少女の過去
俺は、彼女が言った事を理解するのにかなりの時間を要した。そして……理解した後には、自分の耳を疑った。
「瑠奈……今、何と言った?」
「私も、バストールについて行く、って言ったの」
「……駄目だ!」
考えるよりも先に俺は拒否した。そんな事はさせられない……!
「何で駄目なの? 理由は?」
彼女は、ただ冷静にそう返してきた。まるで、俺が焦っているのがおかしいみたいだ。
「瑠奈……バストールはエルリアとは違う。危険だってある場所だ」
「分かってる。私だって、そこまで馬鹿じゃないよ。危険がある事だって分かってる……今日みたいな目に遭ったばかりだしね。その上で、覚悟したの」
「ッ……何の覚悟だ! 死ぬ覚悟とでも言うつもりか……!?」
「ううん。死ぬ覚悟なんて嫌だよ。私は死にたくないからね……そうじゃなくて、あなたと一緒に、絶対に生きて帰るって覚悟」
「…………っ!」
そんな覚悟は、甘い。死の危険は、間違いなくある。彼女だって、それは分かっているはずだ。
「私がついて来るのは、迷惑?」
「そうじゃない! 俺は……君を危険な目に遭わせたくないんだ!」
「そう思ってくれるのなら、分からないかな? ……私だって、そうなんだよ」
「…………!」
「私も、あなたに危険な目に遭って欲しくない。出来るなら、あなたを止めて、ここで今まで通りに過ごしたい……だけど、あなたは止めても行くんでしょう?」
そうだ。誰に止められても、俺は行く。今度こそ、これは自分の意思で、自暴自棄ではないと言えるから。
「だったら、やり方を変えるだけだよ。私はあなたの力になりたい。もちろん、あなたと比べたら未熟者だけど……ここであなたを黙って見送ったら、私は絶対に後悔する」
「……瑠奈」
「今日、あなたが助けに来てくれて……私達を護るって言ってくれて、私は本当に嬉しかった。だから今度は……私が、あなたを助けたい」
彼女の言葉は、俺にとっては本当に嬉しいものだった。……だけど、駄目なんだ。彼女が本気でそう思ってくれていたとしても。
「……バストールに行くだけならば、ここまで止めはしない。だが……俺の過去は、確実に危険な連中と繋がっている」
俺のかつての仲間達。そして、あの仮面の人物、マリク達。どちらも目的は見えないが……彼らと敵対せねばならないのは、ほぼ確実だろう。
「君は……こんな事に関わるべきではない。俺は、君には普通の幸せを掴んで欲しいんだ」
「ガル……」
「誰かに優しくする事を当たり前だと言えるような君には……俺と共にいるのは、似合わない」
俺が過ごしてきたのは、彼女とはまるで別の世界だ。彼女を、俺の都合でこちら側に巻き込みたくはない。
暫く、沈黙が続いた。
「……ねえ、ガル」
やがて、彼女がゆっくりと口を開く。そして、次に発した言葉は。
「本当はそんな事無いって、私にも分かってるんだ」
そう、はっきりと言い切った。
気が付くと、彼女はどこか寂しげな笑みを浮かべていた。その中に、いつものような明るさは無い。
「私だって、知ってるよ。人に優しくするのが当たり前だなんて……甘ったれた考えだってこと」
「瑠奈……?」
瑠奈の言葉に、俺はただ困惑する。何故、彼女は急にこんな事を?
「……私も、今まで生きてきて、色々と見てきたから。もちろん、まだ子供だし、偉そうな事を言うつもりは無いけどさ」
「………………」
「ガルには話した事無かったよね? 私が昔……苛めを受けてたってのは」
「…………!」
そう口にした時、自分がどれほど悲痛な表情を浮かべていたか、彼女は気付いているのだろうか。
「きっかけは分からないんだけど、私ってこういう性格だからさ。たぶんクラスの中心的な子から見て、うざったかったんだと思う」
……彼女の、誰とでも分け隔てなく接する部分。良くも悪くも純粋な言動。そこを疎ましく感じた、と言う事だろうか。
「小学校の中学年の頃……ある日いきなり、昨日まで普通に話してた子達に、無視され始めた」
「………………」
「気付いた時にはもう遅くてさ……イジメの中心だった子達からは、もっといろいろされた。机に悪口書かれたり、教科書とか隠されるぐらいは日常茶飯事だったし。もっと酷い事は……ごめんね、あまり思い出したくないの」
……どうやら意識的に軽く話そうとしているようだ。だが……どう見ても無理をしているのが分かる。
「でも、休み時間にはコウも、カイも、暁斗もいたからね。そこまで辛くは……なかった。みんなは他のクラスで、巻き込みたくないから相談はしなかったけど」
辛くなかった? ならば、何でそんな泣きそうな顔をしているんだ……?
