英雄の条件
「……私とて、理解はしているさ。元より、UDBとヒトの壁は分厚い。この少年の姿があって、それでも一つの街に受け入れられるのに数年を費やしたのだからな。だが……いざ拒絶されてみると、思っていたよりも辛いものだった」
この姿であれば、多少の酔いは感じると言っていた。俺はいったん挟む言葉を少なめに、彼が胸の内を吐露するのに任せる。
「元々、私はこの姿があってもなお、ヒトに本当に交わるのは極めて困難だと思っていた。だからこそ、最初にこの国で拒絶された時は、そこまでの苦しみは無かったのだ。……その後、お主のようなお人好しに受け入れられた事の方が、想定外であったからな」
彼は最初……姿は変えつつも、UDBであることを隠さずにヒトへの接触を試みた。最初から偽りでは共存など夢のまた夢だと思った、と後で語っていたがな。
結果、街外れに現れた彼に対して、ギルドは厳戒態勢を設けることになった。そうして、俺が彼との会話を請け負ったのだが……彼に悪意がないことは、すぐに理解できた。そもそも、害意を持っていたならば、強者である彼はそんなまどろっこしい事をする必要などなかった。
打ち解けるまでに、さほど時間はかからなかった。そんな彼の夢を、叶えてやりたいと思えた。だから俺は、周囲を説得して、彼の身柄を受け持った。
無論、今なら簡単に言えるが、事はそう上手くは運ばなかった。正直に言えば、俺自身にも悪評が出たほどだ。ユナ婆やランドなど理解のある人との繋がり、それまでに得られていた信頼を駆使してかけずり回った。何とか街に入るのを認めさせるだけでも、相当の時間がかかったからな。
だが、そこまでするだけの価値があると思ったんだ。かつて闇の門で多くのUDBと戦った身だからこそ……もしもいつか俺たちが共存できるなら。その夢は、俺にもとても輝かしく見えたから。
もちろん、最終的な信頼を勝ち取っていけたのは、彼自身の努力によるものだ。そうして今では、フィオはバストールで当たり前に人と交わって生きている。
だからこそ、か。UDBであることを周囲に明かしたのは、バストールの中だけだった。外で明かすのならば、初めての時とさほど変わらない。そのリスク自体は理解していて……それでも。
「……こうも、哀しいもの、なのだな。希望を持った上で、それが破れるというのは。はは……何百年かかっても良いと、思っていたはずなのに」
物事は表裏一体……と、かつてジンが言っていたな。希望が大きければこそ、破れた絶望はより深まる。逆も然りだが。共に生きられる相手がいることを知ったからこそ、己の存在を拒絶され、利用され、あまつさえそれが周囲を巻き込んだことが辛いのだと。
「私は、二百年近く知らなかったよ。他者と関わることの喜びも、痛みも。誰とも交わらずに生き続けていれば、ずっと知らずに済んだのだろうがな」
「後悔、しているか? ヒトと関わったことを」
「いいや。前にも言ったが、後悔はしていないさ。だが、少しだけ……疲れてはいるかもしれん。夢がまだ果てしなく遠いことを、改めて思い知ったからな」
彼の夢の到達点は、UDBもヒトと共に生きられる世界。それに対して、今はまだ彼とノックスがこの街で暮らせるようになった、という段階だ。無論、それでも十分に凄まじい成果だが、先の果てしなさは間違いない。
さらに言えば、UDBの側だって課題は山のようにあるはずだ。知恵あるUDB、と限定しても、人間と共に生きるなど、普通は考えるはずもない。その夢を本当に叶えるならば、双方に変化が必要なのだ。
「……ふ。最初の一歩だと理解しておきながら、本当に情けない泣き言だ。私の生すべてを使っても叶わぬような、見果てぬ夢だというのに。たかだか10年で、このような……いや……」
こうして言葉にすることは、自らの感情を整理するのにも繋がっているのだろう。言葉を途中で止めると、彼は深く息を吐き出した。
「違うな……。私は、未来だけではなく、今が……お主たちと当たり前に生きられる日々が、欲しくなったのだ。だからこそ、焦りがある。遥か未来では、お主たちはいないからな」
「……フィアラディオ」
「今の日常は、私にとってかけがえのないものだ。だが、それ以上が欲しくなった。……皆と共にどこへ行こうと、咎められぬ世界が欲しい。姿を偽らずとも、隠れ潜まずとも。お主たちと何の気兼ねもなく、様々なものを見てみたいのだ……」
