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ルナ ~銀の月明かりの下で~  作者: あかつき翔
2章 動き始めた歯車
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仮面の道化

 牙帝狼が倒れた轟音が、会場内に響く。慎吾達にシグルド、そしてUDB達も、その音に一瞬だけ戦いを止め、こちらを伺った。UDB達は、リーダーを倒されて混乱した様子を見せ始めている。


 俺は牙帝狼の前に降りると、月光の切っ先を奴に向けた。――息はある。高位UDBの生命力は非常に高く、あれだけで即死するような相手ではない。だが、刃は確実に胃に突き立てた。内臓を裂かれて無事であるはずもなかった。


「……ぐ……う……!」


「俺の、勝ちだ」


 魔獣は、ぜえぜえと苦しげな呼吸をしながら、苦痛に歪んだ表情のまま俺を睨みつける。これだけの傷を負ってなお、彼の瞳は闘志を失ってはいなかった。


「まだだ。我はまだ敗れては……ガハッ!」


 地面に手を付き、起き上がろうとする牙帝狼だが、咳と共に血を吐き出す。


「その体で、まだ戦えるとでも?」


 奴にも分かっているはずだ。痛みに鈍った動きでは、攻撃すらままならないだろう。その前に、動けば出血多量で死ぬのが関の山だ。それでも彼は、なお起き上がろうとする。


「確かに、貴様の、言うとおりであるな。だが……我は、マリク殿に……恩義を、返さねば、ならぬ。この命に、代えても、だ!」


「死ぬ瞬間まで、敗北を認めないと?」


「その、通りだ。どちらにせよ、貴様に敗れて力尽きるならば……惨めであろうと、最後まで……!」


「言っておくが。俺は、お前を殺すつもりはない」


 俺の言葉に、魔獣がぴたりと動きを止める。


「もちろん、生かしたいと思って斬ったわけではないがな。せいぜい、即死するような急所は避けたぐらいだ」


「何を、言っている……」


「お前ならば、その傷でも動かなければ死にはしないだろう? ならば、命を粗末にする必要もない」


 よほど想定外の言葉だったのか、本気で理解ができないと言いたげだった牙帝王の表情。しかし、少しずつ色が混ざり始めた。恐らくは困惑と、怒り。


「貴様は……戦いの中で、手を抜いたと言うのか……!?」


「手を抜くほどの実力差は無かった。全力で戦ったのは間違いないさ。お前が慢心していなければ、どう転んでいたかは分からないだろう」


「……殺せる時に殺さなかった、これを手加減と言わずに何と言う! 貴様は……うぐぅッ!!」


「落ち着け。無理に叫ぶと、本当に死ぬぞ」


「グッ、ウ……五月蝿い!! 貴様は……マリク殿の真似事でも、するつもりか。だとすれば、舐めないでもらおうか。我は、命の危険が迫ったからと、主を鞍替えするほどに落ちぶれてはおらぬぞ……!」


