愚者への審判
ベルナーとミントは、逃げ去った聖女を追い、遺跡を駆けていた。
ベルナーの足取りに迷いはなく、正確にアミィの位置を捉えている。彼の能力は、何かと何かを紐付け、絡め取る力。いま、アミィには彼が放った不可視の糸が結ばれており、ベルナーにはその位置がはっきりと把握できる。
「どのくらい距離ある?」
「10分とかからないだろう。しかし……俺たちの転移も精度が下がるのは欠点だな」
「ま、試作型だしこんなもんでしょ。持ち運びの方法も含めてこれからに期待って感じ?」
あの時にニールが開発していた転移阻害機は、いくつかのパターンで作成、テスト運用をされていた。二人は戦いに合流する直前、この遺跡に試作型の装置を設置、発動させた。
今回の試作装置は、一定の範囲を覆う『壁』のような空間を生み出す。壁の内側での転移は可能だが、壁を越えるように跳ぶことはできない。それが、遺跡の外周を覆い尽くしていた。
ゆえに、もしも遺跡の外まで歩いて出られたら逃がしてしまう。そうなる前に、仕留める必要があった。余裕は十分にあったが、急ぐに越したことはない。
「……アミィは、どこかで止めることができたんだろうか」
「考えてもキリないよ、そんなこと。あいつは自分の意思でああなった。そんなもん、ベルが抱えたってしょうがないじゃん?」
「……そうだな。分かってはいるさ」
「ま、それを悩んじゃう可愛いベルがボクは好きなんだけど。でも、あいつはともかく……ゴーシュは本当に良かったのかい?」
その言葉には、ベルナーは溜め息を返した。
特別に仲が良かったということもないが、共に育った弟だ。後に退けなくなった理由に、自分が死を偽装したことも含まれているのだろう。情も、罪悪感もある。シスターが嘆くだろうことも胸が苦しい。それでも。
「あいつも……あいつ自身の意思で、多くの人を危険に晒した。その実態が見えた後でも、目を逸らし、最後まで加担した。……情を排せば……あいつも他の信者と、大差はない」
短絡と盲目、そして恋心。それに踊らされ、ギルドを追放までしたのは事実なのだ。軍の同僚も、多くが死んだ。そんな敵にゴーシュは、間違いなく加わっていた。ならば、彼だけに酌量を求める理由は、身内だったという個人的な感情だけしかない。
だから、フェリオにゴーシュが裁かれることは、今までにしてきた事と何も違いはない。そう、己に言い聞かせた。――心のどこか、ギルドがフェリオを止めるという可能性への思考も捨てきれはしなかったが。
「お前こそ……どうなんだ、ミント?」
「ふふ。それ聞いちゃうわけ? ま、ボクもゴーシュの事は嫌いじゃなかったけど……」
一方のミントは、いつもと変わらない様子で笑って、言葉を続ける。
「ボクにとって特別なのはシスターとベルだけだからさ。言ったでしょ? キミが決めたことに全力で味方する、それをボクは決めているってさ。あははっ、そう考えたらボク、ゴーシュと同類なのかもね」
「……ミント」
「そんな顔しないでよ、ベル。キミはアミィと違うでしょ? だったら、突っ走るとしようよ。キミが変えたいと思った世界に向かって」
「…………。ああ、そうだな。俺たちはもう……止まれないんだ。……あの日の愚かな俺を、許さないためにもな」
二人は、走る。世界の平和を脅かした、愚かな聖女の下へと。それは、青年の心に残る未練の糸を、真に断ち切るための歩みだった。
――だが、その時。遺跡を揺らす爆音が、二人の下にも届き――。
「う、うぅ……痛……あの、悪魔……よくも、よくも、私を……!」
アミィは遺跡の中、殴られた痛みに動けずもがいていた。
アトラの拳をまともに受けた彼女の顔は、ひどい有り様だった。歯が折れて、鼻からは血が垂れている。
