英雄達の楽園
「逃げるったって、俺ら注目浴びてるみたいだぜ……?」
「……ま、当然だな」
「ど、どうしよう?」
「こういう時は、人質でいる方が意外と安全ってもんだが。向こうがどう動くか……」
『素晴らしいな、君たちは』
「!」
俺達の話し合いに割り込むように、男の声が響いた。これだけの距離があるのに声が届いた?
『なかなか良い余興だったよ。楽しませてもらった』
「余興……!?」
人を命懸けで戦わせといて、最初に言うことがそれかよ。その一言だけで、こいつがろくでもないことははっきり分かった。
「どいつだ……どいつが喋ってる?」
「あいつだ。一番前の、金髪の人間……」
遠くてよく見えないが、確かにガルの隣、先頭にいるのは人間の男だ。他には、それに仕えるように一歩後ろに立つ狐獣人の男と、そのさらに後ろには6人、色んな種族の男がいる。
「横にいるやつが音波か何かの力なんだろうよ。拡声器替わりってのも不遇だけどな」
『その通りだ。ああ、君達の声もこちらに届くようにさせてある』
カイの言う通りだったらしい。あの男が、この集団のリーダーだろう。
「あなた達は、何者なの?」
『何者、ときたか。そうだな……裁きを下す者、とでも言っておこうか?』
「……ふざけないで」
『ふざけてなどいない。我々は、このエルリアという愚かな国に制裁を加えに来たのだからな』
エルリアが愚かな国……?
「どういう意味だ?」
『そうだな。君達は何も知らない……いや、考えてはいないだろう。それ自体が罪と知らずに』
「だから、何が言いてえんだよ!?」
芝居がかった言い回しがいちいち鼻についた。しびれを切らして浩輝が叫ぶ。
男はそれに対して、面白がっているような、蔑んでいるような笑いを返した。
『君達は、今の世界が、不公平だとは思わないか?』
「不公平、だって?」
『そうだ。人は生まれを選べない。それでありながら、生まれだけでその運命は大きく変わってしまう』
男の口調が、さらに詩人めいたものになる。
「貧しい家か、豊かな家か、って話か?」
『視点を狭めればそうだが、もう少し大きなレベルで構わない。例えば、先進国に生まれたとしよう。国民の生活は豊かで、子供は愛をもって育てられるだろう。街の中は安全で、何に怯えることもなく大手を振って出歩ける』
「………………」
『だが、もしも貧しい国であればどうだ? 人々は自らが生きるだけで精一杯で、子供を捨てる者すら珍しくはない。犯罪にも溢れ、常に警戒していなければ生き残れない。人里がUDBに襲われ、喰われるという事態すら平然と起こっている』
それは本当のことだと思う。ガルもそうだったみたいだけど、孤児だったり生活に困る人は少なくはないし、UDB関連の国際ニュースを調べれば、犠牲者が出た話は無数にあるだろう。だけど、こいつは何を言いたい?
『それに、そうだな。強大な軍事国家は? 力を持つ以上、外敵からの脅威は少なく、市民は恩恵に預かれるだろう。だが、健康な若者は徴兵され、望まぬ戦いに駆り出されるかもしれない。そのせいで命を落とすかもしれない。逆に、侵略された側ならばどうなる。突然、何者かの思惑により全てが焼かれ、人々は理不尽に逃げ惑うしかない。……おかしいとは思わないか。幸福な生まれ、不幸な生まれ。彼らの差はどこにある?』
「それが、何の関係があるってんだよ!」
『分からないか? エルリアという国は、まさに幸福の極地にある。人々は、獣にも戦乱にも怯えることなど無く、日々を本当に幸せそうに暮らしている。文字通り、この国は理想郷だ。争いから遠ざけられた、地上の楽園だ』
楽園……この国が? ここが平和な事はもちろん自覚している。けど、そんな風に考えたことなんて、今まで無かった。
『さて、君たちに聞きたい。君たちは、自分が暮らすこの国について、どれだけ知っている?』
「この国についてって……どういう意味でだ?」
『この国の裏に隠された真実、とでも言うべきか。この国がどれだけ特殊な場所なのか理解しているのか、と言う意味だ』
「特殊な場所?」
『そうだ。クク……やはり知らないのだろうな、君達は。そのように仕組まれているとは言え、滑稽なものだ』
男の口調の、見下したような響きが強くなる。そして、再び俺達に問いかけてくる。
『質問を変えようか。君達は、〈闇の門〉のことをどれくらい知っている?』
闇の門……?
