それでも、前へと 2
「アっちゃん。兄ちゃんはどう?」
「眠ったよ。……お前、そんなに動いて大丈夫なのか?」
「身体の調子はだいたい戻ったし、寝てばかりもいられないよ。明日には、軍に戻るつもり」
「無理、してねえよな?」
「大丈夫。いろいろ悲しいし、苦しいけど……それでも今は、やれることをやりたいって思うんだ。今度はちゃんと……自分でそうしたいって、考えてる」
「………………」
「アっちゃん達やウィンダリアの人たちのおかげで、色々と助かっているけど……この国は、僕たちのものだからさ。僕たちがちゃんと立って、前に進んでいかないとね」
「……そうか。けど、頑張りすぎるなよ? 何かあった時に頼るのはしていいんだ。そもそも俺にとっても、ここは故郷なんだからさ」
「うん、ありがと。分かってるよ。頼り切りにはしたくない、ってことさ」
そうだな……。この前のこともあるし、不安がないっつったら嘘だけど。心配するのと、過保護になるのも違うよな。アッシュやオリバーだっているんだから。
「アっちゃん達は、いつ頃までテルムにいるの?」
「そうだな。色んなことがある程度落ち着いて……それから、あいつが目を覚ますまで、はいるはずだよ」
「……そっか。僕も、お見舞いに行かないとね」
赤牙だって、何もかもが大丈夫だったわけじゃない。なんで、あんな無茶な……いや。あいつの悩み方と性格を考えたら、ほんとは予想できたのかもしれない。指示をしたマスターも、今回はかなり堪えていそうだった。
……後から考えるほど上手くはやれない、ってさっき言ったばかりだったな。今は、あいつが目を覚ました後にどうするかを考えよう。
そうしていると、ゴーシュのところに行っていたシスターが帰ってきた。
「お帰りなさい、シスター」
「ええ。みんな、良い子にしていましたか?」
「はーい! 約束守ってお手伝いしたよ!」
シスターは、チビたちの前では弱音は見せない。ほんとのことも、こいつらには教えてない。まだ、それを理解させるには早すぎるから。
みんなが大変になって、この人は本当に傷付いていたけど……だけど、守るべき子供たちがまだいるから、そう言っていつも通りにしている。
地下で俺が言った言葉のおかげだって、微笑んで。強がりだって分かる。でも、強がりが大事なこともあるって、俺は知ってる。
……みんな、それぞれの形で……前に行こうと、してるんだな。
じゃあ、俺だって俺のやるべきことをやらないといけねえ。後ろ髪引かれてドジを踏むなんて、情けないことはできねえよな。
「よし。そんじゃ、今日はそろそろみんなのとこに戻るぜ。シスター、またゆっくり話に来るよ」
「分かりました。忙しい中でいつも来てくれてありがとう、アトラ」
「礼を言うことじゃねえだろ? だって……ここは、俺の家なんだからさ」
「…………。ええ。そうでしたね」
俺は赤牙って居場所を見付けた。ここには、複雑な思いだってある。それでも……俺が育った場所であることに、違いはねえ。だから、もう意地は張らない。
「ま、バストールに帰ったってたまには連絡するさ。落ち着いたら遊びにだって来る。……だから、俺様がいなくても寂しがるなよな!」
「……ええ! いつでも帰ってきてください。あなたはいくつになっても、私の大事な子供なのですから」
「今度は僕たちも必ず恩返しするから、困った時には頼ってよ! 君は僕の大事な親友で、弟なんだからさ!」
「ははっ……何言ってんだ。お前が俺様の兄ちゃんはちょっと無理あるぜ!」
「ちょっとアっちゃん、それどういう意味さ!」
賑やかな笑いに包まれながら、誓う。……もう、俺はこの風景を壊さない。壊させない。そのために……俺はまだ、戦う。そして、必ず帰ってくるんだ!
