇腹に回し蹴り。奴の身体が軽く宙に浮く。俺は、全身に力を込めた。陽炎が、炎に包まれる。
「吹き飛びやがれぇッ!!」
そして……渾身の力が込められたアッパーを、奴の鳩尾の辺りに思いっ切り叩き込んでやった。
『…………ッ!!』
インパクトの瞬間、激しい爆炎が巻き起こる。二メートル強の巨体が、その衝撃に吹き飛ばされていった。
そのまま地面に投げ出された獣。その腹は黒く焼け焦げており、全身をビクビクと痙攣させていた。口からは、胃の中身が溢れている。
死んではいないだろうけど、これ以上ないぐらい綺麗に急所へ入ったからな。少なくとも、起き上がる気配は微塵も無い。
「悪いけど、俺はガルみたいに器用じゃねえからな。命懸けの戦いの最中で手加減なんか出来ねえんだよ……つッ」
「海翔!」
美久が俺に駆け寄ってくる。他の二体は、彼女の手によって既に地面に転がっていた。彼女は見事に無傷だ。息一つ荒げていない。
ちなみに、彼女も止めは刺していないようだ。可能な限り、ではあるけど、UDBたって殺して気持ちの良いもんじゃねえからな。フィオと仲間になってから、余計にそう思う。
「流石、お前は余裕だよな……」
「それよりあんた、ケガしてるじゃない。大丈夫?」
「ん。心配すんな、傷は浅えよ。痛むもんは痛むけど。それより……」
俺はPSを解除する。鱗の色が、徐々に本来の青へと戻っていく。
「……ふう。ちょっと、張り切りすぎたみてえだ。疲れちまった……」
全開で飛ばした反動が、PSを解除した今、強烈な疲労となって返ってきていた。全身が重い……明日は筋肉痛になりそうだぜ。
「ひとまずは大丈夫そうね。でも、応急処置はしといたほうが良いわ。見せて、やってあげるから」
美久は腰に提げてあるポーチを開く。彼女はあの中に、傷薬だの何だのいろいろ道具を詰め込んでる。
「わりいな……ん? おい、ちょっと見てみろよ」
「え?」
気が付くと、倒れていたUDB達の姿が、少しずつブレ始めていた。
「何? どうなってんの?」
「こいつは……」
俺たちがその状況を理解する前に、獣の姿はどんどん歪んでいき、最終的にはみんな消え去っていった。
「また転移した、みてえだな」
「……どこに?」
「知るかよ。それより、これからの行動を考えるのが先だぜ」
会話しつつ、美久が俺に傷薬を塗り、俺は顔をしかめる。ギルド御用達の効果抜群の代物だが、かなりしみるのが難点だ。
「俺らが襲われたってことは、みんなの所にもUDBが送られてるだろう。とっとと合流したほうが良さそうだ」
「そうね。みんながあの程度の相手に負けるとは思わないけど、できるだけ急ぎましょ」
仕上げに、傷口に手際良く包帯が巻かれていく。おかげでちょっとは楽になった。
「一応聞いとくけど、戦いになったとき、まともに動ける? 辛いなら、あんたは先にここを出たほうが良いわ」
「冗談。確かに疲れてっけど、まだまだやれるぜ。第一、女に任せて逃げちまうなんて、男が廃るってもんだろ?」
俺がにやりと笑ってそう返事すると、美久は呆れたように溜め息をついた。
「なーに格好つけてんのよ。私より年下のくせに、いっぱしの男ぶっちゃってさ」
「年下ったって一歳だけじゃねえかっての」
「一年違えば十分でしょ。それに、実戦経験じゃ私のが遥かに先輩よ?」
む。それ言われちまうと返答に困るな。悔しいが、今の俺と彼女じゃ、彼女のが強いのは確かだろう。
「ま、あんたはまだまだ発展途上だからね。格好つけるのは、十分な経験積んでからにしなさい」
「……こんにゃろ、子供扱いしやがって。いつか絶対、認めさせてやるからな」
「ま、気長に待ってるわ」
うう、くそ。何かすげえ屈辱。
「とにかく、だ。みんなと合流してえから、まずは中央ブロックに行こうぜ。ガル達も、多分そっちに行くはずだ」
ガルがいる以上、あの二人が負けてるはずはねえ。二人は空間転移についても知ってるしな。
で、ガルなら多分、俺と同じことを考える。何も知らない中央の二人が最も危険だってな。
「分かったわ。走れそう?」
「見くびるんじゃねえっての。行こうぜ!」
「あ、もう。傷が開かないように注意しなさいよ!」
実際は少し痛むのを我慢して走り出した俺を、美久は溜め息を一つついて追いかけ始めた。