「でも……そのうち、それがお兄ちゃんにまで飛び火しちゃったの」
「暁斗に……?」
「うん。ある日、聞いちゃったの。『あいつは拾ってきた子に違いない。一人だけ種族が違うなんておかしいじゃん』って、私のクラスメイトと、その子のお兄ちゃん……暁斗の同級生が話してたのを」
……子供の苛めは、子供だからこそ残酷なものだ。その言葉が、行為が、どれだけの重さを持つか理解していないから、容易に人を追い詰められる。
「それは、暁斗は直接聞いてないことだよ。ただの陰口……でも、私はそれを聞いた瞬間、頭の中が真っ白になった」
正直言って、その時の事は良く覚えてないんだ、と瑠奈は語る。
「私が気付いた時には……悪口を言ってた子達が、私の目の前で倒れてた」
「…………!」
その時の年齢を考えると……怒りでPSが暴走したのか。
「暁斗はその事を……?」
「事件があったのは知ってるけど、理由は知らない……と思う。噂で聞いちゃった可能性はあるけどね」
暁斗がもし、それを知ったとするならば……恐らく彼は、自分を殺したい程に恨んだだろう。いや、そもそも妹への苛めに気付けなかったことも。
「不幸中の幸いって言うのかな。私の力もまだ未熟だったから、それほど大事にはならなかった。私への処分も、苛めが発覚した事で、穏便なもので済んだ。相手方の親が良い人で、その事を公にしないのに了解してくれたしね」
瑠奈は淡々と述べていく。その傷の深さを隠すように。
「まあ……いくら公にしなくても、噂ってのは出てくるもんなんだけどね。苛めは表面的には無くなった。でも……私に友達として接してくれる人は……コウ達以外は、どこにもいなかった。一時期は、私自身も人と接するのが嫌になってた」
今の彼女からは……そんな事、想像も出来なかった。
「……その少し後に、コウ達が引っ越す事になって……私達の家族も一緒に越すように、お父さんが手配してくれたの」
「そんな事が……」
彼女はそこに来て、穏やかな笑顔を作ってみせた。閉じた瞳には、悲しみの残滓が残っている。
「コウ達がいなかったら、私は立ち直れなかったと思う。みんながいてくれた私は、多分幸せな方なんだろうね」
辛い時に支え合える存在……今日のような事態でも、迷わずに飛び出せる親友。それだけの深い絆がどうやって形成されてきたのか、少しだけ分かった気がした。
「ごめんなさい、話が逸れちゃったかな……この程度、あなたがしてきた経験に比べたら、大したことないよね」
「……そんなことはない」
確かに俺は、苛めとは比べものにならないような体験も見てきている。……だが、それを大したことがないなどと言えるものか。その人の感じた辛さを、比較などしていいはずがない。
「私がいつも言ってるのは、私がそう思いたいって考える事なんだ。口に出して誰かに伝えれば……少しは自分もそう信じられる気がするから」
それが彼女なりの処世術なのか。人を信じられなくならないようにする為の……それがどれだけ甘い考えか、きっと本人が一番知りながらも。
「……話が長くなっちゃったけど、私だってそんなに夢を見ている訳じゃないよ。世の中にはどうにもならないことも、悪意も山ほどあって……優しくないんだってのは、分かる」
「………………」
「……それでも、あなたと一緒に行きたい。どんなに辛いことがあったとしても、行きたいって思ったの」
「……どうして、そこまで俺を? 俺がいなくなっても……君達は元の日常に戻るだけだ」
俺の言葉に、瑠奈ははっきりと首を横に振ってみせた。
「あなたと出逢ってから、この1ヶ月。いろいろあったよね」
「……ああ、そうだな」
本当に、いろいろあった。彼女と出逢い、共に暮らす事になり……みんなの教師となった。それと同時に、友人にも。
「私ね……この1ヶ月、凄く充実してた。毎日が新鮮で、全く違うものに見えてた」
俺も、充実していた。最初は戸惑いも多かったが……とても、とても楽しい毎日だった。今、未練を抱いてしまうぐらいには。
「それは、大会に向けて頑張ってたからってのもあるよ。でも……もっと大きな理由があった」
「……理由?」
「ガルフレア……あなたが一緒にいてくれたから。あなたと言う新しい家族と仲良くなる事が出来たからだよ」
「…………!」
彼女の瞳に映る俺。俺の瞳に映る彼女。互いが、互いを映す。
「ガルと一緒にいる時間……それは全部、本当に楽しい時間だった。出逢ってまだ1ヶ月なのに、気付いたらあなたを心から信じる事が出来るようになってた」
あの夜……昨晩か。1日しか経っていないとは思えないほどだが。彼女は、何があっても俺を信じていると言ってくれた。
「不思議だよね……あなたは、すぐに私にとって大切な存在になった」
「………………」
「コウも、カイも、レンも、暁斗も……私になくちゃならない存在。そして……ガル、あなたもなんだよ」
だから、と彼女の視線は真っ直ぐに俺を射抜く。
「あなたがいなくなっても元の日常に戻るだけ、なんてことはない。だって、あなたの存在も、私にとって日常の一部なんだから」
「瑠奈、俺は……」
「もう一度言うよ、ガル。私はあなたと行きたい。あなたの力になりたい。あなたは、私にとって……大切な家族だから」
その瞳に、迷いなどひとかけらも無かった。