この枷が消えることはなくとも 3
「最後には、子供たちの罪は問われないことが決まったけれど、多くは社会にそのまま出られない状態だった。身元も分からない私たちは、更生のために様々なところに引き取られていった」
「……それで、君はラッセルさんに……」
「ええ。そうして私は、コニィ・エルステッドになった。娘が産まれたらつけるつもりの名前だった、って」
「………………」
「お父さんも、お母さんも、私をとても歓迎してくれた。二人は、体質で子供が望めないことが分かっていて……そのぶん私を、本当の子供として迎えてくれたわ。おかげで、私は……『普通』を学んでいくことができた」
おれはずっと、コニィのこと……赤牙の中でも、普通の女の子だって思ってた。彼女は常識的で、しっかり者で……でも、それはもしかして。普通になろうと努力した……から?
考えてみたら……そんな子がギルドに入って、戦ってたんだ。医者っていう彼女の夢には、必要なことじゃない。前に聞かされた、危険な場所でも助けられるようにって理由を、優しい彼女だからって納得してたけれど。
何の疑問も持ってなかった。それが、ひどく間抜けに思えた。知ったからこそなのかもしれないけど、こんな大事なことも知らずに……おれは。
「初めて与えられた平穏に、最初はただ戸惑うだけだった。だけど、少しずつ、本当に少しずつ、穏やかな日常というものを知って……それで私はようやく、自分の罪の重さを理解したの。この手で……いったいいくつの平穏を奪ったのかを、ようやく……」
「……でも、それは……君が望んでしたことじゃ……」
「それでも……よ。私が奪った命は、誰かに恨みを買った人たち。でも、その理由までは、知ることもなかった。十分なお金が動けば、団はそれだけで請け負った。少なくとも、マスターが狙われていた以上……何の罪もない人だって、私は……。それが罪じゃないなんてこと、ないわ」
「ッ……悪いのは、君にそれをさせた奴らだろ!? 君がそれを抱える必要なんて、どこにも……!」
我慢が限界だった。だって、おかしいだろこんなの。彼女にそれをさせたのは、それしか与えなかったのは、周りのやつらなのに。コニィがどうして、こんな……こんな、苦しそうな顔を。
「ありがとう、蓮。それでも……殺したのは、私なの。マスターのことだって、殺そうとしたの。どんな理由があろうと、誰に何を言われようと……変わらない、事実なの」
きっぱりと、彼女は言い切った。おれは、何も言えなくなる。
「それを、忘れるつもりも、捨てるつもりもないわ。もしも、過去がいつか私を裁くなら……逃げないことも、決めているの」
「……それ、は……」
「……心配しないで。簡単に命を差し出すって意味じゃないわ。それこそ、逃げだと思うから。そう、教えられたから」
……そこで、おれも気付いた。コニィの言葉は、力を無くしてないことに。
見れば分かるくらいに、彼女は自分の過去を、ひどく後悔してる。でも……そうだ。だけど彼女はいま、どう生きてる? 後悔して、立ち止まってるか? ……そうじゃない。
「死んで償うことを、考えたこともある。でも、その時は……両親とマスターに、本気で怒られたの。死で消える罪なんてどこにもない、って。それを辛いと感じるならば、なおのこと……逃げるなって」
それは、とても厳しい言葉。彼女が背負わなければならないもの。でもそれは、彼女が生き続ける理由を教えるための言葉にも思えた。
マスターやラッセルさんが、それを理由にするのを望むとは思わないから、きっとそうするしかなかったんだろうけど。
「だから……考えたの。生きることでしか償えないなら、どう生きていけばいいのかを。正しく生きるというのは、どういうことなのかを。自然と、私は……マスターと、お父さんを見ていた」
その言葉で、おれの中でやっと、彼女の全てが繋がった。医者として誰かを救うラッセルさん。ギルドとして誰かを救うマスター。そして……彼女の、今の生き方。
「だから……医者に、なろうと?」
「罪滅ぼし、って言ったら虫が良すぎるけれどね。これから先、何人の命を救えたとしても、私が奪ったものが返ってくるわけじゃない」
一人を殺して、一人を助ける。それが同等だなんて、もちろん言えるわけない。百人を、千人を、一万人を……どれだけ増やしても、無くなった一は、そのままだ。
「自分勝手な理屈かもしれない。自己満足だとか、結局は自分の命がかわいいだけだとか、そう言われたって否定はできない。それでも……どうあろうと消せない罪ならば、私は……この命を、罪だけが残るものにしたくない」
「……コニィ……」
