来訪者は突然に
休止中の、ギルド赤牙の酒場。誰も客が入らず、俺たちも人数が減った今では、この空間も広く感じるから不思議なものだ。
「休みが続くと静かなもんだよな」
「そうだな。ほんの数日でも、普段の喧騒が懐かしくなる」
今は俺とアトラとフィーネで集まっている。フィオと美久は外出中、ウェアとジン、それから暁斗はまだ部屋にいる。
戦いから離れて、と言っても、ギルドに住み込んでいる俺たちの生活場所はここになる。イリアとコニィも、毎日一度は顔を出すしな。
この数日は、本当に何もせず過ごした。
日課の鍛錬は別として、本を読んだりして、ゆっくりと日々を過ごすのは久々だった。……焦りがないと言えば嘘にはなるのだが。だからこそ、ウェアの言葉を考えるには、静かな時間が必要になるだろう。
周りとも話をしてはいるが、ここに残ったメンバーは、おおよそ意見も固まっている様子だ。暁斗は少し気になるが、話していくしかないだろうな。
「アトラ、この数日は少しだらけすぎている。何か趣味でもして過ごすことを推奨」
「そうだなぁ、じゃメシ食ったらさっそくかわいい女の子でも探しいでででででで!!」
「もちろん、尻軽な遊び以外で。そういうことをするならば、もぐ」
「早いんだよ攻撃が!? てかもぐって何を、あっやっぱいいです答えなくても実践しなくても待って待ってマジでそこだけは勘弁して死んじゃう死んじゃう俺様が悪かったですぅ!!」
そんなやり取りを見て、溜め息が漏れる。だが、こういう馬鹿騒ぎができるのは、何だか懐かしく思えるし、それだけ彼らが普段通りなのだと安心する。これに安心を覚えるのもどうかと思うがな……。
そろそろ昼飯時だから、他のメンバーも降りてくるだろう。先に軽く準備しておくか……と思っていると、ギルドの入口が開いた。休止中ではあるが、鍵はかけていない。
「やぁ、失礼いたします。ここはお食事もできると聞いたのですが……」
入ってきたのは、狼の老人だった。
紺色のスーツを着こなし、老紳士、といったきちんとした身なりをしているが、かなりの高齢のようだ。腰は曲がり、杖をついてゆっくりと入ってくる。
とても穏やかで、優しそうな顔立ちをしている。毛の色は見事な純白と金髪。よく手入れされているのが分かる。いずれにせよ、初めて見る人だ。
「あなたは……食事処を探しているのですか?」
「えぇ、えぇ。旅行に来たのですが、知らない土地で食事に迷ってしまいましてね。ここが評判が良いと、噂を聞いたのです」
「なるほど。ただ、申し訳ない。今はギルドは休止期間で、店も閉めているのです」
「おや……そうなのですね。それは失礼いたしました」
申し訳無さそうな、それでいて困ったような顔。この高齢で土地勘もないとなると、食事を取るのにも苦労するだろうな。
「なあ、みんな。せっかくだし、何かこの爺ちゃんに作ってやろうぜ」
「そうだな、これも縁だ。ウェアも反対はしないだろう」
「おや……良いのですか? ご迷惑ではないでしょうか……」
「大丈夫だって! 俺らもちょうど昼メシだったし、そのついでと思ってさ!」
アトラは意外と……と言っては失礼だが、年配の相手には率先して優しい。シスターを思い出すのもあるのだろうか。無礼な相手はさすがに別勘定のようだがな。
実際、ウェアならば同じことを言うだろう。元々こちらは時間も余っているからな。
「そう言っていただけるならば……申し訳ありませんが、お言葉に甘えさせていただきます」
「気にしないでくれよな! さ、ちょいと座って待っててくれよな!」
「おや、優しいお兄さんだ。本当に、すみませんねぇ……」
…………?
