英雄
「痛っ! 痛えって、親父!」
「我慢しろ。消毒は必要だ」
「だ、だからこのくらいオレの力で……」
「そのお前の力じゃ完治しなかったからだろう……ほら」
「痛たたたたっ! も、もうちょい手心を!?」
シグルド達が去ってから、俺達は、天海医院(優樹の務める病院)で、戦いで傷付いた体を治療していた。会場は今頃、国の防衛部隊が埋め尽くしている事だろう……慎吾が倒した連中は、みな縛られる事になるだろうな。
「ほら、ガルを見てみろ。あれだけの傷を負っていたにもかかわらず、消毒の間、声一つ上げなかったぞ」
「そ、そりゃガルがすげえのは認めるさ! けど、だからってオレが痛い事実は変わんねえ……ぎゃあああぁ!!」
傷口に消毒液を容赦なくつけられた浩輝は、けたたましい悲鳴を上げるとベッドに突っ伏した。
……だが、こんなコミカルなやりとりも、恐らくは彼らなりに元気を出そうとしている結果だ……暗い事を考えていると、本当に沈んでしまうのだろう。
「親父、からかうのはそのくらいにしといた方が……」
「……別にからかっているわけではない。必要だから、そうするというだけだ」
「あ、兄貴ぃ……助けるならもっと早く……」
「消毒くらいでわめくなよ、うるせえな。ほんっと成長しねえ野郎だぜ」
「……へーえ、そんなことを言いますか海翔くん。注射が怖いって泣きわめいて隠れてたのはどこのどいつかなぁ!」
「そ……それはガキの時の話だろうが! やんのかテメェ!!」
「おお、上等だこの……」
「二人とも? お、と、な、し、く、しようか?」
『……スミマセンデシタ』
「お前らは、全く……」
浩輝と海翔がケンカになりかけ、瑠奈が死神の笑顔でそれを制し、そんなやりとりに蓮が溜め息をもらす。そんな普段通りのやりとり。普段通りに、振る舞おうとしている。
俺はそのまま横の暁斗と瑞輝に視線を移す。彼らの治療は、慎吾が行っていた。……経験があるかどうかは、聞くだけ無駄だろう。
「つッ……」
「我慢しろ、暁斗。瑠奈に兄の威厳を見せるんだ」
「何でも瑠奈を引き合いに出したら頑張るって思うなよ。まあ、我慢はするけど……痛っ!」
「していないじゃないか」
「お、思わずはしょうがないだろ……」
「ほら、寺島は我慢しているぞ?」
「み、瑞輝さんは大人じゃ…………寺島?」
「ああ……さっきは結局言いそびれてたっけ、俺のフルネーム。寺島 瑞輝だ」
「じゃあ、やっぱり竜二の……!」
「そうだ。ちなみにうちの卒業生でもある」
寺島 竜二は……確か、暁斗の友人だったな。縁とは、思わぬ所にあるものだ。
「……よし、ひとまず処置は完了だ」
優樹は瑠奈への治療を終わらせると、言った。
「外傷は浩輝のおかげであらかた治っていたからな。勿論、数日間は安静にしたほうが良いだろうが」
「そう思うならもっと丁寧に扱えっつーの、バカ親父……」
「研究中の電気治療でも試してやろうか?」
「謹んで辞退させていただきます、お父様」
優樹がバチバチと掌で雷撃をスパークさせると、浩輝はベッドに横になったまま、土下座のようなポーズをとった。
「でも……これからどうなるんだろうな。今日の事……」
「……今は気にするな。みんな、いろいろありすぎて疲れてるだろ? 少し眠るといいさ」
「ええ。難しい事を考えるのは、後でいいわ」
遼太郎と楓が優しくみんなに微笑む。みんなの表情に、重く、哀しいものが広がった。
「……うん。そうしようかな」
「ホント……今は、何もかも忘れたい……」
……彼らの心は、今回の事に耐えきれないほどのショックを受けているはずだ。俺も、彼らにはゆっくりと眠ってもらいたい。
……数分の後、みんなの寝息が聞こえてきた。
「……慧、ちょっと付き合えよ。今のうちに、こいつらの為に美味いもんでも買ってやろうぜ」
「……分かりました」
そうして、修と慧も出て行く。彼らは彼らで、ショックは大きいだろうな。弟達の窮地に、何もできなかったのだから。
……そう。彼らが難しい事を考える必要はない。それは、俺達の役目だ。
「……慎吾」
「分かっている。場所を移すぞ」
俺達は、みんなを起こさないよう、慎重に部屋を出て行った。
「発見されたか……分かった」
俺達は、誰も使用していない病室を借り、そこに移動していた。
「ティグルが発見されたようだ。予想通り、始末されていたらしい」
「そうか……」