「だから私は、誰かを助ける生き方をしたいの。そうして、私を助け出してくれたあの人たちに報いて……力になりたいの。それが、私にできる償いで……」
コニィの目は、とても……とても、真っ直ぐ、だった。
「私が選んだ、生き方だから」
誰かの思うがまま道具にされていた。そんな彼女が、色々なものと向き合った果てに見付けたもの。自分で、選んだもの。
ああ。彼女は同い年の女の子なのに、なんて重たいものを背負ってるんだろう。なんてものを背負いながら……前に、進んでるんだろう。
「…………。長くなってしまったけれど……聞いてくれてありがとう、蓮」
その強さが、あまりにも眩しかった。
そうか。彼女は、ずっと……覚悟を固めて、赤牙にいたんだな。正直、彼女は戦いに向いてないって思ってたんだ。医者になるためなら、無理をしなくていいんじゃないかとか……そんなことを考えてたおれなんかより、よほど。
「ごめん。おれは、あの時……何も知らずに、分かったようなこと……」
なんてことを言ったんだ。コニィはいつでも正しくて、君みたいな人になりたいって? 彼女がそのために、どれだけの苦労をしたか考えもせずに……どこまで間抜けなんだ、おれは。
「あの時のおれは……何も、見えてなかった。自分は努力しても何もできてない、とか思ってさ。本当に、馬鹿みたいだ……自分だけが上手く行ってない、なんて……」
「そうね……必死だったことは、見ていて分かったわ。だから、心配でもあった。前に言ったこと、覚えている? 何かを背負い込むことは、鈍らせる枷にしかならないって」
「ああ……よく、覚えてる。あそこが、多分……おれが完全に、踏み外した瞬間だったから」
ルッカに負けて、突き放されて。おれには、何も見えなくなった。だから、背負い込む痛みを感じていたかった。少なくとも、そうすれば……頑張ってるつもりには、なれたから。
「……あの頃から、コニィはおれをよく心配してくれてたな。本当に、今さら気付くなって話だけど……ごめん。ずっと、心配をかけて」
「謝ることじゃないわ。……あなたは必死に、自分の弱いところを正そうとしていたわよね。間違いを、とにかく恐れていた。正直に言えば、それが……自分と重なったの。だから、放っておきたくなかった」
「……君にも、そういう時があったのか?」
「何度だってあるわ。今だって、分からなくなる時はあるもの」
「今でも……そういう時は、どうしてるんだ?」
「お父さんにお母さん、マスター。あの人たちの姿をよく見るわ。私がいちばん最初に願ったものを、もう一度しっかり思い出す。そうすれば、目の前に道がまた見えるのよ」
「……初心に立ち返る……か」
武術でもよく言われることだ。忘れてはいけないものは、始まりの自分が持ってたもの。そこにあるはずの軸を、思い出す……言ってることは、おれにも分かる。
改めて、考える。
じゃあ、おれの始まりは、おれの軸は……何だったのかを。
そこで少しだけ、会話が途切れた。色々なものを、飲み込むための時間。嫌な沈黙じゃなくて……むしろ、色々なことを知れて、その上で彼女とこうして並んでるのは、悪い気分じゃなかった。
「ありがとう、蓮」
「え?」
「今の話を聞いても、こうして近くにいてくれて。話の途中で、怒ってくれて。避けられたって、おかしくない話だから」
「それは……。だっておれは、コニィを知ってるから。今の君がどう生きてるかを。それに、話を聞いたのはおれで……君は、それに応えてくれた。避けたりなんか、するわけないだろ?」
もちろん、思うところは色々ある。それでも……彼女が怖いだとか、そんな感情は全くない。だって、何度だって彼女はおれ達を助けてくれた。
「おれ以外だって、そうすると思うぞ? 君もよく知ってるだろ、赤牙のことはさ」
「……そうね。それでも……私にとって、本当に……」
もう一度、彼女はありがとうと呟いた。そして、そのまま言葉を続ける。
「蓮。あなたには、もうひとつ話さないといけないことがあるわ。さっき……私と同じような子の話を、したでしょう?」
「他の人に引き取られたみんなの話、だよな」
「ええ。私は、マスターを通じて、他のみんなの様子も聞いていたの。ほとんどは、今ではちゃんと生きている。でも、一人だけ……途中でまともな連絡が途絶えた子がいるの」
「なんだって……?」
「その子に対して分かっていたのは、引き取られた先の生活に馴染めず……望んで、とある傭兵団に引き取られたってことまでよ」
「傭兵、団……。……まさか」
何かあるとは思ってた。助けられた時に何かあったんだろう、くらいには……でも、この流れで、こんな話を始めたってことは……。
「あの子は……エルザは。私と同じ団で、育ったの」