それぞれの道
「来たか、シグルド」
「……はっ」
俺は、俺たちの本拠地内の、とある一室を訪れていた。俺の目の前にいるのは……俺やフェル、それらをまとめる男。我らが指導者の、忠実なる右腕だ。
エルリアから帰還してすぐ、俺たちは今回の出来事を上に報告した。
帝国の不信な動き。英雄たちのこと。……俺がガルフレアに月光を渡したことも。そのために、奴の記憶が僅かに戻ったことも……だ。
その場での咎めは無かった。だが、そもそも奴を逃がしたのも俺の仕業だと分かっていただろうところに、この有り様だ。示しをつける意味でも、罰を受けないことは有り得ない。そのため、俺はこうして呼び出されたのだろう。
「私が呼び出した理由は、分かっているな?」
「はい。……俺の処罰は、どのように?」
「お前には、ひと月の間、謹慎処分が決定した」
「……!?」
思わず自分の耳を疑った。謹慎処分? 極刑になっても文句は言えないだろうに。
「事実上は軟禁だがな。少しの間、頭を冷やせ」
「お、お待ち下さい。本当に、それだけなのですか?」
俺が問いかけると、目の前の男は、軽く目を細めた。
「シグルド、ここには誰もいない。楽にしろ」
「………………」
有無を言わさぬ、という様子だった。この獅子人の言葉には……昔から威厳がある。
「……エル兄さん」
孤児院で、皆の兄となってくれていたエルファス・クロスフィール。俺の前にいるのは、紛れもなくその人だ。
「説明してくれ……なぜ、その程度で済む? 俺がしたこともまた、裏切りに近い行為だぞ」
「あの時にも、あのお方から告げられたはずだがな。お前がガルフレアを殺せないことは、仕方あるまい。あいつはお前にとって、親友であり兄弟なのだからな」
「……理想を目指すには、己の感情を殺してでもやるべきことがある。俺は、それを果たせなかったんだぞ。それも、二度もだ」
「今回の一件に関して言うならば、お前たちの選択は正しい。善良なる市民を護るためにはガルフレアの力を利用すべきであったし、英雄との争いを避けて帰還したのも妥当な判断だ。それを咎めろと言うのならば、フェリオとルッカも裁かねばならんが」
「だが……!」
「本当に、生真面目な男だなお前は。ならば、打算についても告げておこう」
エル兄さんは低く笑う。
「ガルフレアは強い。あいつがかつての力と記憶を取り戻せば、私たちの脅威となりうる。そして奴は、この一件で少なくとも私たちの存在を認識した。もう、無害であるとは言えんだろう」
「ならば、どうして?」
「単純な話だ。私たちへの脅威は、帝国への脅威にもなりうる」
「…………! あいつを帝国への牽制に利用する、と?」
「だからこその、あの命令だ。ああしておけば、お前たちはガルフレアを殺しはしないと踏んだ」
帝国とは、同盟と言う名の騙し合い。それは、皆が理解している。確かにガルの存在は、彼らにとっても障害となるだろう。
「あいつは元来が正義感に溢れる男だ。記憶が戻らずとも、これからの世界で生きるうち、いずれは帝国に関わるだろう、と考えていた。思ったよりも早かったがな」
「…………」
「分かっているだろう、シグルド。ガルフレアという力を失ったことは、帝国との戦いにおいて大きく影響する。ならば……あいつには、今までとは違う形で帝国と戦ってもらえば良い。新たなあいつの仲間と共にな」
新たな仲間……英雄たち、か。彼らをうまく帝国にぶつけられれば、天秤は大きくこちらに傾く。
「ガルフレアは、バストールに向かった」
「バストール?」
「ああ。情報収集を目的に、ギルドに所属した。そして、ギルドマスターは……ウェアルド・アクティアスだ」
「…………!」
「彼は、かねてから帝国への警戒をしていた人物のひとりだ。その下に付くのならば、ガルフレアは狙い通りの働きをしてくれるだろう。無論、我らの足取りを簡単に掴ませるつもりもない」
奴の行動の把握に抜かりはない、か。……だが。
「それは、最善の状況の話だろう。もしもガルフレアが、英雄が、俺たちを敵だと認識したらどうする? そして、もしも俺が、ガルフレアに同調でもしたらどうする?」
「甘いと言いたいのか?」
「ああ。あなたとあの方が決めたにしては、甘すぎる。確かに、リスクを考えても賭ける価値のある手札ではあるだろう。それでも、最悪の場合は、俺たちをも殺す諸刃の剣だ」
そう、問い詰めた。するとエル兄さんは、困ったような表情を浮かべて、言った。
「私個人の意思を言えば、ガルフレアを……弟を、殺したくなどないからな。奴が自分の意思で我らと敵対する時が来れば、やらねばならないのだろうが」
「……兄さん」