それは俺たちにとって、常識に近い言葉だ。何せ、俺たちが生まれる数年前の出来事だから。父さん達からも、聞いたことがある。
「二十年前くらいに起こったUDBの大発生、だろ? さすがにオレだってそんぐらいは知ってる」
「付け加えとけば、それが鎮圧されるまでのUDB討伐戦線の総称だな」
浩輝とカイの返答に、男は満足げに『その通りだ』と言った。
『では、旧世紀の世界大戦以降、大量破壊兵器を廃棄した人類が、圧倒的な力を持つ怪物どもに勝てたのは何故だ?』
「一般常識テストでもしてんのかよ。戦乱を終結できたのは、〈英雄〉たちの力、だろ?」
『そうだ。戦いの最前線に立っていた、圧倒的な力を持つ戦士たち……彼等は、絶望に包まれていた人々の希望だった。その実力はもちろん、存在自体が人々を鼓舞し、人の軍が勢いをつけ、勝利する理由になったとされる』
英雄の話は、小さい頃からよく聞かされてきた。学校でも当たり前のように授業で習っている。
だけど、英雄たちに関する詳しい情報はほとんど残っていないんだ。英雄達は、自分達が英雄ではなく、普通の人として平凡に暮らす事を望み、自らの記録を抹消した……そう伝えられている。「情報がないから余計に神格化されている面もあるがな」と言うのは父さんの言葉だ。
「それがいったい何だって言うんだよ?」
俺は苛立ちを隠せなかった。人を小馬鹿にした奴の態度が、癪でしょうがなかった。
『分からないか?』
「もったいぶらずに答えろよ!」
『……いいだろう』
男の嘲笑混じりの問いかけに我慢出来ず、叫ぶ。男の声から、笑いが消える。
『簡潔に言おうか。このエルリアは、英雄達の作り上げた楽園なのだ』
「英雄達の、作り上げた……楽園?」
俺は、男の言った言葉をそのまま反芻してみる。その反応に、あいつは満足そうに嘲笑してきた。
『英雄の多くは、この国出身の友人同士だったそうだ。平和のために立志した彼らは、戦いが終結した後に、自らが生まれ育ったこの国に帰り、静かに生きることを決めた』
「この国に、英雄が……?」
『その通り。全員ではないがな』
自信なさげな蓮の言葉を肯定して。男はまた笑う。
『英雄の中には、元々高貴な身分にあった者がいた。その者は、共に戦った友人たちの願いを叶えるため、様々な手助けをしたそうだ。彼らについての情報操作や、この国への政治的支援などでな』
「………………」
『この援助によって、元から治安の良い国だったエルリアは、より国力を高めていった』
俺達は、食い入るように男の話を聞いた。自分達の知らなかった、この国の真実を。
英雄たちが戦ったのは平和のため。その戦果で地位を得る事もできただろうけど、それよりも……それまでと変わりない暮らしを、その人たちは望んだのか。
『それと同時に、この国に帰った英雄の一人は、大きな権限を受け取る事になった。彼は非常に賢い男でな。公には立たず、その豊富な知識を以て、この国の政治基盤をより強固なものに変えた。それこそ、楽園と呼べる程までに。そして、彼は今でもその権限と情報網を使い、この国を楽園として保っている』
「……そいつの力で、今の平和があるってのかよ。一人にそこまでの事が出来るってのか?」
『それが可能な知略を持つからこそ、権限を託されたとも言えるな』
信じられないような内容だ。だけど、もし本当なら……英雄達が、影ながら作り出した平和。命懸けの戦いで勝ち取ったもの。今この国に生きている俺達は、知らず知らずのうちにその恩恵を受けていたのか。
そんな事を考えていると、男の次の言葉が聞こえた。
『実に、くだらない。馬鹿げた話だと思わないか?』
「…………!?」
男の声は、明確に敵意を帯びていた。