他者を戦わせることに優れていても、彼女の戦闘能力は皆無だ。選ばれた自分は最も安全であるべきだ、戦いのような危険に身を晒してはいけないと、本気で思っている。
(でも……どうして、まだ、遺跡の中に? 私は、外に出ようとしたはず……)
再び転移を試みるが、今度は何も反応がない。まさか壊れてしまったのかと血の気が引くが、すぐに思考を切り替える。
遺跡の上層にまで戻ってきたのは分かっている。ならば、街に出れば信者も補給できるだろうと考えた。都合の良いように意識を持っていくことについて、彼女は確かに才能を持っていた。結果、その自信が求心力にもなっていたのだろう。
そんな少女の思考を再び止めたのは。
目の前に、無惨に焼け焦げた獣人が転移してきたからだ。
「…………!?」
さすがに息を呑んだアミィだったが、死体と思ったそれは動いた。顔を上げたことで、それが何者であるかにも彼女は気付く。
「まさか、狂犬……? その傷は……」
「……あ、あのっ……老いぼれ、が……ごはっ!」
コヨーテは血を吐いた。炎に焼かれただけでなく、爆発の衝撃に深刻な損傷を負っている。
衣服は原型を留めぬほど、毛も肉もほとんどが炭化し、吹き飛んだ箇所からは激しく出血もしている。普通のヒトならば間違いなく死んでいるだろう。動いているだけで異常な、致命的な傷――しかし、それも少しずつ、再生している。
それでも、苦痛に弱っているのは間違いない。口から血をこぼしながらも、彼は目に映ったアミィの元へと近寄っていく。
「……再生が、追い付かん……血肉が、足りん」
「な、何を……」
「この際、贅沢は、言わん。……貴様で、我慢しよう」
牙を剥き出しにした、獣の姿。いま、彼を突き動かしている欲求が何なのか、少女も理解できてしまった。
後ずさる。追い詰めるように、獣が起き上がり、一歩ずつ近付いてくる。
「ま、待ちなさい! 私は、あなたの味方なのよ!? それを……」
「味方、か。……知らん、言葉だな。貴様の、手駒も、味方ではないと、言っていただろう?」
「な……そんなこと、許されないわ! わ、私は……聖女なのよ!? 私はこの世界を導く、選ばれた、存在なの! それを……あなたなんかに!」
「……ああ。力もないくせに、他者を当たり前に、支配できると、考えている……そういう、愚か者は、掃いて捨てるほど、見てきたな?」
「やめなさい! だ、誰か……私を助けなさい! 誰か! 来なさい! 来て!」
「喚くな。……教えてやろう、ガキが」
「い……いや、やめて! 助けて!! ゴーシュッ!!」
血を拭いながら、リュートはアミィの言葉など一切を意に介さず、言った。
「選ばれていようとなんだろうと。俺の前では等しく、ただの肉だ」
怪物の手が肩を掴んだ瞬間。骨の砕ける感触に、聖女という名には似つかわしくない濁った悲鳴が、部屋を満たした。
――しばらく後。
「はぁ……はぁ……くそ。ガキ一人では、足りん……」
骨すら残さぬほどに喰らい尽くしてから、狂犬は忌々しげに吐き捨てる。信じがたいことに、すでに表面的な傷は大部分が塞がり、焦げた毛並みすら色が戻りかけている。しかし、ダメージが大きすぎて、内側までは治りきっていないし、体力の消耗は補えない。
苦痛に喘ぎながら、リュートは歯ぎしりした。ここは、退くのが得策だろう。慢心した己の失敗だ。そう理解してはいるが、それ以上に屈辱への怒りが上回った。
このままにしておけるか、という精神の衝動。再生のためのエネルギー補給を求める肉体の衝動。それに突き動かされようとしたその時。目の前に現れた姿に、コヨーテは顔をしかめた。
己の主人。そして、この肉体を彼に与えた張本人。