「……別に、何か裏があるわけではない。俺は、ただ……」


 プライドの高い彼が怒りを感じるのは当然だろう。だが。


「殺さずに済む相手を、殺したくないだけだ」


「な……何だ、それは! なおさら、気に食わん! そのような、甘ったれたことを……!」


「甘ったれていてもいい。俺は、殺すのは嫌いだ。お前が何と言おうと、これが俺の意志で、お前に曲げられるものではない」


 綺麗事だと分かっている。それでも俺は、必要以上に命を奪いたくはない。全て思い出した訳ではないが、あの時シグに言った通りだ。


「……戦いの結末とは、命を奪うことに限らないはずだ。そうでなければ、お前はここにはいないはずではないか? 自分で言ったのだろう、マリクとやらに敗れたと」


「……む……」


 それは思いのほか手痛い反論になったらしく、彼は低く呻いて黙りこんだ。


「怒ろうが、恨もうが構わない。俺は俺が殺したくないから殺さない。それだけだ」


「……勝者には、敗者を好きに扱う、権利があると?」


「そこまで傲慢なことを言うつもりは無いさ。だが、お前だって死にたくはないだろう? 死ねば、この敗北を覆すこともできないぞ」


「……挑発の、つもりか?」


「挑発で終わるなら安いものだからな。なに、もっと単純に考えろ。俺は生かしたい、お前は生きたい。利害の一致だ」


「……貴様は。屁理屈と……言うものであろう、それは」


「違いないな。だが、それでもいいさ」


 魔獣は溜め息をついた。同じ獣の顔を持つ獣人からしてもその表情を読むのは少し難しいが、どうやら呆れ顔のようだ。


「全く……何なのだ、貴様は。興を……削がれた」


「こういう性格だ。お前の誇りに付き合ってやれないのは悪いが、自分を曲げようとは思わない」


「……本当に、甘ったるい。だが……どれだけ甘かろうと、敗者である我の言葉に、貴様が従う道理は……ないな」


 吐き捨てるように、しかし敵意が抜け落ちた声で、魔獣は言った。自分を敗者だと、確かに。


「……我の、負け、だ」


 そう呟くと、魔獣は身体をぐったりと横たえた。やはり痛みは激しいようで、食いしばった牙の隙間から呻きが漏れている。


「大丈夫か?」


「斬った本人が、言う言葉でも……あるまい」


「……済まない」


 反射的に謝罪してしまい、奴が少しだけ愉快そうな顔をした。切り替えが早いのか、怒りはもう残っていないらしい。


「我らの自然治癒力は、ヒトとは比べ物にならん。動かなければ、じきに血は止まるであろう。とは言え……ぐ……さすがに、早く治療を受けたいところではあるな。内臓までは、そうそう治らん」


 本人の言葉通り、既に出血は緩くなりつつある。流石と言うべきだろうか。だからと言って、トロルのような異常な再生でもない。依然として危険な状態なのは確かだろう。


「さて……和んでいる、場合でも、ないな。やるべきことは、済まさねば」


 奴は大きく口を開くと、唐突に、会場に響きわたる咆哮を上げる。途端に……シグや上のみんなと戦っていたUDBの動きが止まった。


「くぅ……やはり、傷に響くな……」


「何を?」


「どうせ、これ以上続けても、奴らでは貴様らを倒すことは出来ん。……無駄死にする必要はない、のだろう?」


 ……戦いを止めてくれたのか。


「お前は……」


「アンセルだ」


「なに?」


 俺の言葉を遮って、魔獣が言う。


「アンセル。それが我が名だ。名乗るのは久しぶりだがな。……死力を尽くし、戦ったのだ。名すら知らせぬのは、礼節に反するであろう?」


 知能の高いUDBには、名を持つ者もいる。もっとも、人ほど名前を重要視はしていないらしく、名乗るのはごく稀らしいが。


「ならば、返さないわけにはいかないな。俺はガルフレア・クロスフィールだ」


「うむ、ガルフレアだな。依然として、我らは敵ではあるが……覚えておくとしよう」


 と、動きを止めた獣の群れをかきわけ、シグがこちらに向かってきた。


「ガル!」


「お前も無事か、シグ」


「ああ、俺は問題ない。お前は……ずいぶんとおかしな結末を迎えたようだな」


 シグはちらりとアンセルを伺う。アンセルもシグルドを見た。


「ごほっ……心配、するな、青いの。さすがに、不意打ちは流儀ではない。負けを認めた以上、おかしなことはせん」


「……そ、そうか」


「それにしても、だ。この男は……ふう……どうなっているのだ? ここまで甘いくせに、実力は本物だ……く、うっ……全く、忌々しい」


「……まあ、そういう男だ、昔からな」


 アンセルが普通に話しかけたので、シグは少し反応に困っている。……魔獣でなくとも、ここまで重傷の相手に普通に話しかけられるのは困るだろうがな。それにしても、意外にもアンセル本人は社交的な性格なのかもしれない。