「お前の刑についてもそうだ。フェリオ達からも懇願されたことだしな。お前がいかに強くとも、迷いは命取りになる。このひと月は、療養だと思い心を休めると良いだろう。私はこれ以上……弟を失いたくはない」
その声音は、少しだけ柔らかくなっていた。弟を失いたくはない……この言葉は、間違いなく兄さんの本心だろう。だからこそ、少しは納得できた。……あの方がそれに賛同するかは別だが。他にも何かがある、ということは予想できた。
「話はそれだけだ。下がっていいぞ」
「はい。……全ては、我らの理想の為に」
最後に兄さん……いや、エルファス様に一礼し、俺は部屋を後にした。
「そう、謹慎処分。穏便に済んだのならば、何よりだわ」
エル兄さんの部屋を出た俺は、仲間の元へと向かった。と言っても、フェリオとルッカは既に任務でここを発っており、ガルの後任は候補こそ決まっているがまだ任命はされていない。六牙でここに残っているのは二人だけで、うち一人は現在手が離せない。結果として、今は残りの一人とふたりきりだ。
「フェリオとルッカにも連絡をしてあげなさい。気にしていたみたいだものね」
「分かっている。二人には心配をかけた」
「あら。二人にだけ、かしら?」
目の前の人物は、からかうようにそう言った。俺は、溜め息を一つこぼす。
「……悪かった。お前にも心配をかけたな、ミーア」
「ええ、本当に。どうして私の周りの男は、みんな心配をかけるのが得意なのかしらね」
くすくすと笑う彼女の表情は、どうにも読みづらい。その言葉が意味するものは理解出来たが、それに何かを言う気分にはならなかった。
「それで、エルファス様は、ガルフレアをどうするつもりなのかしら?」
「利用価値を考えているようだ。もっとも、脅威になれば、消すこともいとわないようだったがな」
「そう……大丈夫なの? シグルド」
「何がだ」
「ガルフレアはあなたやフェリオの親友だった。彼が抜けた今、あなた自身も思うところがあるのではないかしら。彼のように、疑問を持ってはいないと言い切れる?」
「……お前は俺を買い被っているよ。俺は、そこまで強くない。ここまで進んできておいて、今さら後ろを振り返るなど、俺にはできない」
「そう。確かに、そういう意味で、あの人は強かったのでしょうね。弱い方が良かったというのも、おかしな話だけれど」
それは、まるでガルフレアの裏切りを肯定するような言葉だと、自分でも思った。だが、ミーアはそれで満足したようだ。こいつも……ガルのことはよく理解しているからな。俺とは違う視点で。
「お前こそ大丈夫なのか、ミーア」
「ふふ。……それは、私とあの人の関係について言っているのかしら?」
「……済まない、無粋なのは承知だ」
「ふふ、それを言うのなら、私があなたにした問いも無粋だったわよ。良いわ。私だけ答えないのも、不公平だものね」
彼女は穏やかな笑顔を崩さないまま、語り始める。
「確かに私は、あの人を愛していた。そして、あの人も私を愛していると言ってくれたわ」
「…………」
「でも、私たちの関係は……ただ互いの寂しさを埋めるものでしか、傷跡を舐めあうものでしかなかったの。お互いにそれが心地良くて、そんな状態を続けていた。ただ、それだけなのよ」
「……分からないな。好きだったのは確かなんだろう? それでは駄目なのか」
彼女は静かに笑う。その声は、何とも言えない響きを持っていた。
「難しいものなのよ。お互いに、全てが終わった後ならば、本当に恋人同士にもなれたかもしれない。でも、もう遅いわ。だから、未練はないの」
未練は無い、か。本当に、そうなのだろうか。
人は、自分と関係があるものを失うのを恐れる。その関係が深ければ深いほど。近ければ近いほど。失った時、心に大きな隙間が出来てしまうから。
俺が、ガルを殺すのを恐れたのは……それが、自分の心に穴を空ける事を知っていたからなのかもしれない。あいつは俺にとって心から気を許せる数少ない親友であり、共に育った家族だったから。
だが……彼女の言う通り、全てはもう遅い。
「俺たちは、もう後には引けない。互いの道を譲れないなら……障害は、排除するのみ」
「ええ。私たちは、もうそれ以外の生き方はできないから」
そう。俺たちは、別の生き方などできない。お前のような道を選べるほど、強くないんだよ。だから……もしもこれから先、お前が俺たちの障害として立ちはだかる日が来たら、その時は。
「全ては、理想の世界の為に」
お前が、自分の道を貫き通すと言うのなら。俺も、自らの道を貫き通そう。
俺たちが望んだ世界を、現実とするために。例えその世界が……お前のいない世界だったとしても。