「遊びすぎたようですね。変な余裕を見せずに喰っておけば、あなたの勝ちでしたが」
「ふん……説教の、つもりか?」
「いいえ。ですが、次回の教訓にはなったでしょう? あなたは、最強であっても無敵でも不死身でもない。彼ら相手に、余裕は程々にしなさい」
リュートは苛立ちを隠そうともせずに唸る。自覚があるからこそ、念押しされるだけでも癪に障った。
「いずれにせよ、今回の仕事は終わりですよ。いくらあなたのネームレスであろうと、そこまでの深手を負ってはね。帰投しなさい。治療を行います」
「邪魔を、するな。まだ、食い足りん、のだ。連中を、喰らってやらねば、気が晴れん」
「申し訳ありませんが、そうもいかない状況になっています。あなたでも、さすがにその状態で彼らを相手にするのはまずい。いま、あなたを失う想定はしていないのですよ」
「舐めるな、道化が……! 貴様の想定など知るか。約束通り、この数年は大人しくしていたのだ。これ以上のおあずけを聞くと思うな!」
彼はマリクを喰い殺してでも、己のやりたいようにやろうとするだろう。そんな狂犬にマリクは焦るでもなく、ただ、仮面の奥でどこか呆れたような雰囲気を見せた。
「さすがに、多少の躾はした方が良さそうですね」
「!」
マリクがそう呟き、片手を上げる。それを見た途端、リュートは何故かひどく焦った顔を浮かべて、マリクに掴みかかろうとする。
「ま、待て……!!」
「お仕置きです」
だが、それよりも早く、マリクが指を鳴らす。途端――びくりと、リュートは大きく全身を痙攣させ、そのまま硬直した。そして、両手で心臓の辺りを押さえる。
「うっ……う、ぐ、が……あ……かっ……!!」
コヨーテはその場に崩れ落ちた。地面に転がったリュートは、ぱくぱくと口を開閉させながら、悶え苦しんでいる。呼吸ができていないようだ。
「苦しいでしょう? さすがのあなたも、この状態には長くは耐えられませんよ。一度、死にかけておきなさい」
「……こ……の……道、化、がぁっ……! も……戻っ……ぐっ……お、ぉ……!!」
「処分はしません、ご安心ください。ただし、度が過ぎればこうなるということを、改めて覚えておくといいでしょう」
「うぅ……っ! や……め……お、ごぉっ……!! ……ッ……!!」
すぐに声も上げられなくなったリュートは、苦悶の表情のまま胸をかきむしっている。がくがくと痙攣しながら、胃液を吐き散らした。吐いたものがただの透明な液体であることから、先の食事がとうに消化されてしまった異常性も示している。
見る間に衰弱していくコヨーテが、やがて身じろぎもできなくなったのを確認してから、マリクは再び指を鳴らした。
「っ、ぐ、ごはっ……」
途端、リュートは激しく咳き込みながら呼吸を再開した。とは言え、元々が弱っていたのもあり、体力は尽き果てているようだ。
ぐったりと瀕死の状態で横たわるリュートを、そのまま転移させる。いま、この遺跡に張り巡らされた戒めも、まだマリクを止めるには至らない。
「……ふむ。しかし、この規模の転移阻害とはやってくれますね、ニール。この調子では、彼らなりの応用が一気に発展するのは、時間の問題ですか。それに……」
マリクはそう言いながら、どこか満足そうな笑いをこぼした。自らが全てを支配するわけではない、未知を孕んだ戦い。それが形になりつつあることは、彼にとって最大の娯楽なのだろう。
「クク。では、挨拶に向かうとしましょうか。翼持つ獣、風の方舟……天空の血族、夜闇を裂く太陽。彼らがようやく舞台に立った以上、これでまた全てが次の局面に向かいますね?」
道化は、そのまま姿を消した。行き先は砦、介入してきた者たちの下。――そうして、この地での全ての戦いは、終局へと。




