青年の苦悩
「ふう……」
部屋に戻った直後、俺の口からは溜め息が漏れていた。騒動ばかりで気疲れした、と言うのもあるが、それはいつものこと。今の溜め息は、自分の不甲斐なさに、だ。
先ほど、瑠奈に言えなかったこと。どうして、朝のアトラに俺があれほど反発したのか。
「保護者、か」
我ながら、馬鹿らしい言い訳だ。アトラも少し呆れ気味だった。その後のあいつの言葉は、そんな俺への皮肉だったんだろう。そして、それは確かに的を射ていた。
「過保護になる理由と言うものがあるのだが、な」
本人に言う勇気は無いので、独り言にしてみる。
俺が、記憶の手掛かりを求めてこのギルドに入ってから、四ヶ月。残念ながら、今のところめぼしい情報は無く、俺自身もまだ何も思い出す気配は無い。
何も思い出していない、というわけではない。孤児院の記憶やそれ以前のことは、以前よりも鮮明に思い出せるようになった。
ウェアの知り合いの医者によると、俺の記憶喪失は、少し特殊な状況にあるらしいが……ともかく、本来の目的のほうには未だに進展が無かった。
……そして、こちらのほうも。
ギルドに入ってから、四ヶ月間を共に過ごしたのだ。確かに、以前より絆は深まっていると思う。……絆と言う言葉で誤魔化すならば。
彼女が俺に対して友情を深めてくれるのは、嬉しい。だが、俺は。
考えていると、心底情けなくなる。
俺の中の答えは、あの時にはっきりと出ている。それなのに、どうしてそれを行動に移さないのか……その答えは単純。
怖いんだ、俺は。俺がその言葉を口にして、今までの関係が崩れることが。彼女に拒絶されるのが。
自分への嘲笑が漏れる。これでは、思春期の男子と何も変わらないな。
それでも、俺にはまだ、一線を踏み越える勇気が無かった。それだけ、俺の中での想いは大きくなっている。これが拒否されてしまえば……いや、そもそも俺に彼女の隣にいる資格があるか、などという考えを振り払えない。
俺は、過去に何をしてきたのか分からない。少なくとも、戦いの中に身を置いていたのは確かだ。俺のような男がこうして穏やかに過ごせている、それ以上を望んではいけない……そう考えることも、一種の逃げなのかもしれないが。
……止めだ。ここで悩んでいても仕方ない。今から何をするかを考えよう。せっかくの自由時間を、何もせずに過ごすのは勿体無いからな。
我ながら、随分と俗に染まったものだ。だが、今の俺にはそれが心地良くて仕方ない。この時間には限りがあるのだとしても。
とりあえず、部屋の中を見渡してみる。本棚……は、どれも読み終えたものだらけだ。買ってきたものは、大抵その日のうちに読み終えてしまうからな。
テレビ……は、今から一日潰すのは無理があるか。瑠奈達に置いてもらったのはいいが、それほど点ける機会は無い。みんなと一緒にならともかく、一人ではあまり見ない。
ちなみに、テレビの下には浩輝たちが貸してくれたゲーム機がある。彼らと共通の遊びを覚えるのもいいだろうと思って、たまには機動している(俺が操作しているのを初めて見た者には、例外なく驚かれてもいるが、そんなに機械に弱そうに見えるのか、俺は?)……が、今はひとりで没頭する気分ではないな。
「……街にでも出るか」
部屋で潰せないならば、残った選択肢はそんなものだ。そうと決めると、俺はとりあえず外行き用の服に着替えることにした。
下に降りると、ウェアが戻ってきていて、夜の支度をしていた。他にはまだ誰もいない。
「ん、お前も出るのか?」
「ああ。たまには一人で街をうろつくのも悪くないかと思ってな」
瑠奈でも誘おうかと少しだけ考えたが、今日は何となく一人で出かけたかった。
「ああ、そうだ。〈獅子王〉の辺りに行くつもりはあるか?」
「いや、特に決めていないが。どうした?」
「ランドに渡すものがあったのをうっかり忘れていてな。近くを通るなら、渡してもらおうかと思ったんだ」
彼にしては珍しい。もっとも、ウェアは端から見ていて呆れるほどに仕事をこなしているので、たまにはそのようなことがあっても不思議ではない。