「フィーネ、準備……は俺様たちですっから、マスター呼んできてくれっか?」
「了解した。だけど、その前に、あなたにひとつ聞かせてほしい」
「何でしょうか、お嬢さん?」
「あなたは何故、衰えているフリをしている?」
『………………』
それは、あまりにも純粋な疑問だった。
老紳士は小首をかしげ、代わりにアトラが少し慌てた様子を見せる。
「お、おい、フィーネ? なにをいきなり……」
「この人、とても良く鍛えられている。重心もしっかりしているし、杖がなくても歩けるはず」
「は……? いやいや、何言ってんだって。てか、失礼だろ!」
「……なぜ、そのような? 何か、おかしなことをしてしまったでしょうか」
「悪く思っているわけではない。ただ、理由がなければそのようには振る舞わないはず。単純に気になる」
老人はきょとんとした顔をしているが……フィーネは、己の言葉に確信を持っているようだ。結果、アトラだけが余計に慌てていく。
「あのなあ、フィーネ……ガルも何とか言ってくれよ!」
「…………いや」
俺は、フィーネの言葉に慌てはしなかった。それは……俺も同じことを、思っていたからだ。細かい所作までは、ごまかしきれていない。椅子に座る時の身体運びにも無駄がなかった。フィーネは、思い付きでこんなことを言い出すタイプではないしな。
改めて見ると、確かに加齢はあるが、身体はしなやかで、筋肉も無駄がない。少なくとも、普通の老人とは体つきがまるで異なった。これだけ鍛えられていれば、負傷でもなければ杖はいらないだろう。
……老紳士はしばらく何も答えずにいた。
が、やがて、堪えきれなくなったかのように、声を漏らし始める。
「……ふ。くくっ。ははははっ!」
実に愉快そうに笑ってから……老人は立ち上がり、真っ直ぐに腰を伸ばした。実に健康的な姿勢である。
「まさか気付かれるとはな。私の演技力もまだまだ、ということか」
「……え。えぇ……!?」
穏やかさはなりを潜め、どこか威厳に満ちた口調に。ただ、不思議なことに、その笑みに優しさや慈しみ、見守るような色を感じるのは変わらなかった。
「良い目をしているな、君は。これでもそれなりに練習はしたのだが」
「武術は不得手だけど、観察は得意。ヒトを眺めるのが趣味だから」
「なるほど。そちらの彼も気付いていたようだな?」
「……指摘するのも無礼かと思いましたが、そうですね」
「お、驚いてんの俺だけかよ……!?」
別に、気付かなかったアトラが悪いわけではない。俺には、どこかで他者の細かい仕草を観察してしまう癖がある。過去の境遇から染み付いたものではあるが、こんな見方を常日頃からしている方が特異だろう。
何を目的に、と警戒はしていたが……悪いものは、何となく感じない。
「て……てか、じゃあ、何者だよ爺さんは?」
「いや、なに、済まないな。趣味が悪いのは承知だが、まずは君たちの人柄を知りたかったのだ。名乗ってからだと、先入観も出てしまうだろうから、許してほしい」
「……どういうことでしょう。あなたは、このギルドに用があって来たと?」
「うむ。依頼ではないが……説明はちゃんとしよう。ただ、あいつが来てからの方がいいだろう」
やや勿体つけた言い方だが、あいつとは……。
それに、なんだ。今さらだがこの老人、どこかで見たような気がする。さすがに今回は、本当の初対面だとは思うのだが、何故……。そう、考えていたとき。
「随分と騒がしいが……何かあったのか? お前、た……ち…………」
2階から降りてきて、来客の姿を見たウェアは――完全に、固まった。
手に持っていた書類が辺りに散らばっていく。だが、本人は見事にフリーズしたまま、口だけをぱくぱくとさせている。
「ウェア……?」
「……ち、ちっ……ちっ、ちっ、ちっ……」
「……おい、大変だぜガル。マスターが時計になっちまった」
アトラの微妙な軽口も、状況が変わり続けることへの困惑からだろう。
ウェアは、心の底から信じられないという様子で老人に釘付けだ。知人ということか? ――奇妙なことだが、その反応で危険はない裏付けにもなった。もしも危険な知り合いなら、こんな間抜けな固まり方はしないだろうから。
そうこうしているうちに、他の足音が後ろから。ジンと暁斗も降りてきたか。
「……おや」
「どうしたんですか、マスター。そんなとこ、で………………は?」
そして、ジンはどこか面白そうな顔をして……暁斗は、ウェア同様に固まった。目を思い切り見開いて、顎を落としている。ウェアとジンだけでなく、暁斗も……ということは。
ただ、彼はウェアよりは復活が早かった。慌てながら降りてきた暁斗は、自分の身間違えかと思ったのか三度見してから、ようやく事実だと受け止めたらしい。
「あ、え、ちょ、なっ……は!? 爺ちゃん!?」
爺ちゃん。その言葉は、いくつかの意味を指すことがあるが。俺たちは、一斉に老人を見て、暁斗を見て、続けてウェアを見た。ついでに、アトラは俺も見た。
しばらく時計になっていた赤狼は、続けてぶるぶると震えだしたかと思うと――
「ちちうえぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!?」
――そんな悲鳴に似た叫びが、ギルドの中に響き渡った。
「改めて、ルーフ・アクティアスだ。試すような真似をして済まなかったな、諸君」
そう名乗った老人は、ウェアの隣に座っている……なるほど、並ぶとかなり似ているな。なぜ気付かなかったのかと思うほどだ。とは言え、種族と毛の色が一致するぐらいならばよくあるので、知ったからこその感想でもある。
……既視感の理由はそれだけではない気もするが。それは後だな。
「いくらなんでも、突然すぎる……!」
「事前に言ったら止めていただろう、お前は」
「当たり前だろう!? 自分の立場を考え、て…………ゴホン……」
……露骨にごまかしたな。どう見ても、普段の落ち着きを失っている。
「立場を考えて、か。それは本来、私の息子であり英雄でもあるお前にも言えるはずだがな?」
「……うぐぅ。そ、それは……」
「ちなみにジンには事前に教えておいたぞ」
「おい!? なんで黙って、の前になんで止めないんだ!」
「ここまで面白い話を止めるはずが、おっと間違えました、私にルーフ様を止める権限などありませんからねえ」
「本音を隠す意思ぐらい見せてくれないか!?」
しかし、しれっと様付けをしているな。この前から、ジンはあまり隠す気がないようにも思える。……テルムでの一幕もあり、今さらということかもしれないが。