それは、とてもありきたりな時間で
「お父さんとお母さんは?」
「今日は早くから出掛けていたぞ。朝飯は俺が用意したが、もう食べるか?」
「うん、ありがと。あ、お味噌汁作ったの?」
「ああ。しかし、同じ材料を使っても、楓の味は再現できないものだな。あのバランスは、本当に見事なのだと思い知らされる」
「ほんとにね。うーん、でもいつかは娘としてレシピを再現したいなぁ」
昨日、学校が終わった後にみんなで出迎えに行って……この国に来たのは彼も入れて4人。飛鳥と、美久と、コニィだった。
ガルは当たり前に、うちに帰ってきた。彼が帰ってきただけで、静かに感じてたのが、半分は埋まった気がする。
お兄ちゃんは……さすがに帰ってこなかったけどね。だから、半分は足りない。
レンと私たちが仲直りしたことは、先にみんなには伝えてた。飛行機から降りてきたみんなも、レンとは思い思いに言葉を交わして……美久はちょっと強めだったけど、それも彼女らしい檄って感じだよね。
レンの側も、まだ完全に元の元気とは行かなくても、みんなに謝って普通に話せるようにはなってた。
でも。ガルにだけは、レンは何とも言えない顔をして、言葉を濁した。
『……少しだけ、時間をくれないか。ちゃんと話すって……約束するから』
言われた時、ガルの耳と尻尾は力なく垂れた。この人のことだから、自分がいろいろ悩ませてて力になれてないことは、辛いんだろう。
私も、分かってる。レンはガルに対して、特に色々と抱えているものがあるのぐらいは。多分、私も無関係じゃない事も。……それだけしか分からないのが、ちょっと情けないけど。
ガルは、分かってるんだろうか。レンの態度の意味を。『約束してくれたならば、俺は待つだけだ』なんて言ってた。
これについては、本人たちが話すって言ってるんだから……今は、見守るしかないんだろう。もちろん、何かあったら力になれるよう、見てはおかないとね。
とにかく、みんながエルリアに来て……だけど、それですぐに真面目な話を、ってことにはならなかった。
『煮詰まってるときは気分転換よ。ってわけで、明日一日は思いっきり遊びましょ!』
そんな美久の言葉から始まって、他の3人は、エルリアに来るのが始めてだから案内してくれ、なんて男の子たちに提案して。けっきょく、私たち以外のみんなは、今日は一緒に出かけることを決めた。
そして、私とガルは……せっかくだから二人きりで過ごしてこい、なんて言われちゃったのである。
気を遣われたかな、色んな意味で。レンとガルはまだ一緒にいない方が良さそうだし。もちろん単純に、恋人として一緒にいろって応援もされてるんだと思う。
私だって、ガルと二人きりの時間は、やっぱり嬉しい。テルムにいた時は、色々ありすぎてあまり二人でいられなかったし。
「食べて少しゆっくりしたら、出かけるとしようか」
「うん。どこか行きたいところはある? 本屋とか?」
「前はそうだったな……。だが、あの時の事は少し反省しているんだ。当時の関係は違ったにしろ、君を長々と付き合わせる買い物でもなかったからな」
「気にしなくていいのに。私はガルの好きな本とか知れて面白かったよ?」
そもそも、あの時は私が好きな買い物しろって言ったからね。あそこまで本の虫とは思ってなかったけど。
「そう言ってもらえれば、それも悪くないのかもしれないな。だが、今日は止めておこう」
「そう?」
「ああ。……久しぶりのデートだからな。今日はとにかく、君との時間を楽しみたい」
そんなことを言って微笑まれると、自分の顔が熱くなるのが分かった。いや、分かってるよ? もう私たちはそういう関係で、いい加減に慣れろって話なのは。でも……男の人として意識すると、ガルは……ものすごく、甘い。
見た目とか声はもちろん、細かい仕草も……なんというか、王子様って感じで。思い切り浴びると、溶けそうになるっていうか。
私のこんな気持ちを分かってるのか、ガルは笑ってる。
「特に、エルリアで二人と考えると、あの時のリベンジとも言えるからな。しっかりとエスコートさせてもらおう」
あの時。大会前日。……そう言えば私、あの時は散々にガルをからかってた気がするんだけど。ガル? リベンジって、そういう意味じゃない、よね?
……というか、そうだ。ここはエルリアだし、出かけるのも近所なわけで。
「……全然考えてなかったけど、く、クラスのみんなに見付かったりとかしたら……大丈夫なのかな……?」
「教師と生徒だから、か? ……俺としては別に構わないがな。むしろ見せ付けておこう」
「ガル!?」
「節度を保って付き合っているのだから、必要以上に隠すつもりもない。どうせ俺は特例の教師だ、少し型破りなのも悪くないだろう?」
いや、どこまで本気で言ってるのガル。そういうの一番気にする性格だったでしょあなた。さすがに思い切りが良くなりすぎ、っていうか。
「……もしかして、けっこう浮かれてる?」
「なんだ、君は浮かれてくれないのか?」
「いや、そうじゃないけど! ……もう、ガル! 分かってからかってるよね!?」
「ふ……。本心ではあるんだがな。いちいち反応が可愛い君が悪い」
「何その開き直り!? と言うか、当たり前にそういうこと言わないでよ馬鹿ぁ……!」
反応が、か、可愛いとか。そんなこと言われたら、なんか全部が気になってくるじゃない! 馬鹿馬鹿、ほんとに馬鹿オオカミ! 私がいろいろ慣れられないの、この人のせいでもあると思うんだけど!
