月の守護者
「……ふふふ」
一部始終を見届けていた仮面の道化は、楽しそうに笑っていた。
目に映るのは、光の翼を具現化させたガルフレア。そして、その姿にあからさまにうろたえている、滑稽な男の醜態。
「せっかく眠っていた天空の児を、再び目覚めさせるとは。まったく、限りなく最悪に近い手を選んでくれることには、一種の尊敬すらしますよ。余計なことをしなければ、この場では勝者になれた可能性もあったと言うのに」
言葉の内容とは裏腹に、道化は笑いを消さない。まるで、それこそが望んだ展開だとでも言うように。
「しかし、完全ではないようですね。その力も……何よりも、重大なものが欠けている」
ふむ、とわざとらしく声を出しつつ、道化はただ眺める。愚かな手駒とは言え、彼に貸し与えた力は本物だ。ならばこそ、どこまで使えるのかには興味もあった。――馬鹿でもどこまでやれるか見物だ、という意味で。
「さて、果たしてティグルに彼を使いこなせるか。そして、不完全な銀月と彼では、どちらに軍配が上がるのでしょうね。それに、盤面に必要な駒も集いつつある……最後まで、存分に観戦させていただきましょう」
傍観者の存在に誰もが気付かないまま、事態はさらに加速していく。
UDB達は、仲間がいとも簡単にねじ伏せられた事にたじろいでいた。そして、上で会場を制圧している連中も、また。
『光牢結界を破壊しただと……それに、あの翼は何だ! 貴様は力を失ったのではなかったのか!?』
「……この際、貴様が俺を知っていた事や、俺を捕らえた理由などはどうでもいい。俺は、貴様を許さない」
体中に、力が溢れている。……そうだ。はっきりと思い出した。これが、俺のPSだ。
「今の俺を、止められると思うな」
俺が睨みつけると、男は明らかに狼狽えた。だが、歪んだプライドの塊のような男は、声を張り上げる。
『PSを取り戻したから、何だと言うのだ! 貴様一人で何が出来る!』
「護ってみせるさ、全て。俺のこの力……〈月の守護者〉でな」
俺の返答に、男は忌々しげに歯ぎしりすると、手に持った石を掲げた。
『攻撃をあの化け物に……銀月に集中させろ!』
男の命令に、俺を取り囲むUDB達が、びくりと反応する。本能は俺を警戒していたのだろうが、その命令が下ると、連中は俺に向かって殺気を放ち始めた。
「……哀れだな、お前達も」
あの石が何なのかは知らないが、素直に本能に従っておけば良かったものを。
「ガル……」
「心配するな。できるだけ、俺から離れていろ」
男は、また判断を間違えた。俺に攻撃を集中させた以上……俺は、自分の戦いに専念出来る。
「さあ、来い!」
四方から、大量の獣が押し寄せてくる。だが、俺の中には、恐怖や不安など微塵も無かった。
先ほどまで失っていたこの力。だが、俺の身体は、どのように戦えば良いのか、しっかりと覚えている。そして、自信がある。この程度の相手、取るに足りない!
「はあっ!」
俺が拳を振るえば、それに合わせて渦巻く波動が放出される。この光は俺の動きに従い、物理的な破壊力を持った力の奔流となる。
獣達は、自らの射程に入る前に吹き飛んでいく。数に任せて特攻してきた所で、迸る光は奴らをまとめて薙ぎ払う。
「お前達も、被害者なのかもしれないな。だが……」
翼を広げ、一気に跳躍すると、巨人の頭部めがけて回し蹴りを放つ。その巨体が、数メートルほど吹き飛ぶ。
この力の発現中、俺の身体能力は限界まで強化される。筋力も、反射神経も、普段と比較して格段に向上していた。
「手加減はしない。俺の仲間に手を出した、報いを受けろ!」
俺は跳躍すると、そのまま翼を羽ばたかせて空中に留まる。そして、両腕に力を収束させ、一気に振り下ろした。
放出された波動が、雨の如く奴らの群れに降り注いだ。けたたましい獣達の悲鳴が上がる。光に撃たれたUDBは、残らず地面に倒れ伏した。
「すげえ……」
『……ぐ……!』
暁斗の感嘆と、男の歯ぎしりが聞こえてくる。UDB達も、あっという間に仲間が倒されていったことに、さすがに動きを鈍らせていた。
「命令は無視出来なくとも、恐怖はあるのか」
『おのれ……ならば! Cランクの奴らを、全て転送しろ!』
UDBは、その危険性からS~Fでランクを区分されている。Sが最も危険で、Fはほぼ害の無いレベルだ。
今ここにいるのは、だいたいEからDまで。Cに区分されるのは……先ほどの牛鬼など。
『いけません、ティグル様……! Cランク以上のUDB達は完全には制御しきれていなかった! 奴らを全て転送すれば、下手をすれば暴走を……』
『黙れ! 貴様らは俺の命令に従っていればいいのだ……!』
側に控えていた狐の部下がたしなめるが、激昂した男……ティグルと言う名らしい男には、その進言も意味をなさなかった。男は、何かの装置を起動していく。そして、その数秒後には……舞台の上に、新たな歪みが現れた。
「が、ガル……!」
「……心配ない。何が来ても、俺は負けない」
俺はみんなを安心させるように微笑む。……今現れている連中も、徐々に近付いてくる。命令の強制力はかなり強いようだな。
「数だけの相手など!」
彼らに罪があるわけではない。できる限り気絶程度に留めてはいるが、これ以上の乱戦になればそうも言っていられないか。