「本当に変わらないな、お前は。そうやって途方もないことをやろうとして、自分が傷付くことはいとわない」


「シグ、俺は……」


 彼にはいろいろと聞かなければならないことがある。そして、それは向こうも同様だろう。

 ――だが、その時だった。


「クク。なかなか楽しませてもらいましたよ」


 その笑い声と、場違いな拍手が聞こえてきたのは。


「…………な」


 聞こえてきた声。それは、俺達の上空から響いたもの。それを聞いた瞬間、俺は全身が総毛立つような寒気を覚えた。

 月の守護者を発現した俺は、あらゆる感覚が研ぎ澄まされている。いわゆる直感と呼ばれるものも含めてだ。ならば……何だ、この悪寒は。


 俺達は、揃って天井を仰いだ。

 そこにいたのは、仮面の人物。黒い仮面に、黒い衣。声すらも合成音声で、漆黒の衣装の内側がどんな人物であるかは、全く伺い知ることができない。

 宙に浮かび、静かに俺達を見下ろしているそいつを見ただけで、異常な圧力を感じる。あいつは……危険だ。


「お前は……!?」


「道化、死神、黒い仮面……時と場所によって、様々な呼ばれ方をしていますが」


 芝居がかった口上と動作で笑う、黒衣の存在。


「便宜上は、マリクと名乗っております」


「マリク……だと」


 先程から、何度も聞いた名。ならば、こいつが。


「貴様が、元凶か」


 そう言ったのは慎吾だった。何をしたのか知らないが、再びみんなの声がこちらに届くようになっているようだ。先ほどよりも鮮明に。


「ずいぶんご立腹のようですね、綾瀬 慎吾よ。この国が、いえ。この会場が襲われたのは、あなた達のせいでもあるというのに。気付いていないわけではないでしょう?」


「…………!」


 慎吾を知っている……? それに、この国が襲われたのが慎吾達のせいでもある、だと。


「貴様、どういうつもりなんだ、マリク。本気であの小物の目的に賛同したなどと言うなよ?」


 割り込んで、シグが道化に投げかける。その言葉には糾弾の響きも込められていたが、相手は全く動じた様子を見せない。


「あなたにも迷惑をかけましたね、シグルド。しかし、これは我らの目的のために必要なことだったのですよ」


「この国を戦いに巻き込むことが、か……!?」


「クク、違いますよ。まあ、そうなろうと構いませんでしたがね」


「貴様ッ!!」


 上村先生が耐えきれなくなったように叫び、怒りの疾風が襲いかかる。だが、奴は先ほどティグルが使っていたような結界を生み出し、それをたやすく防いでしまった。


「何……!?」


「ふむ、なるほど。やはり、全盛期とは程遠いようですね、上村 誠司。先ほどの戦いを見る限りは、他の方よりはマシのようですが。昔のあなたならば、この程度はすぐに破れたのではないですか?」


「な……」


「もっとも、素晴らしいことに変わりはありませんがね。二十年余りを平和ボケして過ごしていた割には、並みの能力とは比較にならない。だからこそ、これからが楽しみではありますが」


「貴様は、何を言っている!」


 慎吾たちの表情は、今まで見た事がないほど険しい。動揺している? あの慎吾が。


「質問には答えましょう。私の今回の目的は……この国そのものではなく、英雄たちを戦いの中へと導くことですよ」


「英雄たちを、戦いの中に?」


「ええ。先ほど、彼が語った内容は真実です。この国には英雄がいる。一般人として、平穏な暮らしを送っている。ですが、彼らは世界のために立ち上がった勇士です。自分たちを狙って平和が脅かされたとなれば、黙ってはいられないでしょう」


「……理解に苦しむな。それで英雄が立ち上がれば、単にお前たちの敵が増えるだけだろうが」


 道化が語るのは、あまりにも悪趣味な目的。世界を救った英雄の平穏を奪い、人々の日常を壊し……その先の目的が何であろうと、とても許容できるものではない。


「ティグルのような小物に力を貸したのも、あれが事態を派手に見せるのを好むからか?」


「ええ。大きな事件を起こせばいい、という意味で、鉄砲玉として扱いやすい彼を使いました。あの男も馬鹿なものですね。私の技術と戦力、その末端を貸しただけで、自惚れてしまいましたから」


 ……あれほどの技術が、アンセルを含む戦力が末端だと? こいつは、いったい。


「ガルフレアや俺たちの情報を奴に教えたのも、お前だな」


「その通りですよ。一応は協力と言う名目でしたからね。情報を与えただけで、その先には関与していませんが」


「……だから、奴は俺を捕らえに来たのか」


「まったく、馬鹿なことをしたものですよ。無駄に挑発などしたから、あなたを不完全とは言え覚醒させてしまった。もっとも、私としては好ましい展開でもありますがね。あなたの力は、実に興味深い。じっくりと監察したかったところですので」


