ギルド
「マスター。客人がいらっしゃいましたよ」
「ああ、聞こえている。少し待っていてくれ」
慎吾からの伝達は問題なかったようで、酒場のスタッフと思われる男性が奥に向かって呼び掛ける。返事はすぐにあり、少し経ってから現れたのは、真紅の毛並みを持った狼人の男性だ。ウェアルドと思われるその男性は、俺を見て目を細めた。
「……君は……」
「…………?」
何か失礼でもしただろうか、もしくは伝達漏れか。そう思っているうちに、他のみんなも入ってきた。ウェアルドの視線が一同を眺め、誠司を見たところで止まった。
「ああ……済まない。慎吾からは、君の細かい情報は『見てからのお楽しみだ』などと言われていたからな、顔などを知らなかったんだ。思ったよりも若かったから、少し驚いてしまった」
「……なあマスター、それ大丈夫なのか? 変な詐欺とかじゃねえよな?」
「はは。まあ、その証明も兼ねた同行者ということだろう。……久しぶりだな、誠司」
「よう、ウェア」
俺の後ろにいた獅子人が、前に出る。旧友との再会に、その表情はほころんでいた。
「さて……まずは中に入りな。旧友とその連れを立たせたままってのもおかしいからな。お前達、悪いが片付けの残りは任せるぞ」
「ええ、かしこまりました、マスター」
俺達は、ウェアルドに促されるまま、奥の部屋へと向かった。
案内された部屋は、従業員の休憩室のようだ。いくつかのテーブルに、ソファーやテレビも置いてある。俺達は、一つのテーブルに集められている。
英雄のひとり、ウェアルド・アクティアス……か。
すらりとした体躯。無駄無くついた筋肉。ルビーを思わせる色の毛並み。髪の色は、俺と似た金髪だ。顔立ちも整っている。
年齢相応の大人の雰囲気と、それにそぐわない若々しさを併せ持っている、とでも言うべきか。
「さて。慎吾からはどこまで聞いているんだ、ウェア?」
「おおよその事情は聞いているよ。しかし、さっきも言ったが、本人については直接確認してくれ、としか言われていなくてな。まったく、あいつは変わっていないよ」
苦笑いしつつ、どこか懐かしんでいるようにも見えた。尚、瑠奈達はと言うと、部屋の中を見回したりはしているが、緊張しているのか言葉は発しない。
「ガルフレア、だったな?」
「……はい」
名前を呼ばれた俺は、姿勢を正す。
「君は、記憶が無いそうだな」
「はい。全て……では無いのですが、大部分が欠けてしまっています」
「そして、慎吾に俺を紹介されてここに来た……だが、詳しい説明は受けていないんだろう?」
「はい……バストールに向かえと言われただけで、何をすべきか、までは」
あいつらしいな、と呟いて、ウェアルドはまた笑った。
「慎吾はあなたが、自分が知る限りで最も俺の記憶に近い人物だと言いました」
「だが、その意味は話さなかった、か」
俺は小さく頷く。
「まず先に言っておくが、俺が君の記憶について明確な答えを持っているわけではない」
「……はい。それは慎吾も言っていました」
落胆が無い、と言えば嘘になるが、そう簡単に事が運ぶとは最初から思っていない。
「彼の言葉の意味……どういう事なのですか?」
ウェアルドは、考え込むように顎に手を添える。
「ガルフレア。君は〈ギルド〉の事を知っているか?」
「ギルド……」
俺は、自分の知識を探ってみる。その中に、確かにその言葉はあった。
「この国において、人々からの依頼を受け、それを生業とする組合、ですね」
「そうだ。仕事内容は護衛や討伐……基本は荒事だがな。魔獣がはこびるバストールに、自然と生まれた文化のようなものだ。今では他国にも支部がある程の組織でもある。平和なエルリアには無いがな」
俺の知識によれば、ギルドの力はこの国において必要不可欠。集結させれば、軍国の部隊にも匹敵する戦闘力を持つはずだ。
「さて、慎吾の言葉の意味だが……単刀直入に言おうか」
ウェアルドは穏やかな……しかし苦笑が混じった笑顔を作る。
「ガルフレア。慎吾は俺にこう言っているんだ……君を俺のギルドに入れてやってくれ、とな」
……ウェアルドのギルドに? ……何故? いや、それ以前にだ。
「ウェアルド……あなたは、酒場のマスターではないのですか?」
「ああ、それは副業だよ。ギルドと言うのは収入が安定しないのが常でな。依頼が無い時にはこうしているのさ」
ならば、まさか……店のスタッフと思っていた彼らは?
「俺はギルド〈赤牙〉のギルドマスター。酒場はギルドの食堂を一般に解放してるというわけだ」
「それならば、ここがあなたのギルドなのですか?」
「そうだ。ギルドメンバーも、正規メンバーは住み込んでいる。他は、人手が足りん時にフリーの奴らに働いてもらったりもしているがな」
「正規メンバーと言うのは……」
「……そこで盗み聞きしている連中だ」
ウェアルドが溜め息混じりに言うと、扉の向こうからガタゴトという音が聞こえてきた……今、世界では盗み聞きが流行っているのだろうか?