「………………」
「……ただでさえ途方もない目的を持ちながら、新たなる欲が芽生えていく。私は、実に強欲だな」
その言葉には、首を横に振る。
「その欲は、俺たちを思ってくれているからだろう? ならば、そこまで真剣に考えてくれて、俺は嬉しい。……そもそも、欲深いことは、決して恥じるべきものじゃないだろうよ。欲があるからこそ、俺たちはそれを目指して進めるものだ」
「……お主でもそうなのか? 他者のために尽くしてきた、お主でも」
「買い被りすぎだ。俺はいつだって、自分の欲しいものを目指してきた傲慢な男だ。このギルドを興したのだって、俺の個人的な目的のためだったからな」
ガルフレアともう一度逢いたい。それが、俺の行動理念であり、生きる意味だった。そのために……本来の責務すら弟に預けた。そのくせ、集まってきた皆のことも、同じように理由にした。俺の傲慢さも、身勝手さも、よく自覚している。
「闇の門で戦ったのだってそうだ。俺はただ、自分の世界を壊すものが許せなかっただけだ。みんなと暮らす静かな時間を守りたい。平穏な未来を過ごしたい。俺はそういう、どこまでも自分本意な男だぞ?」
そして、今もまた。この日常を……俺と俺の大切なみんなの過ごす世界を壊す連中が、許せない。英雄と呼ばれたあの時も、世界のためだ、などと考えてはいなかったんだ。目の前にあるものを守るために、結果として世界が関わってしまっただけだ。
フィアラディオは、ゆっくりと、喉の奥から笑い声をこぼした。
「ふっ……ふふ。そうか、そういうものか。英雄とはある意味……誰よりも傲慢な者に与えられる称号なのかもしれんな? ここまでを救っておいてなお、自分本意だ、などと!」
その物言いこそが傲慢だろうに。そう言われてしまうと、俺も苦笑するしかなかった。そうなのかもな……自分のことだからと一人で突っ走ってしまうのは、我儘と呼ばずにどうするのか。クリアに言われた言葉を、思い出す。
「だが、そうか……そうだな。もしかしたら、より貪欲になることこそが、私に必要なのかもしれぬな。共に生きる世界を知ったからこそ、この欲求が生まれるのならば……それを全て叶えてこそ、なのだろう」
「ああ、その意気だ。もちろん、俺も協力する。忘れるなよ? 共に夢を目指そうと言ったのは、本気だったんだからな?」
「まったく、お主は……変わらんな」
ゆったりと笑ってから、フィアラディオはカクテルを飲み干す。入ってきた時と比べて、幾分すっきりとした表情だ。
「……すまないな、ウェアルド。今宵の弱音は、酒のせい、ということにしておいてくれ。……僕も、僕なりにやっていくさ。君はとりあえず、本当の息子のことでも気にしてあげた方がいいんじゃない?」
「……気付いていたのか」
「ふふん。僕は耳がいいっていつも言っているはずだけどね? と言うか似てるし、二人とも。君が思っている以上に、割とバレバレだと思うよ」
「……そうかもな。それでも、敢えて踏み込まない距離が安心できることもあるのさ。いつまでも隠し通すつもりもないがな」
「そっか。じゃあいいよ。ちゃんと聞かせてくれる時を待つとするさ。彼とのことも、マスター自身が抱えた事情のこともね」
「……フィオ」
「忘れちゃ駄目だよ、マスター。君が誰かの夢に寄り添うのと同じくらい、みんなも君に寄り添いたいんだってこと」
「……ああ。そうだな、俺は忘れないとも。お前たちがいてくれるからこそ、俺は戦えるんだ」
俺は戦う。たとえ、ギルドに残るのが俺一人になったとしても。
だが、本当の意味で一人になることはないと知っている。俺は、多くの者に支えられてここに立っている。みんなが、俺の理由になってくれる。
今でもたまに間違えそうになる、情けない俺だが……忘れはしない。
……そうだ。もう君に逢えなくても……君は俺を、支えてくれている。それで十分だ、などとは言えないが……それでも、俺は歩いていこう。これからも……君のくれた、理由と共に。君と残した、俺たちの未来と共に。
――この時の俺は、当然知るよしもない。
俺という存在の真実を皆に知らしめる瞬間。それが、足元まで近付いていたことに。
それも……予想だにしない事態と共に。