『自分たちが作り出した偽りの平和の中で、世界の争いを無視して過ごしているだけの存在。それのどこが英雄だ? 能力を持っていながら使わないのは、ただの臆病者だ。完全な平和など決して訪れないからこそ、人には争いの中で自らの力を尽くす義務があるというのに、それを無視しているのだ。見下げ果てた連中ではないか?』
……こいつは……何を言っているんだ。
「それで……結局、お前達の目的は何だ?」
『ここまで聞いて分からないか? この国に住む者たち……そして、かつての英雄達に、思い知らせてやることだ。不当な幸福に浸り続けることなど、許されないと。世界は平等であるべきだとな』
ここに来て、ようやく理解した。こいつがなぜ、不平等について語ったのか。理解してしまった内容について、嘘だろとも思ったけど。
「まさか、そんなことのために? この国が平和で、幸せだから……その幸せを奪ってやろうって、そういうことなのか!?」
『そうだ。この闘技大会とやらは、国を挙げての行事、娯楽なのだろう? それが襲われたとなれば、嫌でもこのことは全国に広がるだろう。平和などいつでも崩れると言う事実と共にな』
つまり、男達がこの大会を襲った理由は、目立つため。そのためだけに、こんなことを。
『むしろ感謝してもらいたいほどだがな。間もなく、世界は混沌に呑まれる。それよりも前に楽園の夢から覚ましてやっているのだ、私は』
「混沌って、何の話だよ……!」
『クク、どうせ嫌でもいずれ知ることになる。エルリアもまた、その混沌から逃げられはしないのだからな』
あいつの言っていることは、やっぱり分からない。俺たちの知らない、何か大きなものを知っているのかもしれないけど……それ以上に、俺たちに分からないように言っているんだろう。無知に見える俺たちを馬鹿にするために。
『世界を救った英雄がいたから、というだけで幸福を享受していた愚かな民。本当ならば、今までの不当な幸福に釣り合いを取るには、まとめて裁いてしまうべきだろうが……私は寛大なのでな。事が済むまで我らに大人しく従うのならば、危害は加えないと約束しよう』
「会場のみんな、まとめて人質ってことかよ……俺たちを殺そうとしといて!」
『クク、人聞きの悪い。窮地に飛び込んだのは君たちの意志だろう? ……だが、そうだな。君たちの力は、単に監視するだけには捨てがたい。どうだ? 私に協力する気はないか?』
「なんだと……?」
何と言われたか理解するのに時間がかかり、理解してからは怒りが湧き上がってくる。協力だと? 当然、ふざけるな、と叫ぼうとした。だけど。
『一度協力してくれれば、君たちを無事に解放しよう』
『!』
解放。この状況から……その言葉に、俺の中にいろんなものが込み上げてきた。
もう戦うのは嫌だ。帰りたい、みんなと。一度……一度だけで、この恐怖から、苦しみから解放されるなら。
様々な誘惑が俺の頭をかすめる。俺だけじゃなく、みんなも揺らいでいるみたいだった。まるで、一度だけならとドラッグに誘惑されるみたいに。
だけど……。
「……他の」
呟いたのは、瑞輝さんだ。
「会場にいる、他の人は?」
『当然、解放するのは君たちだけだ。人質を全員解放する馬鹿はいないだろう?』
「……そう、か」
ああ。分かっていたけど、こいつは馬鹿だ。その返答のせいで……腹がくくれた。
「……みんな」
「分かってる。答えは一緒だぜ、オレも」
「だな。これじゃ、考えるまでもねえ」
「そうだな……おれもそう思う」
「代表をお願いしていい? お兄ちゃん」
全員の意志がひとつだという確信があるからこそ、俺は頷いた。そして……俺達が乗ると思っているらしい野郎に向かって、全力で叫んだ。