「そのぐらいならば別に構わないぞ。どうせ当ても無いんだ、今日はあの辺りに行ってみよう」
「本当か? 悪いな」
ウェアは有り難そうに頭を下げると、近くにあった小包を俺に手渡す。
「じゃあ、これをランドに届けてくれ。ああ、街中でメンバーに出逢ったら、そいつに渡しても構わないからな」
「分かった」
口振りからしても、それほど重要なものではなさそうだ。だが、頼まれた以上はしっかりと届けないとな。
「……ああ、それとな」
「どうした?」
「今朝のことだ。お節介かもしれんが、あまり瑠奈を困らせないようにな」
「……分かっている」
あいつの態度を肯定はしないが、俺にも責任がある。そのぐらいは、自覚している。
俺は溜め息をつくと、小包を鞄の中に入れ、そのままギルドを出ていった。
半ばウェアの叱責から逃げるような形になってしまったが、ひとまず気を取り直す事にしよう。獅子王に向かいながら、適当に店でも見ていくとするか。
普段なら、街に出た時には、必要最低限なものだけを買い、金があれば本屋に寄り、そのまま帰る、と言ったパターンがほとんどだ。
獅子王までは徒歩の往復でだいたい一時間半ほどかかる。何となく、たまにはいつも見ないような店を覗いてみるのも悪くないと思った。
俺はゆっくりと街中を眺めながら歩いて行く。俺たちのギルドがあるのは、首都カルディアの中心部であり、辺りは人々の声で賑わっている。
この街には、本当に活気がある。エルリアと比較した時に感じるのは、こちらの人々はとにかく逞しいということだろうか。
両国の間には、文化レベル的な差はほとんど無い。違うのは、生活環境だ。
ほぼ完全な平和があったエルリア。それに対し、UDBを筆頭とした、様々な困難が残るバストール。
決して楽な環境では無いからこそ、この国の人々は逞しいのだろう。もちろん、平和である事が一番なんだが。
……平和、か。
平和という言葉は、何故か時折、俺の胸にひっかかる。それは、未だ取り戻せない記憶の欠片のせいなのか。或いは……今の平和が一時しのぎである事を、心のどこかで理解しているからなのか。
「……ふう」
いけないな。一人になると、いつも思考がこういう方向に流れる。悪い癖だ。今は自由時間なのだから、しっかり気分転換しないとな。
俺は気持ちを切り替えるため、興味がある店を探しながら足を進めていく。
思えば、一人で街中を巡るのは久しぶりだった。基本的に、出かける時はいつも誰かと一緒だったからな。一人だと、いつもは気にしていなかった所に、新しい発見をしたりするものだ。
ちなみに、普段の買い物の時は、瑠奈が主導権を握っている。と言うより、俺がそういうエスコートが苦手なので、自然と任せる形になってしまうのだが……改めて考えると、何だか情けない。
ひとまず、めぼしい店をチェックしていく。用事を済ませて、帰りにゆっくり見たほうが良いだろう。
途中、行き着けの本屋の前も通った……が、さすがに我慢した。断言しよう、もしも一度足を踏み入れようものなら、俺は夜まで出て来ない。
この本屋はなかなか良いところだ。様々なジャンルの本が偏りなく取り揃えられており、頼めばすぐに取り寄せもしてくれる。仕入れが早いのも個人的には大きなポイントだな。駄目な本屋は読みたい本の続きがなかなか入らずに、非常にもどかしい思いをするのだ。こんな話で盛り上がれるのは海翔ぐらいだがな。
そうして歩いて行くと、目的地までは思っていたよりも早く着いた。
目の前にそびえ立つ、ゆうに、赤牙の数倍はあろうかと言う巨大な建物。入り口には、ギルドの紋章たる獅子のレリーフが刻まれている。
ギルド〈獅子王〉。
ランドがマスターを務めるギルドであり……同時に、バストール最大との呼び声も高い、伝統と実績を持つ、大ギルドだ。
うちのギルドも、実績で言えば上位に位置しているのだが、ウェアが創ったうちと、数代に渡る歴史があるこちらでは伝統が違う。
そもそも、ウェアがギルドを開く事が出来たのも、ランドの力添えがあったからこそらしいからな。
俺は、初代ギルドマスターを象ったものだと言うレリーフに手を添え、扉を開ける。