深い傷跡
病室に行くと、みんなはまだ眠っていた。起きていたのは、瑞輝だけだ。
「……終わりましたか?」
「ああ」
ある程度、重要な話をしていたのは感づいているらしい。
「……寺島」
「何ですか?」
「すまなかった」
唐突に、慎吾が頭を下げる。突然の事に、瑞輝は困惑を示す。
「ま、待って下さい綾瀬先生……どうして俺に謝るんですか?」
「君を大会の警備員に誘ったのは、俺だからだ。今回、君が受けた被害は、全て俺に責任がある」
「そんな事……先生のせいじゃないですよ」
「だが、君が命を落とすところだったのは事実だ」
「………………」
その言葉に、瑞輝は少し視線を落とした。
「……皆さんが部屋を出た時、俺は眠っていませんでした。いや、正確には眠る事が出来ませんでした」
その身体が、少しだけ震えているのが分かる。
「目を閉じれば、あの瞬間が浮かぶんです。獣が俺を叩き潰そうとした瞬間……」
「…………」
「瑠奈さんが助けに来てくれなければ、俺はあの一撃で死んでいたでしょう」
その言葉には、どこか自嘲気味な響きが含まれていた。
「……大会に優勝して、自分の腕に自信はありました。でも、その後の戦いでも、俺は何も出来なかった」
「瑞輝さん、そんな事は……」
「事実だよ。俺の実力は、あの中では間違いなく一番下だった。一番大人なくせにな……そして、俺の未熟さのせいで、君達まで巻き込んでしまった」
瑞輝は瑠奈の言葉を制すると、そのまま続ける。
「謝るべきなのは俺の方です、先生。皆さんのお子さん達まで危険な目に遭わせてしまい……本当に、すみませんでした」
そう、深々と頭を下げる。どうやら、ずっと責任を感じていたようだ。
「俺には、自信がありました。もしも今日の俺のように、目の前で襲われている人がいたら、助けに入れると」
自惚れも甚だしいですよね、と、自らを嘲るように笑う。
「でも、思い知りました。死ぬ事が……戦う事がどれだけ恐ろしいか。そして、今の俺には、そんな大層な自信は無い」
彼の視線が瑠奈に、そして、ベッドの上の少年達に移る。
「『試合』と『実戦』がまるで別物だって……はは、自分がこんな目に遭うまで、気付きませんでしたよ」
「寺島……」
「……君達の強さが羨ましいよ、瑠奈さん」
最後にそう付け加える瑞輝。だが、その言葉に対して、瑠奈は首を横に振る。
「私は……強くなんてありません。瑞輝さんを助けた時は、無我夢中だったんです」
「……それでも、俺は君に救われた。あの瞬間だけじゃない。君達の戦う姿があったからこそ、俺も剣を振るえたんだ。そうじゃなければ……俺は、奴らの甘言に乗っていたかもしれない」
甘言……あの時の、協力すれば解放する、と言うものか。
「それは私も一緒です。私だって、あの時……みんながいなければ、どうしていたか分かりません」
「………………」
「助かりたい、生きて帰りたいって思っちゃうのは当然でしょう? それを弱さだって言うなら、私だって弱いです」
「なら、俺も弱いって事になるな」
瑠奈の言葉に同調するように発せられたその言葉は、別のベッドの上から。それと共に、少年が上体を起こす。
「暁斗……起きてたの?」
暁斗はそれには答えず、どこか苦いものが混じった笑いを漏らした。
「俺……正直、みんなを置いて逃げ出したいとまで思った。死にたくなかった。瑞輝さんがあの獣に立ち向かわなけりゃ、逃げてたかもしれない」
「…………」
「あ、オレも同罪だぜ?」
続けて、白い毛皮に覆われた手が上がる。
「……コウ」
そのまま少年が身体を起こすと、その両サイドのベッドでも動きがあった。
「オレはカイがいなけりゃ、間違いなくミノタウロスから逃げてたな。めちゃくちゃ怖かったっての」
「俺もだな。みんながいなけりゃ、あんな奴らと戦おうなんて思えねえに決まってんだろ」
「おれも……駄目だっただろうな。瑠奈だから何も考えずに飛び出したんだ。そして、瑠奈がいなかったら、確実に死んでた」
「お前ら……」
少年達は、瑞輝のほうを見ながら笑う。
「……そういう事っすよ、瑞輝さん。オレ達だってただのガキっすから」
「だから、自分が巻き込んだとか、足を引っ張った、みたいな事を考えるのは止めて下さい……瑞輝さんがいなかったら、俺らだって死んでたかもしれないんですから」
「…………」
瑞輝は、目を閉じて俯く。しばらくの間を置いた後、彼は頭を上げて小さく笑った。
「本当に、大人の面目丸つぶれだな。助けられた上に、慰められるとは」
「偉そうな事が言えるのは、私達が子供だからですよ。誰だって死にたくなんかないと思います。そう考えるのは、弱さなんかじゃないと思うんです」
「……はは、そうだな。俺は怖かった……ちゃんと認めないとな」
瑞輝はそう言ってから、頭を下げる。
「そう言えば、ちゃんと言っていなかったな……ありがとう」
彼は穏やかな笑顔を浮かべていた。少し肩の荷が降りた、と言うように。
「お礼はお互い様ですよ。それに、困っている人を助けるのは当たり前ですから……って、前にガルにも言った事があるんですけどね」
瑠奈はちらりとこちらを伺い、笑う。