「俺は、貴様のモルモットになるつもりはないぞ……!」


 強い口調で返さねば、即座に呑まれてしまいそうだ。俺の本能は、今すぐこの場から逃げろとまで言っている。


「クク。心配せずとも、今日はもう十分に堪能させていただきましたとも。あなただけではなく、シグルドやルッカ、そして他の方々もね。紛れもなく、この場ではあなた達の勝利でしょう」


「堪能した、か。それは何よりだな。……仮にも協力関係である俺に、身動きが取れないほどにUDBを転移させた価値はあったか?」


 シグルドの心から不快そうな指摘にも、道化はただ笑うだけだった。


「最初は、私が直接の介入をするつもりはありませんでした。どういう顛末を迎えるか、ただ監視するだけの予定だったのです。しかし、予定よりも興味深い展開になりましたので、少しばかり細工をさせていただいたのですよ」


「だろうな。倒したUDBの回収、的確なタイミングでの増援……オートだとは思えないし、奴らが自分たちで装置を扱えるはずもない。お前が操作を行っていたんだろう?」


「正解ですよ。アンセルの戦いを邪魔させないための足止めでもありましたが、おかげで良いデータが取れましたよ」


 宙に浮かぶ男には、悪びれる様子は微塵もない。本当に、何のことなしにそう言い放った。


「ああ、もちろんお詫びはしますよ。転移装置の改良データでもお送りしましょう」


「……ペテン師が」


「それは私にとっては褒め言葉ですね」


 忌々しげに唸るシグを尻目に、次いでマリクはアンセルに視線を向けた。


「ガルフレアとあそこまで戦い抜いたのは流石でしたよ、アンセル」


「……マリク殿、我は……」


 アンセルは身を縮めていた。主の前で負け姿を晒し……なおかつ、敵と打ち解けたような姿を見せたことを、戦士として恥じているのかもしれない。


「恥じる必要はありませんよ。いくら彼の力が不完全とは言え、並のAランクでは太刀打ちできないでしょう。その男と互角の戦いをしたのですから」


「……あなたは、我が負けると思っていたのですか?」


「ああ、あなたの実力を信じていなかったのではありませんよ。あなたは、仮にも私のお気に入りなのですからね。ただ、今回は相手が悪すぎた」


 俺とシグを見下ろし、マリクは言う。


「〈六牙〉のうち、二人を相手にしたのですから、ね」


「……りく、が?」


「おや、あなたが裏切ったのですから、今は五牙とでも呼ぶべきですかね。クク、失礼」


 六牙とは何だ。妙に、胸の奥底に引っかかる何かはあるが、そこまでだ。くそ、あの男が言っている事が理解できないのがもどかしい……!


「私自らあなたを助ければ一番楽だったのですが、プライドの高いあなたは、それでは納得しなかったでしょう?」


「……ええ。あなたが介入していれば、我は自ら手出し無用と申し出ていたでしょう」


「ひとまず、結果としてあなたは生きていますので、許して下さい。傷はどうです?」


「動かなければ、問題はありませぬ」


「そうですか、それは良かった。戻ってから手当てをします、少しだけ我慢してください」


 マリクの言葉からは、心配や思いやりは感じられない。生きていたほうが都合が良い、ぐらいの感覚しか持ってはいないようだった。


「ガルフレア。彼に止めを刺さなかったこと、感謝しておきますよ」


「……お前のために殺さなかったわけじゃない。彼を死なせたくなかっただけだ」


「構いませんよ。結果が全て、ですからね」


 あの道化に、俺の感情を理解させることは不可能だろう。戦いを通じて、アンセルに抱いた敬意など。


「おっと、主題が逸れてしまいましたね。何故、英雄たちを戦いの中に導こうとしたか……平たく言ってしまえば、主の命です」


「……答えになっていないな。ならば、何故そう命じられた? 理由を知らないわけではないだろう。答えろ」


「申し訳ありませんが、さすがにそれは言いません。ですが、そうですね……その代わりとしては不十分でしょうが、私個人としては、英雄の戦闘データを集めたい、というだけです」


