たとえ全てが灰燼に帰しても 3
「…………ご、はっ」
血飛沫を撒き散らしながら、ロウは衝撃に吹き飛ぶ。あえなく、そのまま地面に倒れ伏した。ガトリングを手放さなかったのは、経験からだ。だが、そこまでだった。
視界が回り、急速に明滅を繰り返す。出血が激しく、気が狂いそうなほどに痛い。一瞬でも気を抜けば意識が飛ぶだろう。口の中を鉄のような味が満たし、そのまま赤黒い液体を吐き出した。
「ロ……ロウ、殿っ……!! ぐっ、ゲホッ……!」
マックスも何とか起き上がろうとしているが、先ほどのダメージは重い。骨が何本か折れて、衝撃は身体の内側にまで響いている。とても、まともに動ける状態ではなかった。
「一度傷付けばそれが致命的になる。ヒトとはつくづく、不便なものだな?」
「て、めぇ……」
よろけながら、ロウは武器を杖に身体を起こす。地面に広がる自らの血が、傷の重篤さを知らしめる。立ち上がろうと力を込めた途端、また喉に血が込み上げ、吐いた。
(……あ、駄目だ。死んだな、こりゃ)
ロウの経験則は、自分でも呆気ないと感じるほどにあっさり、その結論を出した。
早急に手当をすれば助かるだろう。だが、状況が許してはくれない。マックスも満身創痍で、敵はまともなダメージがない。動けば出血が悪化して死ぬ。動かなければこのまま殺される。そもそも、全力で動いたとて敵を仕留めるには至らないだろう。
「さて……そろそろ運動には飽きてきた。メインディッシュと行こうではないか?」
怪物が、舌なめずりをした。もはや勝敗の決した中、一歩ずつ、ゆっくりとロウへと近付いてくる。
「………………」
――この状況において、リュートはひとつ、失敗をした。
他者をいたぶることを優先する悪癖を、発露させてしまった。彼は、強大な力を得て、かつてはあった計算高さを失った。いかなる相手でもどこかで甘く見る、そんな欠点を補って余りあるほどの強さがあるからこそ。上位存在になったが故の、慢心。
致命傷を与えた相手に何ができるものが、と。仮に最後の力を振り絞ったとて、自分には通じない。そんな驕りが、ロウに思考の時間を与えた。
だから、気付くのが遅れた。自分の死が避けられないことを理解した上で、ロウはまだ、諦めていなかったことに。
「……なあ、狂犬よぉ……」
「なんだ? 遺言くらいならば、聞いてやってもいいぞ?」
「お前……肉を、生ばっかで、食ってんだろ?」
その場違いな言葉に、さすがのリュートも僅かに怪訝な顔をした。
「けど、なぁ。肉はやっぱり……こんがり焼くのに、限ると、思わねぇかい……!」
――ぱちり、と。
ロウの身体の周りに、火花が舞い始めた。
千切れて消えてしまいそうな意識をかき集め、ロウは思考する。
もう、自分が死ぬことはどうしようもない。仮にウェアルド達が駆けつけたとしても、間に合わない。
だが、それは何もできないことにはならない。まだ死に方は選べるのだと。
「貴様……!?」
リュートも気付いた。ロウが、何を狙っているのか。
初めて焦りを見せた怪物に、ロウは掠れた声で笑った。苦痛で、今にも意識が飛びそうだ。それでも、この狂犬に仕返しができると考えるだけで、笑わずにはいられなかった。
(……お前ら。わりい、なあ。めんどくせえもん、全部残しちまうことに、なりそうだ)
「ロウ、殿、何を……!?」
視線の先にいるのは、まだ若き己の後輩。これからの世界を担っていくであろう存在。――未来を託すに値する男。
彼だけではない。ウェアルドやランド達、彼らの下に集う若き力。リカルドや軍も、国を支える力だ。そして、砂海というギルドで共に戦い続けた古参の二人に、ようやく芽生えた若葉も。
このまま自分たちが殺されれば、この怪物はそんな仲間にも襲いかかるだろう。それを、許すつもりはない。
恐怖も、後悔も、未練もある。それでも、今からやることに躊躇いはない。
リュートが止めようと駆け出したのが見えた。だが、もう遅い。
ロウの力も、ハーメリアと同じなのだ。本当は、能力を最も強く作用させられるのは、自らの身体を用いた場合だった。それだけは、生物に使えないという制約の枠外にある。他者に使えないのは、生命体の複雑な構成を変換しきれないから。だが、自身ならば一切の抵抗なく変換できるのだと、経験が無くとも知っていた。
しかし、彼の力の性質は灼熱の炎への変換。それを己が肉体に作用させたらどうなるかなど、考えるまでもない。
だが、ロウは止めない。止まらない。残された全てをかき集めて、PSを発動させる。
(覚悟しろや、狂犬。死ぬかは分からねぇが……てめぇがしたことの報い、たっぷり味わいな……!)