「自分でも笑っちゃうくらいに甘い考えだけど、私はこの考えを捨てたくありません。それが、私が欲しい強さだから。誰に馬鹿にされようと、私は誰かを助ける事が出来る人になりたいんです」
「強さか……」
「はい。……まだ、憧れですけど。今日のは、正直な所、ただの勢いだったから」
皆の会話を無言で聞きながら、俺は先ほど彼女に聞いた話を思い出す。
過去に受けた傷。それを埋める為に、彼女は今の考えを持つようになったのだろう。
もしかすると、俺を助けたのも……全てを失い途方に暮れていた俺と、傷付き、周りを拒絶していた自らの姿が、どこか重なって見えたからかもしれない。
……俺から見れば、みんなは強い。
死を前にすれば、人は様々な物を捨てられる。倫理も、誇りも、絆すらも……俺は、それを知っている。だが、みんなはそれに打ち勝った。それは並大抵の事ではない。
「失礼します」
そんな時、部屋のドアが開き、看護師が一人入ってきた。
「どうした?」
「あ、橘先生。こちらの部屋に、面会したいと言う子が来ています」
「面会? ……ああ、入れて良いだろう」
みんなに面会……? 看護師に招かれて、入ってきたのは……。
「……寺島、北村!」
「竜二……」
彼らは……寺島 竜二と、北村 亮か。
「二人とも、どうしてここに……」
「……兄貴から、ここにいるって聞いたから。あと、二人だけじゃないです」
「部活のメンバーとか、一年のみんなとかも来てます」
「みんなが……?」
「大勢で押し掛けたら迷惑だろうから、他の子は下で待ってもらってます……僕達は代表です」
そうか、会場にいたみんなは、瑠奈達の様子を見ていた筈だ。観客には、被害は無かったと聞いたが。
「そっか。わざわざ来てくれて、ありがとな」
暁斗は本当に嬉しそうに、二人に礼を言う。……だが。
「それにしても、お前らも無事で良かった。心配だったんだぜ?」
「……綾瀬……」
「ん? ……どうしたんだよ、お前ら……」
そこに来て、暁斗も気付いたようだ。……二人が、今にも泣き出しそうな事に。
「どうしたんだよ……じゃねえだろ! お、お前……この、馬鹿野郎ッ!!」
抑えが利かなくなったのか、寺島が感情を爆発させた。それと同時に、少年の瞳から涙が溢れる。
「て、寺島……?」
「会場が、兄貴が襲われて……瑠奈ちゃんが、助けてくれて……お前達まで、飛び込んで……あ、あの……獣達と、戦って……」
途切れ途切れに言葉を紡ぐ寺島。溢れる感情は、少年に制御できるはずもないものだ。
「兄貴が、お前達が、死ぬかもって……本当に怖くて……」
「……竜二」
「でも、俺には、お前達を、助けに行く、勇気も、無くて……何も、出来なくて……う、うう……」
「………………」
むせび泣き、言葉を発することが出来なくなった寺島の姿に、瑞輝がゆっくりとベッドから出て、弟を抱き締めた。そのまま、兄の胸に顔を埋めて、寺島はただひたすらに泣き始める。
「アッキー……」
「亮……」
「竜ちゃんも僕も、アッキーが飛び込んだ時、行こうと思えば行けた……でも、あの獣を見たら、足がすくんで、飛び込むなんて出来なかったんだ……」
「……それは、当たり前の事だろ? 好き好んであんな所に飛び込むなんて、正気の沙汰じゃねえよ」
「でも……悔しいよ……自分が、友達を見捨てるような行動をした事……」
「そんなこと……! お前達が、気にすることないだろ!?」
「だけど! アッキーが死ぬとこだったんだ!!」
そこまで言うと、北村もついに泣き出してしまった。死に対する、例えようも無い恐怖。そして、友の窮地に何も出来なかった悔しさが、涙として流れ出す。
「怖かった……本当に、怖かったんだよ……何もかも……怖くて……僕はぁ……!!」
「……ッ」
暁斗は、泣き崩れる二人の友人を見て、悲痛な表情を浮かべる。そして、瑠奈達もまた。
「今は……泣かせてやるんだ、二人とも」
慎吾の言葉に、暁斗と瑞輝は静かに頷いた。二人もまた、泣きそうな表情を浮かべてはいたが。
「君も見ておくんだ、ガル。あの男が壊したものを……その傷跡を」
「……分かっている」
誰も死にはしなかった。それでも、だから何も奪われてないなどと言えるはずもない。傷跡は、あまりにも深く刻まれた。
死した者に言うのは不謹慎かもしれないが、奴はああなって当然だった。この罪は、死んでも許されはしない。少なくとも、俺は許さない。
「下には、うちのクラスの奴らもいるんだったな。行こう、ガル」
「……ええ」
仮にも、俺は教師だ。少なくとも、今はまだ。俺に何が出来るかは分からないが、行ってやらないといけないだろう。
「先生、私達も……良いですか?」
瑠奈が上村先生に問いかける。彼らだって、クラスのメンバーに会いたくて当然だ。
「優樹、どうだ?」
「動けるなら、止める理由は無い。元気な姿を見せてやれ」
優樹が許可を出すと、全員がベッドから身体を起こす。流石に、動作はゆっくりと、だが。
「じゃあ、行こう」
上村先生に従って部屋を出るその時も、少年達はただ涙を流し続けるだけだった。
……こんな悲しみは、繰り返させてはならない。それを広める者を許す訳にはいかない。その為に出来る事があるのならば、俺は……もう迷わない。