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ルナ ~銀の月明かりの下で~  作者: あかつき翔
2章 動き始めた歯車
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そして、歯車は加速する

「………………」


 巨獣は、その荒々しい外見には似つかわしくない程、静かに瞑想をしていた。

 目を閉じると頭に浮かぶのは、一人の男の剣閃。腹に刻まれた傷は、一週間経った今、ほぼ完治していた。


(……油断があったのは事実だ。だが、恐らく、そうでなくとも奴の方が上手であるだろう。それに、マリク殿の話では、あれでもまだ不完全だと聞く)


 不完全な状態で負けたのならば、本来の力を取り戻してしまえば今の自分では勝てない事を、彼は良く理解していた。それはプライドの高い彼にとって、屈辱としか言いようのない事実の筈であった。


 しかし。


「……ふふ」


 彼には、嬉しくて仕方なかった。自らよりも強い戦士に出逢えたことが。その相手が、これからさらに強くなっていくであろうことが。――そして、こう考える。相手が強くなるのならば、自分はそれよりも早く強くなればいい、と。


(我は負けん。今、負けているのならば……さらに高みを目指すまで。人に出来る事が、我に出来ない筈は無い)


 向上心。

 彼の持つそれは、自らの力に絶対の自信を持つ高位魔獣としては、あまりにも珍しすぎる感情だ。彼が本来なら相手にすらしていなかった人に、何度も敗れたが故に抱けたもの。


「アンセル」


「む……?」


 そんな折、数少ない者しか知らぬ自身の名を呼ばれた事で、アンセルは瞑想を解き、振り返る。そこには、二人の男が立っていた。


「……ゲイン殿にクライヴ殿か。いかがなされた?」


「この度、あなたが作戦で動いたと聞きましてね。大きな負傷をしたそうですが、もう大丈夫なのですか?」


「ええ、頑丈さこそが我らの武器のひとつでありますが故に」


「ならば良いのですが……あなたのことですから、完治していないのに訓練でも開始しているのではと気になりましてね」


 クライヴと呼ばれた猫人の男性がそう言うと、アンセルは低く呻いた。事実、完治する前から訓練を再開してしまっていたのだが、今は治っているので余計なことは言わないようにした。


「情けない話が流れてしまったようですな。お恥ずかしい限りです」


「いや、あんたの力は俺達も理解している。ならば相手が手練れだったということだ。敗北は恥ではない、と俺は考えているしな」


「……そう言っていただけると有難い」


 ゲインと呼ばれた人間の男性は、粗野ながらも礼儀は忘れない口調で返す。そしてアンセルもまた、この二人には敬意を払っている。相手が人であろうと、その力を認めた相手は敬うべきだと、今の彼は考えるようになっていた。


「それにしても、相変わらずここにすし詰めか」


「我の姿は、まだ人前にさらさぬ方が良い。その程度は理解しておりますからな」


「ですが、『その時』が来るのは決して遠くありません。あなたが我らの同志として並び立ち、その力を主のもたらす未来に捧げる姿を見せれば、誰もがあなたを受け入れるでしょう」


 つまりは、主にその力を利用されるということだ。アンセルはそれを理解しており、二人もアンセルがそれを理解していると知っている。巨大な獣は、さも愉快そうに笑った。


「我がまだ、あの小さな世界の王者だった時……人に仕えて戦う日が訪れるなどとは、夢にも思っておりませんでした」


「不満ですか?」


「不満? とんでもない。……我はただ、楽しくて仕方ないのですよ」


 あの小さな世界にいれば、高みを目指す事など考えはしなかった。自らが強くなること。そして、強くなる為の目標が存在すること。そして、強くなればより主に尽くせること。彼にとって、これ以上の喜びが存在するだろうか。


「ならばこそ、これは我の望みでもある。高みを目指すためにも……我は、主の剣となりましょう」


 誇り高き獣は、胸を踊らせる。ガルフレアだけではない、きっとまだ見ぬ強者は無数にいるはずだ、と。いくら利用されていても構わない。彼は今、生きてきた時間の中で最も満たされているのだから。












「マリクよ……此度の働き、ご苦労だったな」


 厳かな室内、マリクは目の前の人物に頭を垂れていた。

 絢爛な装飾のなされた玉座に腰掛ける男。彼こそが、マリクの仕える存在。この空間の主である。


「有り難きお言葉でございます。しかし、よろしいのですか? これで彼らは、近いうちに我々にたどり着くでしょう」


「ふ、それこそが我が望みよ。あまり言葉遊びにふけるものでもないぞ? 貴様とて私の意図は承知で動いただろう」


「……クク。失礼致しました」


 まだ壮年とは言い難い外見の男。しかし、そこから放たれる威厳は、まともな人が耐えられるものでは無いだろう。


「では、次はどうなさいますか?」


「奴らに関しては、しばし期を待つ。そして、時が来れば、私の道に立ちふさがる虫けらは、全て排除するまでよ」


 その言葉に、迷いなど存在しない。或いは、彼には迷いと言う感情は元から存在しないのかもしれない。


「我が覇道を成し遂げる為には、貴様の働きが何よりも肝心だ。期待しているぞ、マリク」


「ええ。必ずや、あなた様の望みを」


「そう、我が望みを。クク……ようやく叶える時が来た」


 その口元が、野望と言う名の狂気に歪む。端正と言うに値するその容姿も、他者に畏怖以外の感情を与える事は無いであろう。


「世界の全てを、我が手に。この世界は、私の為に存在しているのだからな……!」


 男の笑いが、ただ響き続けた。これからの、世界の混乱を予期させるかのように。




 青年と少女の出逢いから始まった、不思議な縁。それは、彼らにひとつの道を授けた。

 その先に待つものが何であるかは、まだ誰にも分からない。だが、何もかもを焼き付くそうとする業火は、その火種をじっくりと広げていた。


 ――偶然か、必然か。それぞれの歯車が複雑に絡み合い、世界の歪みは加速していく。

 彼らはまだ、知らなかった。自分達がすでに、その歪みの中心にいることを――








第一部 銀の孤狼と月の娘 ~完~






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