「お断りだ、このド外道が!!」
俺の宣言が会場に響く。遠すぎて男の表情ははっきり見えないけど、どんな顔をしているだろうか。それを考えると、少し気分が良くなった。
『ほう……何故だ?』
「分からねえのか? だったらあんたは、本当に馬鹿だな!」
さっきまでの仕返しに、嫌味ったらしく笑ってやる。
「オレ達があんたに協力して、本当に逃がしてくれる保証がどこにあるんだっての?」
「第一、その一回で取り返しのつかない事態になるだろうが。馬鹿にするんじゃねえぞ」
「みんなも解放する、と言われれば、もう少しは悩んだかもしれないけどな……おれ達は、お前の下らない考えに賛同する気はない」
「そうだ。弟を置いて逃げろなんて、取引として悩む価値もない!」
浩輝も、カイも、蓮も、瑞樹さんも。考えていることは俺と一緒。もちろん、瑠奈だって。
「エルリアのみんなが不幸になって、それからどうするんだ? それで何になるんだ? 馬鹿すぎんだろ、お前」
「今まで平和に暮らしていたみんなが苦しむようになって、それで満足? あなたの計画に、先ってものはないの?」
男は何も答えない。
「あなたの言葉は支離滅裂すぎる。この国を支配するため、とか言われたほうがまだ理解できるよ。ただ不幸にするだけ? それに何の意味があるの」
『……平等であることが、世界の在るべき姿だからだ』
「ふざけないでよ! だったら、どうして逆を考えなかったの? 良いものを悪くして悪い方に合わせる方が、確かに簡単だよ。だけどそれじゃ、いつまで経っても何も良くならないじゃない!!」
瑠奈が叫んだ。俺達はもう、抑える気はない。
「滑ってるんだよ、お前。小難しい話でごまかそうとしてるだけで、中身がなさすぎる。適当な理由なんざでっちあげてないで、正直に言えばどうだ? 単に他人を見下して優越感に浸りたかっただけですってよ!」
『………………』
言葉の端々から感じる。この野郎は、自分に酔っている。たぶん、こんなことができるだけの力を手に入れて、それを誇示したくなったってだけだ。中身なんて無くてもいいからこその、こんな無意味な理由だ。
「英雄達は戦いが嫌だった、って言ったね。当たり前だよ。傷つけることも、傷つけられることも、私は嫌」
この下らない計画のために死んだ三体のUDB。彼らだって、生きるために戦っただけだろう。その権利を奪ったのは俺たちだ。戦いは命の奪い合い……こんなものを広めるのが、正しいわけがない。
「私には、あなたが理解できない。協力なんて、できるはずがない」
瑠奈の言葉が終わる。俺たちの言いたいことは、みんなで全部言えただろう。少し経って、男が口を開く。
『そうか。それが君たちの選択か』
「ああ、今のはみんなの意見だ。捕虜にでも何でもしやがれ」
全員、腹はくくれている。こいつらに協力するぐらいなら、その方が遥かにマシだ。
『……君達を捕虜にはしない』
「え?」
『いい話を聞かせてもらったよ。礼をくれてやろう』
冷たい声で男が言い放ったかと思うと――途端に、嫌な感覚が俺の中を駆け巡った。
この感じ……間違えようがなかった。何故なら、ついさっき体験したものだったから。でも、これは。
「あ……」
後ろを振り返った瑠奈が、そんな声をもらした。
「これは……」
「……そんな」
みんなの声が絶望に染まっていく中、俺は周囲を見ることができなかった。見なきゃいけない。けど、見てしまえば今度こそ心が折れてしまいそうで……。
「………………」
さっきの数倍は酷い耳鳴りがする中。俺は意を決して、視線を向けて――
「何だよ、これ……」
――俺達は、大量の歪みに包囲されていた。