利用されつくして死んだあの男に対しても、俺は全く同情を感じなかった。むしろ、何度でもその苦しみを味わわせてやりたいとまで思う。
「さあ、ガル。何か聞きたい事があるのだろう? ……お前には、聞く権利があるようだ」
「………………」
こういう時、みんなの代表は慎吾となる。普段は飄々としていて掴みどころがない彼だが、今は真剣な表情だ。
「以前から、あなたについて疑問はあった。俺を教師に出来た事。豊富な人脈に知識……それらをどこで手に入れたのか。共に暮らしていても、底が知れなかった」
「………………」
「だが、ようやく分かった。あなたが……あなた達が何者なのか。どうして、そこまでの力を持っていたのか」
慎吾はただ、無言で俺の言葉を聞いている。
「本当に、数奇なものだな。裏切り、転移した俺を救ったのが、あなた達であったこと……」
ティグルの、マリクの……そして、シグルドの言っていた事。そこから導き出されるのは、一つだけ。
「そう思わないか? ……闇の門を終結させた存在、英雄達よ」
「……ふふ」
みんなは、俺の言葉に、懐かしむような、哀しむような……複雑な表情をしている。
「俺達は、英雄と呼ばれるようなことはしていないよ、ガル」
慎吾はどことなく寂しそうに、そう呟いた。それに続いて、他の面々もゆっくりと語り始める。
「オレ達は、ただ……争いが嫌だった。だから、一刻も早く平和を。その一心で戦い続けたんだ」
「UDBであっても、命は命だ。殺したくはなかった。だが、戦わなければ大切な世界が奪われる……それは、もっと嫌だった」
「俺達が英雄の名を受け入れたのは、人々に希望を与える事になるのなら……と思ったからだ」
「一人殺せば犯罪者だが、百人殺せば英雄だ……か。旧世紀の言葉らしいが、よく言ったもんだぜ、全く」
「俺達は、ひたすら戦った。戦って、戦い抜いて、生き延びるために」
優樹も、当麻も、遼太郎も。今朝出逢った時の、父親の顔から……戦いに疲れ、武器を捨てた〈英雄〉の顔になっていた。
「でも、戦いが終わった後、私達は気付いたのよ」
楓の、普段はみんなを包み込むかのような優しい笑顔も、今はない。
「私達の力が大きくなりすぎた事に。それこそ、争いの種になりかねないほどに、ね」
英雄という名は、あまりにも神格化されすぎた。英雄という存在を味方につければ、人々の心を操るのも容易いだろう。それに、大量破壊兵器が失われ、国際的に製造も研究も禁止されている今の時代……強力な能力者がひとりいるということは、戦局をも大きく左右する要因になる。
ならば、誰もがこぞって彼らの力を求めたはずだ。平和を求めて戦った彼らは、平和とは程遠い世界に巻き込まれようとした。
「俺達はそれを恐れた。だから、自らが争いに干渉する事がないように……ある人物の力を借りて、自分達の情報を操作して、この国に帰ってきたんだ」
ティグルが言っていた事か。奴は彼らの想いを下らないと一笑したが……俺には、彼らの苦しみが分かる気がする。平和とはどれだけ尊いものか、知ってしまったから。
「あの仮面の男の言う事にも、一理あるのかもしれない。俺達は逃げたんだ、戦いから」
「…………」
そんな事はない……そう思ったが、それを軽々しく口に出す事は出来なかった。
「察しの通り、君を教師にした事などは、その時に残された英雄としての権限だ。俺は、国の事に関する全ての情報を知り、政治などに関しても、ある程度なら俺の意志を通す事が出来る」
独裁者にならないよう、極力は情報収集にしか使わないがな、と付け加える。
「そして、ガル。君は、そんな事を聞きたいのではないだろう?」
……見透かされている、か。
「あなた達を調べる事が、俺の記憶に繋がる……シグから、そう言われた」
「謎かけのような言葉を残したものだな、あいつも」
「……心当たりはないのか?」
「最初に言っておくが、俺はシグルドと面識はあったが、その詳しい素性までは知らない。だから、君の質問に対して、明確な答えを持っている訳ではないさ。何か意味はあるのだろうが、俺には分からない」
「……そうか」
「だが、確かに俺は、君が記憶を求めるための手段を示すことは出来る」
「手段……?」
「ああ。しかし、こちらからも一つだけ聞かせてもらおう」
慎吾は、俺の目をしっかりと見据えて、言う。
「記憶を取り戻して、どうするつもりなんだ?」
「……それは」
慎吾の表情は、初めて会った日、瑠奈と暁斗を任せられるかと聞いてきた時と同じくらい……いや、それ以上に厳しかった。