……もちろん、命を奪う覚悟が無いわけではない。だが、こんな戦いはさすがにやりきれなかった。彼らだって、あの男のエゴに巻き込まれただけなのだから。
そして、最初の群れが四割を切った頃……転移が完了した。
「うわ……!?」
「なんて数だよ……!」
現れたのは、先程の三種類に、新たに二種類……全長3メートル程度の巨大な黒い怪鳥〈死翼鷲〉と、発火性の非常に高い体液を分泌して炎を発生させる特性を持つ、4メートルほどの爬虫類〈大火蜥蜴〉も加えた、各種数体ずつ。
「少しばかり、厄介ではあるか」
俺は気付いていた。PSを発動できるようにはなったが……何かが違う。未だ記憶が欠けているせいなのか、どうやらこの力は、完全には回復していないようなのだ。
それに……もう一つ、決定的に足りないものがある。それは、武器だ。
ぼんやりとだが、身体が覚えている。かつての俺は、格闘術のみで戦っていたわけではないと。俺のこの手にあったはずの武器……それが、今は無い。そのため、決め手に欠けてしまっているのだ。
怪鳥が吼え猛り、飛び上がる。飛ばれるのは厄介だな。もし観客席が巻き込まれでもすれば……。
俺は跳躍して、巨鳥の背中に飛び乗り、そのまま全力の一撃を叩き込む。そいつはあえなくバランスを崩し、地上に落ちていく。だが、倒したそばから新たな一体が俺に迫る。
……キリがないな。だが、やるしかない。俺は落ちていく鳥の背中から飛び降りて、そいつに対応しようとする。
――その時、巨鳥の翼が凍りついた。
「!」
翼を凍らされた巨鳥は、なす術なく墜落。突然のことに俺も状況を理解できなかったが、ひとまずはそのまま着地する。
これは……冷気系のPSか? だとすれば……まさか。
「間に合ったようだな」
「みんな、大丈夫かよ!?」
聞こえてきた声に振り返ると、舞台に向かって二人の見知った顔が飛び込んできていた。
「シグルド!」
「ルッカ君……!?」
二人はUDBの群れの中を一気に駆け抜けてくる。シグルドの手には、蒼い装飾の斧槍が握られている。
「お前達、どうして。入口は塞がれているはずだろう」
「所詮は下級のUDBが数体だ。あの程度、障害のうちにも入らないな」
「操ってた野郎も潰しときましたよ。ま、この人数でこの会場を襲おうなんてのがお粗末すぎなんですがね」
シグルドもルッカも、この状況に動じた様子は全くない。二人とも、戦い慣れた戦士の顔だ。
「力を貸そう。……ここで出会ったのも、何かの縁だろう?」
「もちろん、俺も助太刀しますよ。……どうやら、あの連中にはきっちり礼をしなきゃいけねえみたいだしな」
言いつつ、二人は構える。ルッカも倒れたみんなの様子を見てか、完全に激昂していた。……少なくともこの少年のことは、護る対象と認識する必要はない、ということは理解できた。
……冷気系能力。それに、あの蒼い斧槍。シグルド……彼は。何だ、この感覚は? 彼と出会った時は気のせいだと思ったが……何故、懐かしいと感じるんだ。
遡れば、ルッカも。授業で初めて出会った時、本当はどこかで見覚えがあった気がした。向こうも反応を見せなかったから、そんなはずはないと思っていたが、彼らは……いや、それを考えるのは後だ。今は純粋に有り難い。
「……頼りにするぞ」
「ああ、任せろ」
「一気に片付けちまいましょう!」
UDB達は雄叫びを上げ、暴れ回る。あの男が制御しきれていないのか。これでは戦いだけを考えてはいられないな。
「みんなの護衛は俺がやります。お二人で殲滅しちまって下さい!」
「……分かった。任せたぞ!」
ルッカは一目散にみんなの下へ駆け出した。みんな、まだまともに動けないはずだ。彼らに危害が加わらないうちに終わらせなければ。
「ガルフレア、合わせられるか?」
「当然だ、シグルド。こいつらを蹴散らすぞ」
「ああ……分かった」
シグルドは小さな笑いを漏らすと、奴らの群れの中に飛び込んだ。当然、彼にUDBが群がる。
だが、無数の獣に囲まれたシグルドを見ても、俺には絶対に大丈夫だという確かな感覚があった。何故かは分からないが、俺は彼を心から信頼していた。彼は……負けない。
「……容赦はしない」
シグルドはその場で斧槍を振り上げ……。
「凍り付け……!」
地面に突き立てた。――途端に、シグルドの周辺が、急速に凍結を始めた。
獣達が慌てふためくが、時既に遅し。シグルドに群がっていた連中は、一匹残らず氷の像となる。それは時間にして数秒のことだった。
「すげえ……」
「ひゅう、さすが。じゃ、俺も……」
ルッカがそう呟くと共に、彼の周囲のUDBが、纏めて宙に投げ出された。重力を逆転させたようだ。元から飛行していた者も、バランスが取れず暴れている。
「ぶっ潰れちまいな!!」
そして、少年は容赦なく重力を増加させた。直後――肉が潰れ骨が砕ける音が複数回、連続で響いた。完全に容赦の無い一撃。文字通り潰された獣達は、ピクリとも動かない。
「う、うわ……」
その光景にみんなが困惑した様子を見せるが、ルッカはそれを鼻で笑う。
「みんなを傷付けた報いだ。千回死んでこい、愚図どもが」
まさか、あそこまで力を使いこなしているとはな。やはり、彼も心配はいらないだろう。ならば。
「俺は、俺の戦いに専念する!」
勝敗は、ほぼ決していた。