「………………」
そして、その光景を遠巻きに見守る影が、3つ。
「良いんだな、二人とも。……今ならばまだ、降りることも認めよう。ここより先に進めば、もう戻れないと思え」
「……分かっています。ですが、俺はもう、あなた達と同じ理想を追うと決めているのです。立ち止まって生きることは、もうできません」
「ボクもですよ。ま、ベルのためにって言っても、全く何も考えてないわけじゃないですし? 今さらそれは野暮ってやつでしょ」
二人はそう答えながら、孤児院を、そこにいる面々をじっと見ている。自らの目に、それを焼き付けるように。
それこそが理想への推進力になると、フェリオは思っている。始まりの光景を強く認識することこそが、と。
「……あなたこそ良いのですか、黒影様。俺たちはかつて、アトラを……あなたの弟を追いやり、死なせるところだったのです」
「知っている。だが、お前はそれを悔いて、共に戦うことを選んだ。あいつのような事が、もう起こらないような世界のために」
「……矛盾は、承知の上です。本当は、俺だって裁かれねばならない、悪のひとつだ。本当は、自害でもしなければならないのでしょう」
「元より、おれ達の存在は矛盾を孕んでいる。……それでも、どうしたって許せないものがある。だから、矛盾していようと都合が良かろうと、おれ達は戦い続けるんだ」
「………………」
「お前の中に、その心がある限り……お前はおれの同志だ、ベルナー」
「……承知しました。全ては……理想の世界のために」
「ボクだって頑張ります。シスター達が静かに暮らせる世界にしたい……それは、ボクの本心ですからね?」
「分かっている。……共に行こう、二人とも。この世界から、平和を脅かすものを消し去るその日まで」
影はまた、闇に溶けていく。
「ウィンダリアの協力のおかげで、この国は滅びを免れた。改めて、ルドルフ王と貴方たちの力添えに、心よりの感謝を」
リカルドは、いつもの飄々とした振る舞いを全て消して、深々と頭を下げた。その先にいる相手は、深く息を吐き出す。
「そう畏まらないでくれ、リカルド。いま、ここにいるのはただのヴァンだからね。かつて世話になった礼を返した、と思ってほしい」
「そう言ってもらえると助かるよ。だが、君たちに心から感謝しているのは事実だからね」
柄にもなく、静かな言葉でそう伝えて。だが、すぐにリカルドは、いつものようににかりと笑った。……本当に、偽るのが上手いやつだ。ならば、野暮なことは言わずにおこう。
ヴァン……弟とこうして顔を合わせるのは、俺も久しぶりだった。
体毛の色は暁斗に瓜二つで、彼がそのまま大人になったこうなるだろうと思える。髪は少し長く、後ろを肩にかかる程度に伸ばしている。
何年か見ないうちに、より貫禄がついたようにも思える。昔は俺よりも華奢だったのに、今は鍛えられて逞しい。
腰に携えているのは、かつて俺の天空と共に打たれた、兄弟のような刀。最後に試合をした時は、俺の勝ちではあったがほぼ互角だった。……PSのことを考えれば、もはや彼の方が強いのかもしれないな。兄としては、嬉しさも悔しさもあるが。
「しかしまあ、改めてだが。なんとも派手な登場をしてくれたではないか!」
「あれが完成していたのは、俺も知らなかったな。開発の話は聞いていたが……」
「間に合うかどうかは賭けだったけどね。何しろ、未知の技術が山積みだし……実を言えば、まだ内部の機能は完全には出来上がっていないんだ。先生に無理を言って、飛行だけは確実にしてもらったけれど」
「そんな状態で飛ばしたのか? お前も本当に、無茶をするというか……はったりも上手くなったものだな」
「一度きりのはったりさ。だから、名前すらまだついていない。だけど、先生たちは想定以上の仕事をしてくれているよ。近いうちに、俺たちの大きな力になってくれると思う」
ウィンダリアの国家機密。天翔ける船。飛行機とは根本的に違う――言わば飛行戦艦。本来は有り得ない技術によって生み出されたもの。出所を知ってもなお、目の当たりにすればさすがに驚いた。
そこまで話して、弟は少しだけ視線を落とした。
「でも、あと少し早ければ、犠牲も減らせたかもしれない。そう思うと……」
「誰だって、ベストにばかりは動けぬよ。君たちは確かにこの国を、多くの民を救ってくれたのだ」
「もちろん、分かっているさ。けれど、俺は……取りこぼしたものを、そのままに諦めたくはないから」
「君は変わっていないね、ヴァン君。そんな優しい君だからこそ、そこまでの器に育ったのだろうさ。だが、君はまず、守ったものを誇ってくれたまえ」
「……ありがとう、リカルド。ああ、心配しなくても、守れたものがあるのは分かっている。ただ、守れなかったものもちゃんと刻んでおきたい、それだけだよ」
砦での戦いは、やはり犠牲なしとは行かなかった。
……ロウの事も。もしも俺がいれば、あの時に違う判断をしていれば……そんな後悔は、幾度となく湧き上がってくる。
だが、俺たちは未来へと進むしかないんだ。彼に託された道を、切り拓いていく。それが、残された俺たちにできることなのだろう。
マックスとも話した。彼もまた、決意を新たに、ギルドの活動を盤石にするための動きをデナム将軍と連携しているようだ。まだ、終わりではない。平和を勝ち取るための戦いは続く。大きなものを失っても……だからこそ、力を合わせて前に。彼らはきっと、もう大丈夫だ。
……もちろん、命が残ったならばそれで良い、という話でもない。前に進めなくなった者は……どうするべき、なのだろうな。
「俺はそろそろ、本国に戻らないといけない。人員は引き続き残すから、落ち着くまでは君の判断で動かしてくれ、リカルド」
「重ね重ね、感謝するよ。君の立場がありながら、ここまで付き合ってくれたことにもね」
「立場で人が救えないなら、立場ごと変わってみせるさ。……だろう、兄上?」
「……そうだな」
覚えている。かつて俺が言った……俺たちが、ウェアルドとヴァンになった時の、ある意味はじまりの言葉だ。今にして思うと若気の至りも含まれているが……その結果として守れたものは、確かにある。
「ヴァン。こちらから札を切った以上……敵も動きを見せるだろう。十分に注意をしろよ」
「ああ。暁斗のことも、もう少しだけ頼むよ。今回は、あまりゆっくり話せなかったから……だけど、また近いうちに、顔を合わせることになるだろう」
近いうちに……か。そうだな。恐らくそうなるだろう。
今回の一件で、事態が1段階進んだことを思い知らされた。手をこまねいている場合ではない。バストールに戻ったら、ウィンダリアと……そして、他の国との連携についても、具体的に動かしていかなければ。
……後は、彼らの心が、どうなるか……だな。