「それだけの、理由で? そんなことのために、貴様はこのような……子供達を、傷付けて!」


「ふふ、随分とお怒りのようですが……つまり、あなた達のせいなのですよ? あなた達が無駄な平和など望んだからこそ、こうしてあなた達の子供が巻き込まれた」


「っ!!」


 優樹が歯を噛み締める。……明言は、誰もしない。しかし、あの男の、ティグルの、そしてシグルドの発言。それらを総合すると、導き出される答えはひとつ。慎吾……あなた達は。


「テメェに俺達の何が分かんだ!? 俺達は……ガキ共と平和に暮らす事すら望めないってのか!」


「ええ」


 当麻の言葉に、道化はいとも簡単にそう返した。


「ティグルの言った事にも、少しは共感する部分があるのですよ。力を持つ者には、その者にしかできない役割を果たす義務があるのです」


「あなたは……!」


「自由? 平和? 義務から逃げ出したあなた達に、そんなものが許されるとでも? それは甘えと言うものですよ。その代償がこの有り様……多くの関係ない者が傷付くという結果です」


 はっきりと、そう宣告する道化の声。それに、慎吾は何も言えなかった。楓も、優樹も、上村先生も、当麻も、遼太郎も……誰も。


「あなた達もこれで、自分達が争いから逃れられない事が分かったでしょう?」


「俺達は……俺、は……」


「ふむ。まだ現実を認めたくないのですか。まあいいでしょう。()()()()()していますよ?」


 マリクはゆっくりと、俺達の前に降りてくる。情けないが、それだけで俺の背中には汗が浮かんだ。


「一応、しばらくはこの国の平和は保たれるでしょう。我が主が、行動を起こすまではね」


「お前の主とは……何者だ」


「簡単に教えるはずがないでしょう? クク、嫌でもいずれ知ることになるのです」


 ここでこいつを止めなければ、またいつか争いが起きる。だが、同時に理解していた。今の俺では、こいつを止められない。


「……ならば、ティグルはどこに逃がした。お前の技術だろう? あの男を放置すれば、また何かを起こすはずだ」


「ティグルですか。クク、彼の運命は決まっていますよ。彼に渡した転移装置は完成品と偽りましたが、実際は欠陥品です」


「なに?」


「確かに記憶は消えませんが、短距離しか跳ぶことができないのですよ。せいぜい、会場から少し離れた場所に身を潜めるのが関の山です。そして……その情報は、適任に渡しましたので。〈黒影くろかげ〉に狙われて生き延びられる存在などいない。そうでしょう? シグルド」


 俺が視線を向けると、シグルドは渋い顔で唸った。


「……そういうことか。あいつもここに待機していると、気付いていたとはな」


「六牙ほどの存在の動きは常に把握していますとも。そしてこれは、あなた達にとっても望ましい情報でしょう?」


「そちらの不始末を俺達に押し付けただけだろうが」


「どういうことだ? 黒影とは……」


「意味はじきに分かりますよ。では、私は引き上げるとします。アンセルの傷の手当てもありますからね。行きますよ」


「……御意」


 アンセルが出血を加速させないよう慎重に立ち上がると同時に、彼らと、周りの獣達が歪み始めた。


「アンセル!」


「次にあいまみえる時までに、腕を磨いておく。このままでは我のプライドが許してくれないのでな。貴様も……強くなっておけよ?」


 誇り高き魔獣は、うっすらと微笑んだ。ライバルを見つけた喜びを噛み締めるように。


「ガルフレア。あなたにもお詫びをしましょう。記憶を取り戻したいならば、()を調べなさい」


「影? ……どういう意味だ?」


「嫌でもいずれ知ることになりますよ。では、皆々様。また近いうちに、お会いしましょう」


 そして、制止する間も無く……奴らの姿は、完全にかき消えた。


 会場に残されたのは、俺とシグ、そして慎吾達だけ。


「影、銀月……。俺は……」


「………………」


「俺は……何だったんだ?」




 疑問は山ほど残されて。傷跡は痛々しく刻まれて。


 それでも、この空間に……再び、平穏が訪れた。





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