「恐らく、君の失った記憶は、危険なものだ。それを取り戻そうとすれば、君は苦難の道を歩む事になるだろう」
「………………」
「俺は、君に過酷な運命を辿って欲しくない。ひと月の間だが、君は本当の息子のようだったからな」
遼太郎が顔を伏せた。ルッカのこと……彼が受けたショックは、俺には想像も出来ないだろう。
「ガル。記憶を取り戻す必要がどこにある? ここで子供達の教師として、瑠奈や暁斗の兄として……そうやって過ごしてもいいんじゃないか?」
慎吾の言葉は、とても強力な誘惑だ。
なぜ俺が苦難の道を歩まなければならない? ここにいれば、俺はただの教師として過ごせる。みんなとだって、一緒にいられる。シグルドとだって、敵になる必要がない……。
――自然と、自分への嘲笑が漏れた。
「逃げる言い訳は、山ほど思い付くな……だが」
シグルドにだって言った事だ。俺は逃げてはならない……いや、違う。逃げたくない。
「記憶を失う前の俺は、親友を裏切ってまで成そうとした事があった。ここで俺が記憶から逃げれば……俺は、俺自身を否定してしまう事になる」
俺が、俺である限り。俺は、かつての自分の願いを知りたい。それは……俺の願いなのだから。
「ここでの生活は、とても楽しかった。俺にとっても、慎吾と楓はまるで両親のようだった。暁斗も、本当の弟のように感じていた。浩輝も、海翔も、蓮も、年は離れているが、良い友人だった。そして、瑠奈は……」
その先は口には出さず、俺は慎吾を真っ直ぐに見つめ返す。
「だが、だからこそ、俺はその平和を脅かす存在を許せない。そして、俺の記憶がそこに関わっているということだけは、確実だ。真に平和を手にするためにも、俺のやるべき事……思い出さなければならないんだ」
それが過酷な道であろうと、歩むのが辛いと感じる事があろうと。俺は、もう逃げ出さないと決めた。
俺の言葉を聞いた慎吾は、一見すると無表情なままだったが、良く見るとその口の端が小さく上がっていた。
「運命を受け入れるのではなく、運命を乗り越える為に、か」
「運命なんて、所詮は後付けの言葉だ。自分を納得させるためのな」
運命が定められたものだとして、それを嘆く必要がどこにある。その運命を定めるのは……俺自身の選択だ。
慎吾が小さな笑いをこぼした。表情と同じ、複雑な感情が込められた笑いを。
「君が記憶を求めるなら、バストールに向かうといい」
「バストール……?」
バストールは、確か……世界最大の大陸、グレーデンの南東に位置する国家。雄大な自然を幅広い範囲で残し、それ故にUDBが数多く生息している国だ。文明的にはエルリアとほぼ変わらないが、土地的な意味での開発途上国である。
「そこに、ウェアルドと言う男がいる。俺達の旧友だ」
旧友、か。ならば、その人物も……?
「彼が手がかりを持っている訳ではないだろう。しかし、俺達の元で過ごすより、君の過去を追うのに適した環境であるのは確かだ」
「どういう意味だ?」
「それは、行ってみれば分かる事だ」
明確な手がかりでは無い、か。だが、例え僅かな光でも、道は見えた。ならば、そこに向かって突き進むだけだ。
「ウェアルドへの連絡はしておく……すぐに発つのか?」
「ああ。明日には、この国を出よう」
「……そうか」
「みんなのことを、あのような状態で残していくのは、教師としては失格かもしれないがな……残っていたら、未練が生まれてしまいそうだ」
「気にするな。あいつらのことは、俺達がしっかりと見ておく。ならば明日の朝、君が乗る飛行機の手配を……」
「待って!」
「!」
慎吾の言葉を遮ったのは、少女の声。あやまたずドアが開かれ、声の主が姿を現す。
「瑠奈……!?」
「……ガル」
なぜ彼女が……まさか、扉の向こうで話を聞いていたのか?
「……狸寝入りだったか」
「私だって小さな子供じゃないんだから、内緒話の空気ぐらい感じられるよ」
いくら疲れてても、あんな事の後じゃそう簡単には眠れないしね、と付け加える彼女。
「それよりも……ガル」
……まずい。彼女を上手く説得出来るか?
「済まない、瑠奈。俺は、行かなくてはいけない。過去と決別するためにも。だから……」
「分かってるよ」
「……なに?」
「私が言いたいのは、そんな事じゃない……ガル、お願い」
彼女の真剣な眼差しが、俺を射抜く。そして――
「私も、連れていってください」