夜の酒場
「フィオ、まだ寝ないのか?」
「昼間ぐっすり寝ちゃったからね。マスターこそ、寝ないの?」
「……ああ。少し、考え事があってな」
皆が寝静まった時間帯、俺とフィオは酒場に残っていた。
俺はカクテルを口にしながら物思いにふけり、フィオは読書をしていた。彼曰く、ここなら小腹が空いた時にすぐ食べられるから、ということで、部屋ではなくここで本を読んでいることが割とある。
「マスター、せっかくだし僕にも何が入れてくれる? とびっきりきつめのやつがいいな」
「……未成年者には酒を出してないんだが?」
俺の返答に、フィオは若干乾いた笑いをもらした。
「僕、マスターの数倍生きているんだけど」
「13歳じゃなかったのか?」
「もう……それは言葉のあやだって。嘘じゃないけどもね」
呆れたように笑うフィオ。そんな仕草を見ていると、彼が二百年近く生きている、最上位の魔獣である事を忘れそうになる。
「冗談だよ。いつものでいいか?」
「ん、お願い」
俺はカウンターの側に回り、カクテルの材料を並べていく。副業とは言っても、この仕事も長い。酒にはそれなりのこだわりがある。
元々いたメンバーで酒が飲めるのはジンとフィオだけだが、二人の好みはよく知っている。それに合わせた最高の逸品を仕上げることが、俺の仕事というやつだ。材料を入れたシェイカーを手にした俺を、フィオは楽しそうに眺めている。
「うーん、やっぱり絵になるよねえ、仕事してる時のマスターって。僕が飲みにきた女の子なら惚れちゃってるかも」
「はは。こんな良い歳をした親父に惚れるくらいなら、ガルフレアやアトラにでも惚れておくべきだろう」
「あー、ガルフレアはイケメンだよねえ。雰囲気もクールでいかにもモテそうだし? アトラは……喋らなければねえ」
本人が聞いたら大暴れしそうな批評をするフィオに、出来上がったカクテルを渡す。それを口に運んだ彼の顔は満足げなので、出来は問題なかったようだ。
「それにしても、一気に賑やかになったよね」
「そうだな……お前の感想は?」
「良い人達だと思うよ。明日から色々と話をするのが楽しみかな」
「お前があんなに早く打ち解けるのも、珍しいからな」
「正しくは、僕に打ち解けるのが、だよ」
俺の言葉を訂正するフィオ。仕草が少年のものでも、思考は年齢相応だ。彼の言うとおり、事情を知らない者がUDBだと気付いてしまった場合、騒動になったことは山ほどある。
「今でこそ当たり前にこの街を歩けるけど、最初の頃は苦労したからね」
「そうだな……」
「思い返しても、運が良かったよ。マスターやジンみたいな人がいなかったら、僕はきっと人の世界には馴染めず、諦めて帰っていたと思う。それか、危険な存在として討伐されていたかだね」
こいつが人の社会に溶け込むまでに味わってきた苦難を知る者は、このギルドでは俺とジンぐらいだ。彼と出逢ったのは、かれこれ十年前の話だからな。
「後悔しているか? 人の世界に降りてきた事を」
「んーん。そりゃ大変だったし、今でも色々とあるけどさ……僕は降りてきて良かったと思ってる」
「……そうか」
ゆっくりとカクテルを口にしながら、フィオは深く息を吐く。
「それに……ああいう人達がいるなら、僕の夢もいつか叶うかなって信じられるよ」
「UDBと人の共存、か」
「うん。きっと気の遠くなるような時間はかかるけどね……マスター、もう一杯よろしく」
「あいよ。だが、あまり夜更かしするんじゃないぞ」
「分かってる分かってる。二日酔いにはなりたくないしね、それを飲んだら部屋に戻るよ」
彼は幼生とは言ってもSランクUDB、強靭な肉体はアルコールへの耐性も非常に高く、まさに桁違いのうわばみだ。それでも全く効かないわけではないらしく、なおかつ子供の体格になっている今は回るのが早い。二杯目に差し掛かる頃には、少しだけ目がとろんとしてきた。
適度な雑談で満足してしていたのか、宣言通りに二杯目を一気に飲み干したフィオは、本を片手に部屋へと戻っていった。平然としているが、アレはもし普通の人が一気などしたら卒倒しかねない代物だったりする。
「………………」
俺は自分用のカクテルをもう一杯準備する。俺の分は、度は弱めのほろ酔いになるような酒だ。
と。その時、誰かの足音がした。フィオが忘れ物でもしたのかと思って視線を向けると、そこに立っていたのは獅子人だった。
「誠司か」
「よう。オレにも一杯頼めるか?」
「オーダーは?」
「軽く酔えるやつにしてくれ」
俺は小さく息を吐くと、自分と同じものをもう一杯準備した。俺もカウンターを出て、誠司の隣に座る。
「乾杯でもするか。えっと……」
「友との再会を祝って、でいいだろ」
「そうだな。じゃあ、友との再会を祝って……」
ふっと笑いあい、互いにグラスを掲げる。
『乾杯』
グラスが重なる音が、妙に重みをもって聞こえた。それはきっと、俺がこの再会をとても喜んでいるからだ。電話での連絡だけならばそれなりにはあったのだが、直接会うのはやはり違う。
「お前と酒を飲むのは、本当に何年ぶりかな、ウェア」
「落ち着いて話すのは……七年、だ。お互い、年をくったな」
「全くだ。時間の経つのってのは、早いもんだよ」
あの戦いからもう二十年以上経ったなどと、信じられないぐらいだ。
「しかし……不思議なもんだな。あれだけ血気盛んだったお前が、教え子を引き連れてくるとは。彼らにお前の若い頃を教えてやりたいよ」