「済まないが、あいつらの事はひとまず気にしないでくれ。どうせ注意してもあの手この手で聞こうとするだろうからな」
ウェアルドの言葉に、俺はひとまず気を取り直す事にする。
「よく意味が分からない、という顔をしてるな」
「……正直に言えば。ギルドに入って、どうなると言うのですか? それが、俺の記憶とどう関わりがあると……」
「確かに直接の関わりはないな。だが、利点はある」
「……説明して貰えますか?」
「単純な話だ。ギルドには、独自の情報ネットワークがある」
「情報ネットワーク?」
「ああ。依頼の中には、人捜しだの何だのもあるからな。そういった情報は共用しているのさ」
人捜し……情報の共用……なるほどな。
「何しろ、依頼は世界中から受け付けているからな。様々な情報が自動的に入ってくる」
「……つまり、俺の過去について、何らかの情報が入る可能性もあると?」
「そうだ。俺が君について尋ねる旨を出しておけばいい。アテもなく手掛かりを探すよりは確実だろう?」
確かに、彼らはその道のエキスパート。俺が一人で闇雲に手がかり探すより、遥かに効率はいいはずだ。
「だが……問題もある」
「問題?」
「君が記憶を探している、と言う情報が外部に流れる事だ」
「…………!」
彼の言わんとする事、そして、若干言い辛そうだった理由が分かった。
「記憶喪失の人物についての情報収集……その性質上、各地のギルドに君の情報を流す事になる。そして、広まった情報を完全に隠し通す事は難しい」
通常ならば、情報が広まる事は利点の一つと言えるのだろう。相手が同じように捜していたとすれば、向こうがこちらを見付ける手掛かりになるのだから。しかし、俺の場合は。
「君についての必要な情報は、ある程度は慎吾に聞かされている」
「……では、俺が自分の組織を裏切った事も?」
「ああ……。君の元いた組織がどれほどの規模かは分からないが……恐らく、君の動向を警戒している筈だ」
「……彼らが俺を見逃したのは、今の俺に記憶が無く、障害になり得ないからだ。もしも俺が、記憶を追う過程で彼らの障害になれば。俺が記憶を求めている事を知られれば……彼らが襲い掛かってくる可能性も、あるでしょう」
言わば、諸刃の剣。彼らと対峙出来れば、それは最大の手掛かりだ。だが、それは同時に命の危機を意味する。
「ギルドに『入る』と言うのは、その対策でもあるんだ。君について調査するだけならば、別に君がメンバーになる必要はないだろう? だが、俺達の一員として側にいれば、すぐに力を貸すことができる」
「……ですがそれでは、あなた達が危険な目に遭う可能性が……」
「それについては気にすることもないだろうよ。どちらにせよ、ギルドには荒事が多い。言ってみれば元から危険だらけなのさ。それに……君がこの話を断ったとしても、エルリアのような事件が起こる可能性はあるのだろう? 自分で名乗るのはむずがゆいが、俺も英雄のひとりなのだからな」
「…………!」
「ならば、君が俺達に力を貸してくれた方が建設的だ。少なくとも君のかつての仲間は、エルリアを救ってくれた。無関係な者に、話し合いもせずに襲い掛かってくるような連中ではあるまい」
俺が厄介ごとを増やすのならば、その分の力を貸せばいい……か。それは、単純なギブアンドテイクだ。だからこそ、受け入れやすかった。
「さて。慎吾には、話を聞かせた上で君が望むようにさせてやってくれ、と言われている」
ウェアルドの視線が真っ直ぐに俺を射抜く。その眼はどこか、俺に問いかけてきた時の慎吾に似ていた。
「ギルドに入るも、独自の方法を探すも、君の自由だ。勿論、エルリアに帰って皆と平和に過ごしても、全てを捨ててここで静かに暮らす事を選んだとしても、誰も君を責めはしないだろう……どうする?」
「…………俺は」
正直、未練はある。偽りでも構わないから平和の中にいたい、とも思う。彼らに負担をかける申し訳なさもある……それでも。
「俺はもう、戦う事を決めた。自分の記憶から、逃げはしない」
「戦い抜くのは辛い道だぞ。それでも、か?」
「分かっているさ。誠司にも言われた事だ。だが、その道から逃げたら、俺はいつまでも自由になれないと思うから。それに……どれだけ辛い道であろうと、今の俺は一人ではないからな」
瑠奈達に視線を送ると、自然と笑みが浮かんだ。
もしも一人なら、全てを投げ出していたかもしれない。だが俺には、支えてくれる友人達がいるから。
「ふふ。口調が素に戻っているな?」
「あ……も、申し訳ない、思わず……」
「いや、そのままでいいさ。……じゃあ、お前の決断を聞かせてもらおうか?」
心なしか、ウェアルドの口調も少し砕けている。
……迷いは無い。俺は、死にはしない。約束したからな……全員で帰ると。
「……俺を、あなたのギルドに入れてくれ、ウェアルド」
「…………ふ」
赤狼は、満足したように小さく笑う。ウェアルドの笑みは、どこか人を安心させる……父の包容力に近いものを持っていた。
「良い目をしているな、お前は。慎吾があそこまで真摯に頼み込んできたことにも納得できるよ」
「もしもそうだとすれば、それは俺を支えてくれた人のおかげだ。みんながいてくれたから、俺は……前を見れるようになった」
「そうか。……良いだろう。赤牙のギルドマスターとして、お前を歓迎しよう、ガルフレア。お前は今日から、俺達の仲間であり、家族である。忘れるな」
ウェアルドは手を差し伸べる。俺は自然と頬が緩むのを感じながら、それを握り返した。
「ありがとう、ウェアルド。……いや、マスター、と呼べばいいのか?」
「特にこだわりは無いから好きに呼んでくれ。マスター以外なら、ウェアと呼ぶ者が多いがな」
「分かった……ウェア。ならば、俺の事もガルと呼んでくれ」
家族、か。思えば、このひと月だけで多くの家族が出来たものだ。だが……悪くないな。