「馬鹿にもなるさ。我ながら歯の浮くようなことをとも思うが……ずっと我慢していたのだから、少し溢れるのは許してほしい」
「少し……? そ……の、別に、嫌ってわけじゃ、ないんだけどさ……ああもう! あなたはもっと自分の魅力を自覚してよ! 全部素敵すぎて威力がものすごいんだからさ!」
「…………。君の言い草もなかなかだと思うがな……」
ものすごく尻尾揺らされた。勢いで言ったことの中身に思い当たって、私はテーブルに突っ伏すしかできないのでした。
けっきょく、特に予定は立てず、のんびり街を見て回るって話で落ち着いた。ガルも久しぶりのエルリアだし、その方がゆっくり懐かしめるだろう。
私は彼と一緒なら何だっていいし……とか思っちゃう辺り、もう我ながら重症だなぁ、なんて。
まずは適当にウインドウショッピング。1年近く経つと、知らないお店も増えてる。もちろん、知ってるお店でも新しい商品とかあるから、なんだかんだで目新しいものはいっぱい見つかるんだよね。
「あ、これ可愛い」
「ああ、確かに君に似合いそうだな」
いい感じのポーチを見付けた。ワンポイント、小さくオオカミと月の刺繍が入ってるのが、何だか運命的なものを感じる、なんてね。でも、ちょっとお値段は高めだなあ、どうしよ。……なんて、値札見て考えてたからか。
「ここは俺に買わせてもらえるか?」
「え? いやいや、そんなの悪いよ」
「君にプレゼントしたいと思ったんだ。駄目か?」
そう言って私を見てくるガルは、何だかおねだりしてるみたいで。尻尾をゆらりとさせながら、目を輝かせて。……あれ? 私が買ってもらう側だよね?
「……たまには、彼氏らしいことをさせてもらいたいな」
なんて、ちょっと耳を下げながら追加される。え、なにこれ、ずるくない? いや、私のために言ってくれてるんだけど。……待ってガル、その雨に打たれる仔犬みたいな雰囲気なに?
期待の視線が、じっと見てくる。待って。ちょっと待って。こんなの。
「じ、じゃあ……甘えちゃおうかな……?」
……断れない。私が得することなのに何をって言われそうだけど、断ったら確実に落ち込むのが分かるから断れない!
私の返答を聞いたガルは、実に楽しそうに尻尾を揺らしながらレジに向かった。
……可愛いポーチが手に入った嬉しさと、ガルからのプレゼントだって嬉しさは、もちろんあるんだけど。
お互いズブズブになっちゃう前に適度に断るスキルは身に付けよう。私は、ひっそりそう誓ったのでした。
私もガルにおごり返したり、ひととおり買い物を楽しんでから、近くの喫茶店でランチにする。
私の提案なんだけど、少し早めに行っても並ぶくらいに評判の良いお店だ。私も前に家族で来たことがある。
「このパンは素晴らしいな。バターの風味がしっかりあるが、くどくない。いくらでも食えそうだ」
「気に入ってくれてよかった。でさ、このスープにつけてもおいしいんだよ」
「ほう、試してみるか。……ああ、これはいいな。チーズの風味と相性が抜群だ。しっかり計算された味付けなのだろう。単品での完成度を高めながらバランスを保つのは、よほど研鑽を積んだのだろうな」
お互いに頼んだ料理を分け合ったりして、感想を言い合う。ガルの視点は、ちょっと料理人としてのものも混じってる。
ガルは、バストールでキッチンに立つようになってから、料理にかなり興味を持つようになった。こうやって味わいながら、自分のレシピに加えられないか考える癖がついたんだって。Red fangのメニューには、彼の案で増えたものもいくつかある。
「そう言えばガルって、これが一番好き! みたいな料理ってある? 前にも聞いたけど、けっこう経ったしさ」
前に聞いたのはエルリアにいた時だったけど、あの時の彼は、孤児だった時の記憶くらいしか残ってなかったせいか、まだ遠慮があったからか「何でも食うから気は使わなくて大丈夫だ」なんて答えてきた。
なので、改めて聞いてみた。それが分かれば、私も作ってあげられるだろうし。
「基本的にはあっさりしたものが好きだ。エルリアの料理は好みに合うものが多いと思う。だが、一番と言われると、そうだな……」
答えながら、ガルは表情をほころばせた。その理由も、すぐに分かった。
「……父さんのスープ、かな」
「あ……」
ウェアさんのスープ。お店の人気メニューでもあり、私たちにもよく作ってくれる。すり下ろした野菜とミルクがベースの、シンプルで……だけど、深くて優しい味わいのスープ。
私もレシピは教えてもらったことはあるけど、あの深みを上手く再現できなくて……やっぱり、本人に作ってもらったものが一番だった。
「うーん。それは勝てないかなあ、さすがに」
「それはお互い様だろうな。俺も、楓の味噌汁に勝てる気はしない」
たぶん、完璧に味を再現できたとしても。料理の好きって、きっと味以外にも形にできない理由があるんだって、私にもなんとなく分かる。
「……でも、いつかそこに並ぶものを作って、唸らせてみせるからね!」
「ふ……お互いに、な?」
これから、お互いに色々なものを積み重ねていって……いつか、彼の一番に並びたい。そんなことを、改めて思った。