「そ、それは勘弁してくれ。……まあ、オレも昔は、自分が教師になるなど考えもしていなかったさ。だが、やってみれば意外と楽しいもんだ」
「丸くなったな、お前も。本当にヒトとは、どのように変わるか分からないもんだ」
からかうように言ってみると、誠司は低くうめいた。彼との初対面は今でも思い出せるが……お互いに若かったからな。なかなかに強烈なファーストコンタクトだったのは確かだ。
「昔のことは、全体的にむず痒くてたまらん……当時のオレが生徒にいたら、徹底的に叩き直してやるぐらいだ」
「ふふ。色々と面白いエピソードもあるからな?」
「……た、頼むから本当にあいつらには話すなよ? 絶対だぞ?」
「それは振りと言うやつか……」
「違あぁう!! ……そういうことをしてくるのはあの阿呆だけで間に合っている。本当に勘弁してくれ……オレだって威厳を見せるのには苦労しているんだ……!」
「はは、冗談だ。……しかし、慕われているのは端から見ていても分かったよ。天職を見付けられたようで、何よりだ」
「……それは、お前とヴァンのおかげだよ。英雄という称号が残ったままであれば、静かに教師を続けてなどいられなかっただろうからな」
「俺達は、大したことはしていないさ。ただ、友のささやかな願いを叶えてやりたいと、そう思っただけだからな。それに、実際に力を尽くしたのは両親だ」
適度にアルコールを入れながら、話は続く。語りたいことは山ほどあるし……語らねばならないことも多い。
「それでも、今回の件で思ったんだ。オレ達は、抱えるべきだった重荷を、全て投げ捨ててしまっただけなのではないか……とな」
「……襲撃者の言葉、か。だから、ギルドに?」
「さっき語ったことも事実さ。だが……子供達に覚悟をさせた今、オレ達が逃げるつもりはない。エルリアに残った、みんなもな」
「そうか……だが、誠司。俺は、お前達には本当の平和を手に入れてほしいと、そう願ったんだ。だから……そう、思い悩むな。お前達を利用しようとする者がいるなら、それを打ち破ってしまってからでも武器は置けるさ。決して、戦い続けることが自分達の宿命だなどと思ってくれるなよ?」
「……済まん……」
戦う意志を否定まではしない。しかし、平和を望む者が戦いを宿命づけられるなど、あってはならない。そもそも彼らが英雄となったのは、平和な日常を取り戻すためだ。それを踏みにじったエルリアの襲撃者を、俺は許せない。
「俺も、連中の細かい目的までは、確証はない。だが、予想はしている。……慎吾から聞かされたか?」
「ああ。お前が彼らを、ずっと警戒していたこともな」
「警戒、で済めば良かったんだがな。……ついにこの時が来たか、という感覚でもあるよ。慎吾とは連絡を取り合っていたんだが……後手に回ってしまった」
「それについては慎吾も悔いていたがな……しかし、ついに動き始めたということだ。これから、世界は……荒れるのだろうな」
「そうだな……。だが、俺はそれを良しとはしない。俺の持つ全ての力を使ってでも、彼らの好きにさせるつもりはない。お前もそうだろう? 誠司。まだ、俺達には出来ることがあるはずなのだからな」
「……お前は変わらないな、ウェアルド。いつだってひたむきで、真っ直ぐで……お前がいると、何もかも上手くいくような気がしてくる」
「はは。まあ、俺も歳を取りすぎたから、昔のようにはいかないけどな。だが、若いやつらを導いてやるっていう親父の仕事ぐらいはしてやらねばなるまいよ」
そう、それが前の世代の年寄り達の役割だ。……だからこそ、慎吾はここに彼らを送ってきた。
「……ガルフレア、か。随分と、過酷な道を歩まされたんだな、あいつは」
「……ウェアルド」
「慎吾が敢えて彼のことを詳しく知らせなかった理由は、何となく分かっている。なるほど、確かに……運命とは、数奇なものだ。まるで蜘蛛の巣のように、張り巡らされた糸が絡み合っている」
多少、酔いが回ってきた。熱に任せて、息を吐く。
「あいつの過去についても、恐らくは俺の調べていたものに関係してくる。ならば、あいつの目的は俺の目的とも重なっていくのだろう。だからというわけではないが……俺は、あいつを見守ってやらなければならない。あいつが抱え込みやすい性格なのは、少し話しただけでも分かったからな」
「………………」
「無論、彼だけではない。うちの連中も、お前の生徒達も……大なり小なり、何かを抱えた奴らばかりだ。俺は、そんな奴らの道を指し示す礎にさえなれれば、それでいいと思っている。俺の命を懸けてもな」
「……ウェア、お前」
「……意気込みの話さ、そう変な顔をするな。俺にはまだ、やらねばならないことが山ほどあるんだ。犬死にをするわけにはいかない」
気付いたらお互いにグラスは空だ。誠司に確認すると頷いてきたので、次の一杯の準備にかかる。飲み過ぎるわけにはいかないが、まだ友と一緒に飲んでいたい。
「だが、宿命に決着を付け、若い連中の道を切り開く為なら、この命……燃やし尽くす事に躊躇いはない」
「……そうだな。オレもそうだ。だが死に急ぐなよ、ウェアルド」
「お前こそな、誠司」
これから、様々なものが動いていくのだろう。再び訪れる激動の時代……だからこそ、静寂に包まれながら友と酒を飲んだこの空間を、この安らぎを、俺達は忘れてはいけないのだろう。