赤熱する。肉体が、変換されていく。この国を喰らい尽くそうとする怪物を、焼き払う業火へと。思考すら、熱の中に溶けていく。それでも、彼は。
『ロウ。マスターに任命する前に、ひとつ改めて聞かせてもらおうかね。アンタは……何のためにギルドマスターになる?』
刹那。かつて問われた言葉を思い出す。フリーランスとして誰かを救い続けてきた彼が、今までと異なり他者を預かる身として、どのような目標を掲げるのかと。
『そりゃまぁ……若ぇ奴らを導いてやるためだな! 一人でも多くを前に、明日へ……それができるってぇなら、こんなに良い人生はねぇだろ!』
(ああ、そうだ。これは……死ぬための、一撃じゃねぇ)
命を捨てることは許されない。最後まで生きるために戦う。ロウも、仲間にそう指導して、自らもそれを貫いてきた。
だが。だからこそ。今、命を懸けなければ、それこそ自分が、ロウ・ワーナーという男が歩んできたものが死ぬのだ。ならば、何を迷う必要があるだろうか。
たとえ、この命の全てが灰燼に帰しても。守るべき者の、明日が残るのならば。
(これは、俺が俺として……最後まで、生き抜くための――)
最後の最後、ロウは確かに、穏やかに笑った。そして、マックスは見た。その口が動いたのを。音にはならなかったが、その言葉を豚人が認識した、直後。
――能力の発動は成り。
巻き起こった爆炎が、リュートを飲み込んだ。
「グ、ガアアアァァァアアアァーーーーッ!!」
爆ぜる。凄まじい爆音と、けたたましい絶叫が混ざり合った。
炎は意思を持つように、コヨーテへと降り注ぐ。銃弾の炎とは比較にならない熱が、獣人の肉体を焼き焦がす。遺跡を揺るがすほどの爆発、その衝撃が怪物の肉体を削いでいく。
彼が歩んできた全てが、彼の命が、怪物が再生した端から焼き尽くしてしまうほどの、灼熱の炎を生み出していた。途切れぬ悲鳴が、その効果をはっきりと示している。
マックスには、もはや言葉を失い、見ていることしかできなかった。視界に映る炎はあまりにも大きく、部屋の半分を埋め尽くすほどだった。だが、その炎はマックスを巻き込むことはなく。まるで、彼を守ろうとしているようだった。
時間にして数十秒。爆炎が晴れた後、そこには――全身が黒く焦げ、倒れ伏したコヨーテの身体がひとつだけ。その炎を巻き起こした男は、灰すら残っていなかった。
細胞の一辺すら炎に変換した男の肉体は、この世界にあった証拠をひとつも残さなかった。彼の武器である大型のガトリングだけが、黒く焦げて墓標のように転がっていた。
「……ロウ……どの……」
マックスも、何が起きたか頭では理解している。それでもなお、炎が晴れるまでは信じたくなかった。見せ付けられた現実に、力なく声を漏らす。返答はない。あの、いつでも元気だった笑い声は、もう聞こえない。
――焦げた男の手が、動いた。
「!!」
生きている。それを悟った時には、リュートの周囲の空間は歪み始めた。マックスが立って動けていても、間に合わなかっただろう。敵は去り、嘘のような静寂が訪れた。
ロウの命を用いた一撃ですら、怪物を仕留められなかった。――否。ロウが命を賭したからこそ、あの怪物を追い払うに至ったのだ。
「……ぐ、くぅ……ロウ、殿……!!」
彼の最期の言葉を、マックスは確かに受け取っていた。それは短く単純でありながら、とてつもない重みを持つ一言。
『――後は、任せたぜ』
己が命を燃やし尽くして、彼は守り抜いた。この国を。そして、マックスを。自分は守られたのだと、そして、託されたのだと豚人は理解する。
もうそこにいない偉大な先達に向けて、男の静かな慟哭だけが捧げられた。